唄をうたっていた母



目を閉じると、 若かった頃の母が、 誰に聞かせるでもなく、 唄をうたっている姿が浮かんできた。 団地のベランダに置かれた二槽式の洗濯機。 ガタガタと大きな音を立てて回っていた脱水機が静かになると、 ベランダの物干し竿に洗濯物を干していく。 大きな水玉模様のノースリーブのワンピース。 腋毛がふさふさとしていた。 子どもは変なところを見ているものだ。 唄っていたのは、何だったろう。 明るい子ども向けの唄。 自分の子どもに聞かせるというより、 自分が子どものときに習った唄を 子どものように唄っていた。 今どきこんな人は見かけないなあ。 かと言ってその前の時代にも、 こんなのどかな風景はなかったのかもしれない。 体が少しずつ動かなくなる病気で、 薬の副作用で苦しんで亡くなったけど、 母にもそんなときがあった。 もう誰も覚えていない。 私の記憶だって当てにならない。 現に、 唄っている声がどうしても聞こえてこないのだ。


(C) Copyright, 2012 NAGAO, Takahiro
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