July 011996
悔しまぎれの草矢よく飛ぶ敗北なり
原子公平
何でもよろしい。その辺に生えている葦や薄を引き千切って、空に向かって投げる。と、いつもはうまく飛んでくれない草の矢が、どうしたことか遠くまで飛んでいった。言い争いに敗けた作者は、ここではじめて自らの完全な敗北を認める。俺も勉強し直さねばならぬと思う。このとき、読者もまた、そう思うのである。『海は恋人』所収。(清水哲男)
July 021996
梅干すといふことひとつひとつかな
石田郷子
母は必ずアルミニュームの弁当箱に梅干しを入れてくれた。しかし不思議なことに、母が梅干しを食べるのを見たことがない。土用干。ひとつ、ひとつ。生活をみつめるとはこういうことなのだろう。『秋の顔』所収。(八木幹夫)
July 071996
七夕や岡崎止りの貨車に昼
北野平八
七夕は夜の祭。作者は兵庫の人だから、岡崎まではそんなに遠くない。この貨車が岡崎に着くころ、その空には天の川が流れているだろう。「五万石でも岡崎様は……」と、町には粋な民謡のひとつも流れているかもしれぬ。散文的な真昼の駅で、ひょいとこんな句が生まれるところに、北野平八の並々ならぬ才質が感じられる。昭和57年作句。『北野平八句集』所収。(清水哲男)
July 081996
草を打つ雨を遍路のゆきにけり
藤田あけ烏
四国八十八カ所の霊場を巡礼するお遍路さんの季は春。しかしこの句では雨の季節でなければならない。バサバサと草を打つ激しい雨に、作者の高い精神性が感じられる。俳誌「草の花」(1996年4月号)所載。(井川博年)
July 091996
大梅雨に茫々と沼らしきもの
高野素十
見たまま俳句の名手が、ほとんど何も見えませんねと書いているのだから、なるほど大梅雨なのだろう。最近の梅雨はしばしば根性がなく、たぶん大梅雨先輩に叱られているのではないかしらん。(清水哲男)
July 101996
わだつみに物の命のくらげかな
高浜虚子
眼前にあるのはくらげだが、「物の命」によって原初の命そのものを私たちは見ることになる。先行するものとして、漱石明治二十四年の句に、「朝貌や咲いたばかりの命哉」があるが、虚子はいわば、くらげによって命の句の決定版を作ってしまった。(辻征夫)
July 111996
公事たくむ人の見ている雲の峰
作者不詳
公事(くじ)は訴訟。先年、はからずも名誉毀損で訴えられ、霞が関の東京地裁へ私は何度か通った。判決は棄却でさいわい勝ったが、なにせテキはその道の猛者で、法廷でやりあったその日、たまたま都心の空に猛々しいほどの入道雲を見た、ような気がする。とはいえこの句は二百年余り前の江戸の人の作です。油断も隙もならぬ憂き世を、描いて浮世絵というがごとき句、なのですなぁ。『武玉川』第十四篇所収。(小沢信男)
July 121996
かき氷くづしどうでもよかりけり
奥坂まや
女性でなければ、まずは絶対に書けない句。で、このかき氷をどうしたか。作者はきっと、たいらげてしまったはずである。すねているのか、かなり怒っているのか、そのへんの事情はわからない。けれども、男の場合は「くづし」たりもしない。手なんかつけないのだ。奥坂さんは神田神保町の生まれだそうだが、こういうときには、私だったらそれこそ神田の「ランチョン」あたりで、ひとりビールを飲むだろう。(清水哲男)
July 131996
氷片を見つめ見つめて失いぬ
池田澄子
人と人との付き合い方は難しい。ふとウィスキーグラスの中の氷片を見つめてしまった。カリリンという涼しげな音立てていた固体。形あるものもいつしか消えてしまう。でも、まあいいか。こんな句を作る女性ともう一杯。(八木幹夫)
July 141996
水枕干されて海の駅にあり
摂津幸彦
もとより西東三鬼の有名な句「水枕ガバりと寒い海がある」のもじり。ペチャンコになったゴムの水枕が、人気(ひとけ)のない海辺の駅舎の裏に、洗濯バサミで止められてぶらさげられている。作者の哄笑が聞えてくるよう……。季語はなけれど晩夏の句としたい。『鹿々集』所収。(井川博年)
July 151996
羅をゆるやかに着て崩れざる
松本たかし
作者は宝生流家元の家に生まれた元能役者。病弱のため能を断念し俳句に専念した。羅(うすもの・薄絹で作った単衣)を見事に着こなして崩れない人のたたずまいを言いとめているが、思いはおそらく芸道の理想、さらに人の生き方にまで及んでいる。詩の姿も、かくありたいといつも思う。(辻征夫)
July 161996
流すべき流燈われの胸照らす
寺山修司
作者十代の句。これから水に浮かべようという、その一瞬をとらえていて、非凡な才能を感じさせられる。最初の作品集『われに五月を』(作品社・1957)所収。中城ふみ子の『乳房喪失』などを出した作品社の田中貞夫は、晩年新宿で小さなバーをやっていた。何度か、寺山修司の発見者でもあった中井英夫に連れていってもらったことがある。三人とも、もういない。(清水哲男)
July 171996
捨て猫の石をかぎ居つ草いきれ
富田木歩
木歩は、大正期の俳人。一歳のときに病いを得て、生涯歩行の自由を失う。学校にも行けなかった。このために関東大震災で落命することになるが、彼の句には、自由に外出ができなかった者の観察眼が光っている。この句も、そのひとつ。彼を励まし支えた新井聲風の『木歩伝』の絶版は残念だ。(清水哲男)
July 181996
颱風が押すわが列島ミシン踏む
小川双々子
昭和32年の句。わかりますねえ、この情景。そして、ミシンを踏んでいる人の心も。軍国幼児(?)だった頃、母の足踏み式ミシンをずいぶん悪戯したものですが、車がついているくせに前進しないところに苛立ちを覚えていました。なんとなく、百万の敵を迎え撃つ孤立した要塞で必死に耐えている……。そんなイメージが、この句にもあるような気がしてなりません。『小川双々子全句集』所収。(清水哲男)
July 191996
裸子や涙の顔をあげて這ふ
野見山朱鳥
朱鳥はいつも病気がちで、人生の三分の一は病床にあった。したがって、死をみつめた句が数多い。そんななかでの健康な乳児をうたった作品だけに、印象が強い。もちろん、赤ん坊の微苦笑を誘うしぐさのスケッチと読んでよいわけだが、涙の裸子に声援を送る作者の気持ちにはそれ以上の思いが込められている。『荊冠』所収。(清水哲男)
July 201996
かたまるや散るや蛍の川の上
夏目漱石
少年時代、夏休みになると、近所のお姉さん(18歳くらいだった)に頼んで、よく野外映画会に連れていってもらった。往復二里の山道である。帰り道ではこの句のとおり、川の上には蛍が密集して光っていた。そんな情景のなか、お姉さんと僕は、互いに無言のままひたすら家路を急いだのだった。漱石がこの句を作ったのは明治29年。ちょうど百年前である。敗戦直後の山口県の田舎の蛍は、明治期の漱石が見た蛍と同じように、群れながら明滅していたというわけである。ということは、お姉さんと僕は、いつも黙って明治の夜道を歩いていたということにもなる……。長生きしている気分だ。『漱石俳句集』(岩波文庫・坪内稔典編)所収。(清水哲男)
July 221996
水打つてあそびごころの見えており
森 澄雄
水を打っているのは、作者の妻。眺めていると、ときどきとんでもないものにも水をかけている。木陰で昼寝中の猫だとか、届きもしない木の梢めがけてだとか……。「しようがないヤツだ」と苦笑する夫の内面には、妻への愛情がじわりとにじみでている。作者が間もなくこの妻を失うことになる事情を知って読むと、哀切限りない。『はなはみな』所収。(清水哲男)
July 231996
夏痩せて釘散らしたる中にをり
能村登四郎
自然をうたう俳人が多いなか、登四郎は人間を数多く詠んできた。七十代の作者は、ちょっとしたはずみで手にした釘箱をひっくりかえしてしまい、呆然としている。若いころであればそんな自分に腹も立つが、いまはおのれの失策を老いの必然として自認する心境にある。誰にも訪れる老い。しかし、その自覚のきっかけはさまざまだ。だから、人間は面白いのだし、一筋縄ではいかないのである。『寒九』所収。(清水哲男)
July 241996
青田中信濃の踏切唄ふごとし
大串 章
自註に、こうある。「昭和三十八年作。初めて信州に旅をした。大空のかがやき。青田のひかり。信州の緑の中で聞く踏切の音は都会のそれとは全く異なっていた」。先日私が新幹線から見た青田も美しかったが、新幹線に踏切はない。青田中から新幹線の姿を叙情的にうたうとすれば、どんな句になるのだろうか。『自註現代俳句シリーズ7・大串章集』所収。(清水哲男)
July 251996
死なふかと囁かれしは蛍の夜
鈴木真砂女
新派大悲劇の幕開けではない。遠い日の蛍の夜を思い返しているうちに、「死なふか」という声がリアルによみがえってきた。しかし、その声の主は幻。あるいは、その声はみずからが自分に向けて囁いたもの。青春は過ぎやすし。そして、その思い出は幻として浄化される。この句を事実と読むのはもとより自由だが、そう読んでは面白くないと、私は考える。『都鳥』所収。(清水哲男)
July 261996
あめんぼの吹き溜りにて目覚めけり
夏石番矢
あめんぼ(う)は「みずすまし(水馬)」ともいう。飴に似たにおいがするので「あめんぼ(う)」。小川や池の水面に長い六本の脚を張って、すいすいと滑走する。しかし、じっとしている姿は、ほとんど塵芥の類に見えてしまう。そんな吹き溜りの境涯にも、人間と同様に寝覚めはある。微小な生物の目覚めを発見したところが、この句の眼目だ。『猟常記』所収。(清水哲男)
July 271996
円涼し長方形も亦涼し
高野素十
猛暑の折りから、何か涼しげな句はないかと探していたら、この句に突き当たった。しかし、よくわからない。素十は常に目に写るままに作句した俳人として有名だから、これはそのまま素直に受け取るべきなのだろう。つまり、たとえば「円」は「月」になぞらえてあるなどと解釈してはいけないのである。円も長方形も、純粋に幾何学的なそれということだ。いわゆる理科系の読者でないと、この作品の面白さはわからないのかもしれない。円や長方形で涼しいと感じられる人がいまもいるとすれば、私などには心底うらやましい昨今である。ふーっ、アツい。『空』(ふらんす堂・1993)所収。(清水哲男)
July 281996
海南風尾をまきあげて紀州犬
杉本 寛
海南風(かいなんぷう)は、夏の海から吹き寄せる季節風。当然のことながら、高温多湿となり蒸し暑い。そんな暑さの中で、舌も垂れずに昂然と沖を見ている紀州犬。まさに勇姿である。犬をうたった句は多いが、これほど直截にずばりとその姿を言い切った作品は、案外珍しい。この犬、切手の図柄になりそうだ。『杉本寛集』(俳人協会)所収。(清水哲男)
July 291996
月下美人膾になつて了ひけり
阿波野青畝
咲いたときには、大騒ぎされる月下美人。私も、深夜連絡を受けてカメラ片手に見に行ったことがある。その花も、一夜明ければ膾(なます)となる。食べた人によれば、美味とはいえないそうだ。あるいはこの句、人間の美女にかけてあるのかもしれない。だとすれば、作者は相当に意地が悪い。『俳句年鑑・平成五年版』(角川書店)所収。(清水哲男)
July 301996
川を見るバナゝの皮は手より落ち
高浜虚子
虚子の「痴呆俳句」として論議を呼んだ句。精神の弛緩よりむしろ禅の無の境地ではなかろうか。俳句はこういう無思想性があるからオソロシイ。そして俳人も。(井川博年)
July 311996
なつかしき炎天に頭をあげてゆく
原 裕
ひさしぶりに訪れた故郷の地。見るもの聞くもの、すべて懐しい。耐えがたい暑さなど、いつの間にか忘れたように、頭(づ)をあげて歩いていく。そろそろ、帰省のシーズン。この夏も、こんな気分でなつかしさを噛みしめる人はたくさんいるだろう。ちなみに、原裕(はら・ゆたか)は茨城県の出身。『風土』所収。(清水哲男)
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