メ迅句

July 1071996

 わだつみに物の命のくらげかな

                           高浜虚子

前にあるのはくらげだが、「物の命」によって原初の命そのものを私たちは見ることになる。先行するものとして、漱石明治二十四年の句に、「朝貌や咲いたばかりの命哉」があるが、虚子はいわば、くらげによって命の句の決定版を作ってしまった。(辻征夫)


July 1571996

 羅をゆるやかに着て崩れざる

                           松本たかし

者は宝生流家元の家に生まれた元能役者。病弱のため能を断念し俳句に専念した。羅(うすもの・薄絹で作った単衣)を見事に着こなして崩れない人のたたずまいを言いとめているが、思いはおそらく芸道の理想、さらに人の生き方にまで及んでいる。詩の姿も、かくありたいといつも思う。(辻征夫)


September 0891996

 思ひ寝と言ふほどでなし秋しぐれ

                           中村苑子

ひ寝。「恋しい人を思いながら寝ること」(大辞林)。それほどではないけれど、好ましい誰かをふと思いうかべながら眠りにつく。いつか雨の音が聞こえている。しぐれ(時雨)は冬の季語だが、ここは秋のしぐれ。(辻征夫)


September 1491996

 祭りの灯なかの一軒葬りの灯

                           中村苑子

内の家ことごとくの軒先に祭りの提灯がつけられて、眺めが一変した秋の宵。歩いて行くと一軒だけ色合いの違う提灯がさがっている家があり、喪服の人がひっそりと出入りしている。どちらも、今生の、祭りの灯である。(辻征夫)


September 1991996

 反故焚いてをり今生の秋の暮

                           中村苑子

年の秋ではなく「今生の秋」。いま歩いている街の風景を、これがやがて私がいなくなる世界だと思いながら眺めはじめたのはいつからだったろう。街をそうした視点をもつ壮年が歩いている一方で、庭の片隅でひっそりと反故(ほご)を焚いているひとがいる。秋の夕暮。『吟遊』(1993)所収。(辻征夫)


September 1691998

 放蕩や水の上ゆく風の音

                           中村苑子

蕩(ほうとう)とは贅沢なことばだと思う。未来は放棄され、現在は徹頭徹尾、おぼれ、使い果たしてしまうことについやされる。使い果たす対象は、人生そのものだろう。絶望と背中あわせの悦楽。揺れ動く思い。そういえば蕩には水が揺れ動くという意味もあった。疲れたこころと、清冽な水。/私はこの句を清水哲男におしえられたが、清水はどういうわけか、風の音を風の色と覚えていた。句が詩人の内部でいつのまにか変形したらしい。放蕩や水の上ゆく風の色。水と風はほとんど同色となり、きらめく水面がいくぶん強調された詩的イメージににみちた句となる。では「風の音」はどうか。/放蕩と、風という清冽なものの対比に、もうひとつ、寂寥感がくわわる。眼を閉じて、耳を澄ます。聞こえるのは風の音である。(辻征夫)

[『別冊俳句・現代秀句選集』(1998)より辻征夫氏の許諾を得て転載しました・清水]




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