縁起でもない



朝、メンチカツを食べていたら歯が欠けた。 詰め物が取れたのではなく、その横の歯自体が欠けたのだ。 詰め物は糊でしっかり歯にしがみついている。 珍しいことがあるものだ、と言うと、 これから出かけるのに縁起でもない、と妻が言った。 何か縁起と関係あるの? と聞くと、 そういうわけではないけれども、という答だったが、 それが頭に妙にこびりつき、 事故を起こしたら大変だと、 ハンドルを握る手に力が入って肩が凝る。 疲れてしまって二度も休んだ。 二度目に休んだときには、 もう山のなかにだいぶ入っていた。 夏は過ぎたが木々はまだ青い。 妻は縁起が悪いと言ったことも忘れて あの木、もう紅葉しているのかしら、 などとはしゃいでいる。 まだそんな季節じゃないだろうと言いながら その木を見ると、 確かに少し紅葉しているように見えた。 気温が下がっていることに気付く。 半袖では寒いかもしれない。 そのうちに雨が降ってきた。 雨は雲が風に吹かれてさむいから、 さむいよう、さむいようと 泣くから降るんだよね、 と後ろの席でナオキが言った。 前の席から妻と二人でいい話だねと誉めたら、 ナオキは同じことを繰り返し言い続けて、 止まらなくなった。 木々の蔭はますます暗く、 まだ着かないが目的地は近い。 欠けた歯が頬と舌に当たって痛いが、 無事に来れてよかったと、 ようやく肩の力が抜けた。


(C) Copyright, 1998 NAGAO, Takahiro
|ホームページ||詩|
|目次||前頁(お化け)|
PDFPDF版