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July 2471996

 青田中信濃の踏切唄ふごとし

                           大串 章

註に、こうある。「昭和三十八年作。初めて信州に旅をした。大空のかがやき。青田のひかり。信州の緑の中で聞く踏切の音は都会のそれとは全く異なっていた」。先日私が新幹線から見た青田も美しかったが、新幹線に踏切はない。青田中から新幹線の姿を叙情的にうたうとすれば、どんな句になるのだろうか。『自註現代俳句シリーズ7・大串章集』所収。(清水哲男)


September 2091996

 酒も少しは飲む父なるぞ秋の夜は

                           大串 章

書に「故郷より吾子誕生の報至る。即ち一と言」とある。つまり、この句は、まだ見ぬ生まれたばかりの我が子に宛てたメッセージだ。母子ともに元気。こうした場合、その程度の知らせが一般的で、あとは新米の父親たるもの、とりあえずは自分で自分に祝杯をあげるくらいしか能がない。そこで、なんだか嬉しいような困ったような、妙な気分で独り言でもいうくらいのことしかできないのである。私自身もそうだったから、時も秋だったから、この作品は実感的によくわかる。ところで、この句を某居酒屋チェーンの銀座店が、作者には無断で宣伝用の栞(?)に刷り込んで使っているそうな。なるほど、前書をとっぱらってしまえば、勤めがえりの「ちょっと一杯」の気分にも通じなくはない。はしこいですねエ、商売人というものは。見習わなければね、とくに詩人は。『朝の舟』(1978)所収。(清水哲男)


November 25111996

 鶴の宿一人の膳を子が覗く

                           大串 章

が飛来することで有名な土地の、小さな旅館の夕膳である。宿の子にとっては、客に出されるご馳走が羨ましい。使用人などいないから、膳を運ぶ母親について部屋に入り、「いいなあ」とつい覗きこむのだ。私もかつて秋田の角館の宿屋で、同じ体験をしたことがある。あそこは、桜の名所であった。何の名所であれ、一人きりの泊りはわびしい。たまの客を迎えた宿屋の子も、それなりにわびしい気持ちなのだろう。この句がよまれた土地は、山口県熊毛郡熊毛町八代。ナベヅルの里。山口育ちのくせに、私はこの地をまったく知らない。『百鳥』所収。(清水哲男)


March 1031997

 手を拍つて小鮒追ひこむ春の暮

                           大串 章

ずは作者自註より。「小川に鮒の群を見つけると、手を打ち鳴らして石垣の穴に追い込む。ころあいをみて、その穴の中に手をつっこんで鮒を捕る」。学校帰りだろうか。私も、よく小川で遊んだ。唱歌の文句のように川水はサラサラと流れており、水の中を覗いているだけでも飽きることはなかった。小さな魚と小さな植物たち……。なかでも、私は岩蔭に住む蟹たちの剽軽な動きが好きだった。ただ、残念なことに、この句のような鮒の捕獲法があることは知らなかった。ずいぶんと楽しそうだ。なお「春の暮」は春の夕刻の意。春の終りを言う「暮春」などとは区別する。(清水哲男)


July 0371997

 子に土産なく手花火の路地を過ぐ

                           大串 章

い父親の苦い心。父となった者には、だれしもが経験のあるところだろう。ぴしゃりとその核心をとらえている。なべて名産品などというものには大人向きが多いから、小さな子への土産選びは難しい。いろいろ考えているうちに、今回はパスということになったりする。が、そうした場合、我が家が近くなってくると、たいてい後悔する。どんなにちゃちな土産でも、買ってくればよかった……。近所の子供たちが花火で楽しそうに遊んでいるというのに、我が子は家にいてひたすら父の帰りを待ちかねているのだ。などと、うしろめたさは募るばかり。さあ、言い訳をどうしたらよいものか。『朝の舟』所収。(清水哲男)


October 12101997

 木の実落ち幽かに沼の笑ひけり

                           大串 章

味だが、良質なメルヘンの一場面を思わせる。静寂な山中で木の実がひとつ沼に落下した。音にもならない幽かな音と極小の水輪。その様子が、日頃は気難しい沼がちらりと笑ったように見えたというのである。作者はここで完全に光景に溶け込んでいるのであり、沼の笑いはすなわち作者のかすかなる微笑でもある。大きな自然界の小さな出来事を、大きく人間に引き寄せてみせた佳句と言えよう。大串章流リリシズムのひとつの頂点を示す。大野林火門。『百鳥』(1991)所収。(清水哲男)


November 15111997

 花嫁を見上げて七五三の子よ

                           大串 章

五三の子と花嫁が神社で鉢合わせ。着飾った小さな子供たの間でだからこそ、花嫁はひときわ目立つだろう。子供の目にも異質とうつるのだろうか、千歳飴を引きずるようにしてポカンと見とれている姿が可愛らしい。そこをすかさずスナップした作者の目もハンパじゃない。ちなみに、千歳飴は親戚などへの配り物にするのが本来で、子供が自分で舐めるものではありません。ところで、大串君も私も、七五三の頃は戦争の渦中にあった。七五三という行事があることさえ知らなかった。しかし、そんななかでもちゃんと七五三を祝ってもらった友人もいて、写真を見せてもらったら、軍服姿でひどく緊張していた。『朝の舟』(1978)所収。(清水哲男)


January 1411998

 疲れ脱ぐオーバー釦飛ばしけり

                           大串 章

い最近、私にもこういうことがあった。寒い夜を疲れて帰ってきて、コートを脱ぐ手がもどかしく、ついついやってしまったのである。もはや我が家に着いたのだから、そんなに焦ることもあるまいにと、後で苦笑した。けれども、はやく暖かい居間に入りたいという気持ちからすると、釦(ぼたん)一個が跳ね飛ぶなんぞは「メじゃない」ことも確かだ。このとき、切れ字の「けり」は「あーあ」と翻訳するのである。ところで、私たちは日本人だから、このようにオーバー・コートは玄関の上がり框で脱ぐ。客の場合には、玄関に入る前に脱ぐのが礼儀だ。そこでわいてきた疑問なのだが、靴のままで室内に入っていける国の人たちは、とくに自宅では、一般的にどこらへんでコートを脱ぐのだろうか。玄関を開ける前に脱ぐのが正解の気もするが、どなたかご教示いただければ幸甚である。『朝の舟』(1978)所収。(清水哲男)

[カリフォルニア在住の三浦勇氏よりメール]アメリカでは一般的に玄関というかドアを開けて家の中へ入った時点でコート等を脱ぎます。そこで迎えに出たホストがコートを預かり、近くのクロゼット内の衣紋掛けにかけます。パーティーなど多数の人が集まる場合で、クロゼットのスペースが足りない時は、寝室を解放して、コートはベッドの上に積み重ねます。


April 0441998

 山笑ふみづうみ笑ひ返しけり

                           大串 章

爛漫の風景句。たしかキャンディーズに「ほほえみ返し」という歌があったが、これはまたスケールの大きい「ほほえみ返し」だ。トリビアルで巧緻な仕組みの句もよいけれど、このように風景を大づかみにした作品も面白い。なによりも、読者としてはホッとさせられるところが心地よい。何事につけセコセコした世の中で、スケールの大きい句をつくることは非常に難しいと思うが、大串章はそれをいとも簡単な感じで作品化している。無技巧と見えるが、やはり長年技巧の波をかぶってきた作者ならではの境地の表出だろう。素人には、つくれそうでつくれない。プロの腕前と言うべきか。ちなみに「山笑ふ」は「春山淡冶にして笑ふが如く、夏山蒼翠にして滴るが如く、秋山明浄にして粧ふが如く、冬山惨淡として眠るが如し」(臥遊録)から、春の季題となった。『百鳥』(1991)所収。(清水哲男)


May 2151998

 青あらし神童のその後は知らず

                           大串 章

あらし(青嵐)は、青葉の頃に吹き渡るやや強い南風のことで、夏嵐とも言う。子規の「夏嵐机上の白紙飛び尽す」が有名だ。中学時代に、教室で習った。嵐とはいっても、翳りのない明るい風である。そんな風のなかで、作者はかつて神童と呼ばれていた人のことを思い出している。ときに「どうしているかな」と気がかりな人ではあるが、地域を出ていった後の消息は絶えている。風に揺れる青葉のように、まぶしいほどの才能を持っていた人だ。が、かといって、今の作者はその人の消息を切実に知りたいと願っているわけでもないだろう。青葉のきらめきに少し酔ったように、かつての才子を懐しんでいるのである。「神童」とは、昔の地域共同体が生んだいわば神話的人物像である。だから、今は伝説のなかに生きていればそれでよいのだと、作者は思っている。「神童も二十歳過ぎればただの人」という意地悪な川柳(?)もあるけれど、この句の人は消息不明だけに、その意地悪からは免れている。それでよいと、やはり読者も作者にここで同感するのである。『山童記』(1984)所収。(清水哲男)


August 1781998

 朝の舟鶏頭の朱を離れたり

                           大串 章

霧のなかで、舟が静かに滑るように岸を離れていく光景である。清潔感に満ちた句だ。霧などとはどこにも書いてないけれど、岸辺の様子が「鶏頭の朱」だけに絞られていることから、読者は霧を思い浮かべるのである。すなわち、たちこめる霧が他の草や木を隠してしまい、作者には「鶏頭の朱」だけが鮮やかに見えているのだと……。自然がひとりでに描いた「山水画」の趣き。日中はひどく暑苦しく見える鶏頭も、ここではむしろ、ひんやりとしている。鶏頭がこのように、ひんやりと詠まれた例は少ない。少ないなかで、たとえば角川春樹に「鶏頭に冷えのあつまる朝かな」がある。悪くはない。が、着眼は鋭いとしても、いささか頭でこしらえ過ぎているのではなかろうか。この場合は、どうしても大串章の句のほうが一枚も二枚も上手(うわて)だと思う。自然をそのつもりでよく観てきた人には、頭や技巧だけではなかなか太刀打ちできないということだろう。『朝の舟』(1978)所収。(清水哲男)


December 12121998

 老木のふっと木の葉を離しけり

                           大串 章

句に「ふと」という言葉はいらない。「ふと」が俳句なのだから……。そう言ったのは上田五千石だったが、その通りだろう。しかし、この場合には「ふっと」が必要だ。「ふっと」の主体は俳人ではなくて、老木だからである。老木から一枚の木の葉が落ちてくる様子に、作者は「ふと」この老木が人間のように思え、彼が「ふっと」葉を手離したように見えたのである。実によく「ふっと」が利いている。「ふっと(ふと)」は「不図」であり、図(はか)らずもということだ。老木は、おのれの意志とはほぼ無関係に、図らずも葉を離してしまった。必死に離すまいとしていたのでもなく、離してもよいと思っていたわけでもない。「ふっと」としか言いようのない心持ちのなかで、葉は枝を離れていったのだ。作者が「ふと」老木を擬人化した効果も、ここで見事に出ている。私などが思うのは、人間も齢を重ねるに連れて、このように「ふっと」手離してしまうものが確実にあるだろうなということだ。一度離した木の葉は、もう二度と身にはつかない。戻ってはこないのである。そういうことは知りながら、やはり「ふっと」手離してしまうのだ。『百鳥』(1991)所収。(清水哲男)


March 0331999

 佐保姫に山童の白にぎりめし

                           大串 章

保姫(さほひめ)は、秋の竜田姫と対になる春のシンボル。春の野山の造化をつかさどる女神である。雛祭りに尾篭な話で恐縮だが、山崎宗鑑の編纂した『犬筑波集』のなかで、荒木田守武が立ち小便をさせてしまったことでも有名だ。すなわち「かすみのころもすそはぬれけり」に附けて「さほ姫の春たちながら尿をして」とやった。オツに気取った王朝女性たちへの痛烈な面当てだろう。それはともかく、句の姫はやさしくて上品な春の化身。その姫の加護を受けているかのような明るい陽射しのなかで、山の子が大きくて白い握り飯をほおばっている。すべて世は事もなし……の情景である。作者と同世代の私にはよくわかるのだが、この「白にぎりめし」には、世代特有のこだわりがある。戦中戦後の飢えの時代に子供だった私たちは、いまだに「白にぎりめし」を普通の食べ物として看過できないのだ。なにしろ絵本の「サルカニ合戦」の握り飯を見て、一生に一度でいいから、こんなに大きな握り飯(カニの身体以上の大きさだった)を食べてみたいと思ったのだから、飢えも極まっていた。そうした作者幼時の思いの揺影が、句の隠し味である。山童(さんどう)は、ここでほとんど作者自身と重なっている。(清水哲男)


April 1041999

 囀を聞き分けてゐる鳥博士

                           大串 章

の鳴き声は、地鳴きと囀り(さえずり)とに分けられる。地鳴きは仲間との合図のためなどの普通の鳴き声であり、囀りは繁殖期の求愛や縄張り宣言のための声だ。したがって、囀りは春の季語。句は、山中での所産だろうか。騒々しいほどに鳴く鳥たちの声を、一つ一つ厳密に聞き分けている「鳥博士」がいる。「博士」は鳥類専門の研究者かもしれないが、ここでは「素人博士」と読んだほうが面白い。鳴き声の種類をとてつもなくたくさん知っている人で、そのことをちょっと自慢に思っている。「鳥博士」にかぎらず、こうした「博士」はどこにも必ずいるものだ。「花博士」であったり「魚博士」であったり、はたまた「酒博士」や「異性博士」等々。当ページの協力者である詩人の井川博年君などは、さしずめ「俳句博士」だろう。この「鳥博士」は、いまのところ大人しい。しかし、こういう人にみだりに質問を発してはいけない。発した途端に、人にもよるが、堰を切ったようにあれこれと説明をしはじめる人もいるからだ。そうなると、辟易させられることも多く、やはり「博士」はひとり静かにそっとしておくべきだということを思い知らされたりする。もとより、それもまた楽しからずや、ではあるのだけれど。俳誌「百鳥」(1999年4月号)所載。(清水哲男)


July 3171999

 坂の上日傘沈んでゆきにけり

                           大串 章

暑の坂道。はるかに前を行く女性の日傘が、坂を登りきったところから、だんだん沈んでいくように見えはじめた。ただそれだけのことながら、真夏の白っぽい光景のなかの日傘は鮮やかである。光景の見事な抽象化だ。ところで、ここ数年の大串章の句には、切れ字の「けり」の多用が目立つ。長年の読者兼友人としては、かなり気になる。「けり」は、決着だ。巷間に「けり」をつけるという文句があるくらいで、「けり」はその場をみずからの意志によって、とにもかくにも閉じてしまうことにつながる。閉じるとは内向することであり、読者にはうかがい知れぬところに、作者ひとりが沈んでいくことだ。もとより「けり」には、連句の一句目(発句)を独立させるのに有効な武器として働いてきた歴史的な経緯があり、その意味で大串俳句はきわめてオーソドックスに俳句的な骨組みに従っているとは言える。が、社会的に連句の意識が希薄ないま、なぜ「けり」の頻発なのだろうか。句の日傘を私は女性用と読んだけれど、そんなことを詮索する必要などないと、この「けり」が告げているような気もする。坂の上で日傘が沈んだ……。それで、いいではないか、と。この光景の抽象化は、この「けり」のつけ方は、作者の人知れぬ孤独の闇を暗示しているようで、正直に言うと、私にはちょっと怖いなと思っている。新句集『天風』(1999)所収。(清水哲男)


September 0391999

 秋雲やふるさとで売る同人誌

                           大串 章

学の暑中休暇は長いので、秋雲が浮かぶころになっても、故郷にいる学生は少なくない。しかし、もうそろそろ戻らねば……。そんな時期になって、ようやく作者は友人や知り合いに同人誌を売る気持ちになった。入道雲の下で、そういう気持ちにならなかったのは、照れくさくて言い出しかねたからである。でも、大学に戻れば、仲間に「戦果(!?)」を報告しなければならない。宿題に追われる子供のように、ちょっぴり焦ってもいる。青春の一齣だ。作者の大串章と私は、学部は違ったが、同じ年度に京大に入った。一回生のときから、いっしょに同人誌も作った。「青炎」とか「筏」という誌名であった。したがって、句の同人誌には私の拙い俳句なんかも載っていたのかもしれず、彼に尋ねたことはないけれど、読むたびに他人事ではないような気がしてきた。大串君の青春句の白眉は、何といっても「水打つや恋なきバケツ鳴らしては」だ。「恋なき」を字句通りに受け取ることも可能だが、「恋を得ていない」と読むほうが自然だろう。片想い。か、それに近い状態か。我が世代の純情を、この句が代表している。『朝の舟』所収。(清水哲男)


October 07101999

 朝露に手をさしのべて何か摘む

                           大串 章

の庭で、たとえば妻が何かを摘んでいる。そんな姿を垣間見た写生句と理解してもよいだろう。実際に、そのとおりであったのかもしれない。しかし、私はもう少し執念深く、句にへばりついてみる。この「何か」が気になるからだ。「何か」とは、何だろうか。と言って、「何か」が草の花であるとか間引き菜であるとかと、その正体を突き止めたいわけじゃない。そうではなくて、この「何か」が句に占める役割が何かということを考えてみている。つまり作者は、故意に「何か」という言葉を据えた気配があるからだ。草の花や間引き菜に特定すると、句からこぼれ落ちてしまうもの。そういうものをこぼしたくないための「何か」を、作者は求めたにちがいない。そう考えて何度も読んでいるうちに、いつしか浮かび上がってきたのが、人の所作のゆかしさである。その露の玉のような美しさ。特定の誰彼のゆかしさというのではなく、古来私たちの生活に根付いてきた所作のゆかしさ全体を、作者は「何か」という言葉にこめて暗示している。こう読んでみると、小さな日常句がにわかに大きな時空の世界に膨れ上がってくるではないか。「百鳥」(1999年10月号)所載。(清水哲男)


October 28101999

 殺される女口あけ菊人形

                           木村杢来

居の一場面を菊人形に仕立ててあるわけだが、殺される女の口が開きっぱなしなのが、ひどく気になったというのである。凄絶なシーンのはずが、開いた口のせいで痴呆的にすら感じられる……。そこが、人形的なあまりに人形的な切なさではある。漱石の『三四郎』に団子坂(東京千駄木)の菊人形が出てくる。「どんちゃんどんちゃん遠くから囃している」とあり、明治末期の菊人形は秋最大級の見せ物として人気があったようだ。私に言わせれば、菊と人形の組み合わせなどゲテモノにしか見えないけれど、ゲテモノは見せ物の基本だから、あって悪いとは思わないが好きではない。渡辺水巴などは、真面目につきあって「菊人形たましひのなき匂かな」と詠んでいる。そういう気にもなれない。どうせ詠むのなら、大串章のように「白砂に菊人形の首を置く」と、楽屋を詠むほうが面白い。ドキリとさせられる。私とは違って、大串章は菊人形に好意をもっての作句だろうが、このシーンを描くことで見せ物の本質はおのずから描破されている。先日、菊作りの専門家に聞いたら、今年は中秋までの暑さがたたって仕上がりが遅いそうだ。菊人形展や菊花展の関係者は、さぞや気をもんでいることだろう。(清水哲男)


November 21111999

 少年は今もピッチャー黄葉散る

                           大串 章

新作。先週の日曜日(11月14日)に、京都は宇治で作られた句だ。宇治句会の折りに学生時代の下宿先を訪ね、近所の小公園でキャッチボールをする父子を見かけて作ったのだという(私信より)。「今も」が利いている。つまり、いつの時代にも、父子のキャッチボールでは「少年」がピッチャー役となる。逆のケースは、見たことがない。父親がピッチャーだと、強いボールをキャッチできないという子どもの非力のせいもあるが、もう一つには、野球ではやはりピッチャーが主役ということがある。子どもを主役にタテて、父親が遊んでやっているというわけだ。この関係には、日頃遊んでやれない父親としての罪滅ぼしの面も、少しは心理的にあるのかもしれない。休日の父子のキャッチボールでは、とにかく全国的に、この関係が連綿としてつづいてきている。作者は、そのことに心を惹かれている。似た光景を、これまでに何度見てきたことか。その感慨が「黄葉散る」にこめられている。野球好きでないと、このさりげないシーンをこのように拾い上げることはできない。若き日の職場野球での大串章は「キャッチャー」だったと聞いたことがある。(清水哲男)


December 19121999

 雪吊を見おろし山の木が立てり

                           大串 章

の重みで庭木などが折れないように、幹にそって支柱を立て、縄を八方にして枝を吊るのが「雪吊(ゆきつり)」。金沢・兼六園の雪吊は有名だ。果樹も「雪吊」で守るが、「山の木」からすれば過保護としか見えないだろう。句は、そうした良家の子女のような扱いを受けている樹木を、憮然として眺めている「山の木」を詠んでいる。作者には『山童記』という句集もあるくらいで、かつての「山の子」はこういうことには敏感なのだ。もとより、私もまた……。砕いて言っておけば、ここにあるのは都会者を見る田舎者のまなざしである。句にはさしたる皮肉もないだけに、それだけ切ない心情が伝わってくる。一見地味な姿の句であるが、私のような田舎育ちにはビビビッと来る句だ。ところで、東京で「雪吊」作業を体験してみたい方へのお知らせ。都立井の頭自然文化園(武蔵野市御殿山1-17-6・TEL0422-46-1100)では、12月25日(土)午前9時より園内で作業をするので、一般参加を呼びかけている。参加費、入園費は無料。定員20名。昼食持参のこと。希望者は電話してみてください。別に私は、井の頭公園のマワシモノではありませんよ(笑)。「山の子」の私としては、当然のことながら参加はしませんが。『百鳥』(1991)所収。(清水哲男)


February 1722000

 白梅に藁屋の飛んで来し如く

                           大串 章

屋の庭に満開の白梅。典型的な昔ながらの早春風景だ。吟行などでこの風景を目の前にして、さて、どんな句が作れるか。けっこう難しい。そこへいくとさすがにプロは違うなあと、掲句にうなる人は多いのではなかろうか。うなると同時に、思わずにやりともさせられてしまう。句が、かの菅原道真の「飛梅(とびうめ)」の歌「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ」を踏まえているからだ。この歌を知った梅の木が、道真の配所・筑紫まで一夜にして飛んでいった話は有名だ。いまでも「飛梅」として、福岡は太宰府天満宮に鎮座している。菅原さんが梅を飛ばしたのに対して、大串さんは藁屋を飛ばしてしまった。梅の木が飛ぶのだったら、藁屋だって飛ぶのだ。そう着想した大串さんの、春のようにおおらかな心を味わいたい。最近では藁屋も見かけなくなったが、三鷹市狐久保に一軒あって、毎日のようにバスの窓から見ている。「きれいに手入れされた屋根だけど、維持費がたいへんだろうなあ」と、ある日のバスの乗客。「あそこは大金持ちだから、あんな家残しておけるんだ」とは、もう一人の乗客。バスも会話も、早春の風に乗って藁屋の傍らを通り過ぎていく。『百鳥』(1991)所収。(清水哲男)


April 1642000

 耕人に傾き咲けり山ざくら

                           大串 章

の段々畑。作者は、そこで黙々と耕す農夫の姿を遠望している。山の斜面には一本の山桜があり、耕す人に優しく咲きかかるようにして花をつけている。いつもの春のいつもと変わらぬ光景だ。今年も、春がやってきた。農村に育った読者には、懐しい感興を生む一句だろう。「耕人」という固い感じの文字と「山ざくら」というやわらかい雰囲気の文字との照応が、静かに句を盛り上げている。作者自註に、こうある。「『傾き咲けり』に山桜のやさしさが出ていればよいと思う。一句全体に生きるよろこびが出ていれば更によいと思う」。山桜の名所として知られるのは奈良の吉野山だが、このようにぽつりと一本、人知れず傾き立っている山桜も捨てがたい。古来詩歌に詠まれてきた桜は、ほとんどが「山桜」だ。ソメイヨシノは明治初期に東京の染井村(豊島区)から全国に広まったというから、新興の品種。あっという間に、桜の代表格の座を占めたようだ。だから「元祖」の桜のほうは、わざわざ「山桜」と表記せざるを得なくなったのである。不本意だろう。『朝の舟』(1978)所収。(清水哲男)


July 1772000

 朝の僧南瓜の蔓を叱りをり

                           大串 章

だ涼しさのある夏の朝の情景。まずは、作者の弁から。「南瓜の蔓(つる)は縦横無尽に這いまわる。垣根に這いあがり、道に這い出る。甚平姿の僧が暴れん坊の南瓜を叱っている」。寅さん映画に出てきたお坊さん(笠智衆)みたいだ。謹厳実直な僧侶なるがゆえに、ユーモラスに見えてしまう。まったくもって南瓜は元気な植物で、どんなにしいたげられても、自己主張をつづけてやまない。くじけない。蔓も葉っぱも暑苦しい姿で、掲句には「さあ、今日も暑くなるぞ」という気分が込められている。この元気がかわれて、敗戦前後の食料難の時代には、庭の片隅はおろか屋根の上にいたるまでが南瓜だらけになった。来る日も来る日も南瓜ばかり食べていたので、我が家族はみんな顔が黄色くなった記憶もある。そんなわけで、私の世代以上にはいまだに南瓜嫌いが多い。つい近年まで、日本料理屋でもそんな風潮を考慮して、無神経にも南瓜を添えるような店は少なかった。ところが、いまでは大手を振って南瓜が出てくる。ある店で聞いてみたところ、板前の世代交代によるものだと聞かされた。当時のことなど何も知らないので、色彩の鮮やかさから、南瓜をむしろ珍重しているのだという。なあるほど。それでは、叱るわけにもいかない。『大串章集』(1986・俳人協会)所収。(清水哲男)


August 2782000

 秋の蚊の声や地下鉄馬喰町

                           大串 章

昼の地下鉄の駅に降りていくと、ときにホームの人影がまばらで、閑散としていることがある。いままでいた地上の街がざわめいていただけに、自分だけ取り残されたような侘びしい気分になる。加えて、弱々しげな「秋の蚊の声」が唐突に傍らをよぎった。「おや」と思うと同時に、作者はここが「馬喰町」(現在の正式名は「日本橋馬喰町」)であることに、あらためて思いが至った。かつて殷賑を極めたであろう馬の市を想像し、蚊や虻はつきものの土地柄だったはずだと、微笑のうちに「秋の蚊」の出現を納得している。都会暮らしの束の間の一場面を、巧みにとらえた抒情句である。なお、四角四面なことを言えば、東京の地下鉄に「馬喰町」という名の駅は存在しない。「馬喰町」はJR総武快速線の駅名で、すぐそばを走る都営地下鉄新宿線のそれは「馬喰横山駅」だ。このときに作者は恐らく、JRから地下鉄に乗り換えるところだったのだろう。この「馬喰(博労)」という職業名も、農耕馬が不必要になって以来、死語に近くなった。「伯楽」から転じた言葉のようだが、諸般の歴史的な事情を考慮して、たしかNHKあたりでは「馬喰」単体では使わないことにしているはずだ。堂々と放送で「バクロウ」と発音できるのは、したがって地名か駅名のみ。『朝の舟』(1978)所収。(清水哲男)


October 10102000

 秋澄むや山を見回す人の眼も

                           大串 章

者が詠んでいる人は、物珍しくて見回しているのではない。山で暮らす生活者の「眼」だ。好奇心の「眼」はきらきらとは光るが、ついに「澄む」までには至らない。山に住む人は、子供のころからずっと山を見回して生きてきたのだし、これからも生きていく。山は、実にいろいろなことを教えてくれるから、半ば本能的に見回すのだ。季節の移ろいを知ることは無論だが、その日の天候を知ることにはじまり、山の活気如何による作物の出来具合、はたまた自分の精神状態まで、それと意識しなくても、見回すだけでわかってくる。「自然にやさしく」などというしゃらくさい「眼」では、見回してもタカが知れている。したがって、この人の見回す「眼」は澄んでいる。澄んでいなければ、見回せない。「澄む」とは、環境に溶けていることだ。都会に暮らす作者は、ひさしぶりに見回す「眼」の澄んでいる人に接して、かつて山の子だった自身の周辺の「眼」を思い出したのだ。そこに、感動がある。見回す「眼」で、それこそ私は思い出した。笠智衆の「眼」だ。たとえば映画『東京物語』を思い出していただきたい。彼が見回すのは、山ではなくて瀬戸内海だが、同じことである。ああいう眼技のできる役者は、少ない。『東京物語』に限らないが、本当にその地で生活している人のように、自然にすうっと見回すことのできる名人であった。見回す「眼」は、いつも澄んでいた。作者主宰俳誌「百鳥」(2000年10月号)所載。(清水哲男)


January 1012001

 冬眠すわれら千の眼球売り払い

                           中谷寛章

作。「眼球」を「め」と読ませている。「目」では駄目なのだ。すなわち物質としての目玉まで売り払って、覚悟を決めた「冬眠」であると宣言している。もはや「われら」は、二度と目覚めることはないだろうと。ここで「われら」とは、具体的な誰かれやグループを指すのではない。強いて言えば、現在にいたるまでの「われ」が理想や希望を共有したと信ずる多くの(「千」の)人々である。そこには、未知の人も含まれている。したがって、せんじ詰めれば、この「われら」は「われ」にほかならないだろう。「われ」のなかの「われら」意識は、ここで壮絶な孤独感を呼び覚ましている。中谷君は、大学の後輩だった。当時は波多野爽波のところにいたようだが、そういう話は一度も出なかった。社会性の濃い話が中心で、常に自己否定に立った物言いは、息苦しいほどだった。共産同赤軍派の工作員と目され公安警察につきまとわれたことは後で知ったが、何事につけ誠実な男だった。いつも「われ」ひとりきりで、ぎりぎりと苦しんでいたのだ。それが若くして病魔に冒され、揚句のような究極の自己否定にいたらざるを得なかった中谷君の心情を思うと、いまだに慰めようもない。句には、明らかに死の予感がある。結婚して一子をあげた(1973年11月)のも束の間、三十一歳で急逝(同年12月16日)してしまった。彼は、赤ちゃんの顔を見られたろうか……。京大俳句会の先輩だった大串章に「悼 中谷寛章」と前書きした「ガードくぐる告別式の寒さのまま」がある。『中谷寛章遺稿集・眩さへの挑戦』(1975・序章社)所収。(清水哲男)


January 3012001

 冬帽子かむりて勝負つきにけり

                           大串 章

の「勝負」かは、わからない。将棋や囲碁の類かもしれないが、いわゆる勝負事とは別の次元で読んでみる。精神的な勝負。口角泡を飛ばしての言い争いというのでもなく、もっと静かで深い心理的な勝負だ。ひょっとすると、相手は勝負とも感じていないかもしれぬ微妙な神経戦……。とにかく、作者は表に出るべく帽子をかむった。独りになりたかった。負けたのだ。それも、勝負がついたから帽子をかむったのではない。帽子をかむったことで、おのずから勝負がついたことになった。「もう帰るのか」「うん、ちょっと……」。そんな案配である。そしてこのとき「冬帽子」の「冬」には、必然性がある。作者の心情の冷えを表現しているわけで、かむると暖かい帽子ゆえに、かえって冷えが身にしみるのだ。この後で、寒い表に出た作者はどうしたろうか。揚句には、そんなことまでを思わせる力がある。見かけは何の変哲もないような句だが、なかなかどうして鋭いものだ。ところで、俗に「シャッポを脱ぐ」と言う。完敗を認める比喩として使われるが、こちらは素直で明るい敗北だ。相手の能力に対する驚愕と敬意とが込められている。どう取り組んでみても、とてもかなわない相手なのである。逆に、揚句の敗北は暗く淋しくみじめだ。帽子を脱ぐとかむるの違いで、このようにくっきりと明暗のわかれるところも面白いと思ったと、これはもちろん蛇足なり。『天風』(1999)所収。(清水哲男)


April 0642001

 都をどり観給ふ母を見てゐたり

                           大串 章

語は「都踊」で、春。四月の間、京都祇園花見小路の歌舞練場で祇園の舞妓・芸妓が公演する絢爛豪華な踊りである。「都踊でよういやな」の掛け声でも有名だ。明治五年にはじまったというから、歴史は長い。田舎の母親を京都見物に招待した作者は、プランのなかに「都をどり」を組み込んだ。しかし、舞台を母が喜んでくれるかどうか心もとない。おそらく、作者も初見なのだと思われる。母のことが気になって、舞台に集中するどころではない。ちらちらと様子をうかがっているうちに「都をどりまぶしと母の微笑みぬ」と、喜んでくれた。ほっとした。招待とはまことに難しいもので、行きつけの飲屋に友人を誘っても、ちょっとこうした気分になる。ましてや、相手は遠く故郷から上洛してきた母親だ。気に入ってもらわなければ、悔いが残る。そんな気の遣いようが、身にしみて伝わってくる。母親からすれば、立派に成長した息子と並んで、一緒に舞台を観ているだけで十分に幸福なのだろう。だが、息子の側としては、そうはいかない。もっともっと喜ばせたい。喜ぶ顔が見たいのだ。と、このように母を思い遣る作者の心には、読者もほろりとさせられてしまう。他者からみれば、なんでもない光景だ。それゆえに、なのである。「給ふ」という表現も、よく生きている。久しぶりの邂逅であるし、今度会うのはいつのことにになるのかわからない。この気持ちが、ごく自然に「給ふ」と言わしめている。『朝の舟』(1978)所収。(清水哲男)


May 0752001

 豆飯の湯気を大事に食べにけり

                           大串 章

べ物の句は、美味そうでなければならない。掲句は、いかにも美味かったろうなと思わせることで成功している。あつあつの「豆飯」を、口を「はふはふ」させながら食べたのだ。たしかに「湯気」もご馳走である。ただし「湯気『も』」ではないから、まさかそう受け取る人はいないと思うが、食料の「大事」を教訓的に言っているのではない。念のため。「大事に」という表現は、作者と「豆飯」との食卓でのつきあい方を述べている。「湯気」を吹き散らすようにして食べるよりも、なるべくそのまんまの「湯気」を口中に入れることのほうに、作者はまっとうな「豆飯」との関係を発見したということだ。「大事に」食べなければ、この美味には届かなかったのだ、と……。もっと言えば、このようにして人は食べ物との深い付き合いをはじめていくのだろう。しかも「大事に」食べる意識が涌くのは、若い間には滅多にないことなので、作者は自分のこのときの食べ方をとても新鮮に感じて、喜んでいる。グリーンピースの緑のように、心が雀躍としている。もとより「大事に」の意識の底には、食料の貴重を知悉している世代の感覚がどうしようもなく動いているけれど、私はむしろあっけらかんと受け止めておきたい。せっかくの、あつあつの「豆飯」なのだ。「湯気」もご馳走ならば、この初夏という季節にタイミングよく作ってくれた人のセンスのよさもご馳走だ。想像的に句の方向を伸ばしていけば、どんどん楽しくなる。それが、この句のご馳走だ。『天風』(1999)所収。(清水哲男)


May 3052001

 ほととぎす晴雨詳しき曽良日記

                           大串 章

蕉『おくのほそ道』の旅に随行した曽良の日記は有名だ。しかし、『曽良旅日記』を単独で読み進める人は少ないだろう。たいていが『おくのほそ道』と場所を突き合わせながら読む。芭蕉の書いていない旅それ自体のディテールがよくわかり、いっそう臨場感が増すからだ。さて掲句だが、突然「ほととぎす」の鳴く声が聞こえてきた。そこでふと『ほそ道』の句を思い出したのだ。殺生石の件りに出てくる「野を横に馬牽きむけよほとゝぎす」である。手綱を取る馬方に短冊を望まれ、上機嫌となった芭蕉が「馬をそっちの方に引き向けてくれ、一緒に鳴き声を聞こうじゃないか」と詠んだ句だ。この日はどんな日だったのかと、作者は曽良の日記を開いてみた。いきなり「(四月)十九日 快晴」とある。眼前に、ぱあっと芭蕉たちのいる広野の光景が明るく広がった。作者の窓の空も、たぶん青空なのだ。推理めくが、ここに「快晴」と記されてなければ、この句はなかっただろう。「快晴」のインパクトにつられて、作者は日頃さして気にも留めていなかった旅日記の天気の項を追ってみた。と、実に詳しく「晴雨」の記述があるではないか。前日には地震があり「雨止」、翌日は「朝霧降ル」など。これだけでも後世の芭蕉理解に大いに貢献しているなと、作者はあらためて「曽良日記」の存在の貴重を思ったのである。……この読みは、独断に過ぎるかも知れない。実は掲句に触発されて『曽良旅日記』の天気の項を拾い読みしているうちに、作者は「ほととぎす」に触発されて曽良を開いたのだろうと思い、そうでないと句意が通らないような気になったのだった。『今はじめる人のための俳句歳時記・夏』(1997・角川mini文庫)所収。(清水哲男)


September 0692001

 秋風を映す峠の道路鏡

                           大串 章

眼の面白さ。地方に出かけるたびに今更のように感じ入ることの一つに、自家用車の普及ぶりがある。私の田舎でもそうだが、どこの家にも必ず車がある。都会地とは違って、車は文字通りの必需品なのだ。自転車でも構わないようなものだが、雨や雪の日、あるいは夜間の外出のことを考えると、やはり車に如くはなし。先日訪れた穂高でも福井でも、そのことを感じた。田舎道をテクテク歩いている人の姿は、なかなか見かけられなかった。近所の人とも、互いに車ですれ違うという印象だ。したがって、あちこちに道路標識が立ち、「峠(とうげ)」のカーブには「道路鏡(ミラー)」も立つ。作者もおそらく峠道を車で登ってきて、景色を楽しむべく車から降りて一休みしているのだろう。で、ふと近くに立っている「道路鏡」に気がついた。次から次へと車が通る場所ではないので、ミラーが映しているのは、ただそのあたりの草や木の情景だけである。このミラーは、ほとんど本来の用途である車を映すこともなく、いつまでもじっとこの場所に立っている。ミラーのその空漠たるありようを、作者は木や草を映すと言わずに、「秋風を映す」と仕留めた。峠の「道路鏡」が、鮮やかに見えてくるようだ。『天風』(1999)所収。(清水哲男)


October 09102001

 山の蟻叫びて木より落ちにけり

                           大串 章

の作者にしては、珍しくイメージをそのまんまポイッと放り出したような句だ。面白い。むろん「蟻」は豚とちがって(笑)、おだてられなくても日常的に木には登るが、これが落っこちるという想像にまで私は行ったことがなくて、意表を突かれた。そうだなあ、登った以上は、なかには落っこちる奴だっているかもしれないな。それも「叫びて」というのだから、それこそ意表を突かれての不慮の落下なのだろう。百戦錬磨の「山の蟻」が足を踏み外すなんてことは考えられないので、よほどの思わぬ事態に遭遇したのか。「ああっ」と叫びながら、小さな「蟻」にとっては奈落の底と感じられるであろう所まで落ちていった。叫び声が「ああっ」かどうかは読者の思いようにまかされているけれど、そして決して「蟻」は叫ばないのだけれど、この叫び声が読者には確かに聞こえるような気がするという不思議。これも、俳句様式のもたらす力のうちである。叫びながら落ちていった「蟻」は、しかし、死ぬことにはならないだろう。人間である読者の常識が、そう告げている。そこに、句の救いがある。そして、しかしながら「蟻」の叫び声は読者の虚空にいつまでも残る。何故か。私たちが「蟻」ではなくて、ついに「人」でしかないからなのだ。なお、季語は「蟻」で夏に分類されている。俳誌「百鳥」(2001年10月号)所載。(清水哲男)


January 1512002

 上流や凍るは岩を押すかたち

                           ふけとしこ

語は「凍(こお)る」で冬。寒気のために物が凍ることだけではなく、凍るように感じることも含む。川の上流は自然のままなので、岩肌がゴツゴツと露出している。厳寒期になって飛沫がかかれば、当然まずは岩肌の表面から凍っていくだろう。そして、だんだんと周辺が凍ることになる。その様子を指して、凍っていく水が「岩を押すかたち」に見えるというのだ。「凍る」という現象を視覚的な「かたち」に変換したことで、自然の力強さが読者の眼前に浮かび上がってくる。なるほど、たしかに岩が押されているのだ。掲句を読んだ途端に、大串章に「草の葉に水とびついて氷りけり」があったことを思い出した。言うならば岩を飛び越えた飛沫が「草の葉」にかかった情景を、繊細な観察力で描き出した佳句である。岩を押す力強さはなくても、これもまた自然の力のなせるわざであることに変わりはない。再び、なるほど。たしかに草の葉はとびつかれているのだ。岩は押され、草の葉はとびつかれと、古来詠み尽くされた感のある自然詠にも、まだまだ発見開拓の期待が持てる良句だと思った。「ホタル通信」(22号・2002年1月8日付)所載。(清水哲男)


April 0842002

 書道部が墨擦つてゐる雨水かな

                           大串 章

誌の月号表示を追い越すように、季節がどんどん進んでいく今日この頃、ならばと時計を二ヶ月ほど逆回転させても罰は当たるまい。季語は「雨水(うすい)」で春。根本順吉の解説を借用する。「二十四節気の一つ。陰暦正月のなかで、立春後15日、新暦では2月18、19日にあたる。「雨水とは「気雪散じて水と為る也」(『群書類従』第19輯『暦林問答集・上』)といわれるように、雪が雨に変わり、氷が融けて水になるという意味である」。早春の、まだひんやりとした部室だ。正座して、黙々と墨を擦っている数少ない部員たちがいる。いつもの何でもない情景ではあるのだが、今日が雨水かと思えば、ひとりでに感慨がわいてくる。表では、実際に雨が降っているのかもしれない。厳しい寒さがようやく遠のき、硯の水もやわらかく感じられ、降っているとすれば、天からの水もやわらかい。このやわらかい感触とイメージが、部員たちの真剣な姿に墨痕のように滲み重なっていて美しい。句には派手さも衒いもないけれど、まことに「青春は麗し」ではないか。こうしたことを詠ませると、作者と私が友人であるがための身贔屓もなにもなく、大串章は当代一流の俳人だと思っている。「書道部」と「雨水」の取りあわせ……。うめえもんだなア。まいったね。俳誌「百鳥」(2002年4月号)所載。(清水哲男)


October 02102002

 台風一過小鳥屋の檻彩飛び交ふ

                           大串 章

風一過というと、まず真っ青な空が目に浮かぶ。「やれやれ」と安堵して、ひとりでに目が空を泳いでしまう。そんな句が(たぶん)多いなかで、作者の視点はユニークだ。真っ暗だった街に生気がよみがえってきた様子を、「小鳥屋の檻」のなかで「飛び交ふ」鳥たちの色彩に託して詠んでいる。普段ならば、檻の中の小鳥は必ずしも生気を示しているとは言えないけれど、台風で周囲が暗かっただけに、とりわけて「彩」が目立つのだ。ところでこの小鳥たちは、平常どおりの動きをしているのだろうかと思った。というのも、掲句が載っている『合本俳句歳時記・第三版』(1997)の隣りに、加藤憲曠の「一樹にこもる雀台風去りし後」があったからである。雀の生態は知らないが、この句の雀たちは、明らかにおびえている。身を寄せ合って、なお警戒していると写る。野生の本能的な身構えだ。比べて、飼われている鳥たちはどうなのだろうか。まったく野生が失われているとは考えられないから、やはり天変地異には敏いのではあるまいか。だとすれば、台風後のこの鳥たちは、いわば狂ったように飛び回っているのかもしれない。美しい狂気。「鳥篭」と言わず、敢えて「檻」としたのは、そのことを表現するためだと読むと、句の景色はよほど変わってくる。(清水哲男)


November 23112002

 雪吊を見おろし山の木が立てり

                           大串 章

語は「雪吊(ゆきつり)」で冬。やがて来る雪の重みで、庭木の枝が折れないようにする冬支度の一つ。金沢兼六園の雪吊は、冬の風物詩としても有名だ。そんな雪吊の様子を、周辺の「山の木」が「見おろし」ている。山の木に心があれば、過保護に甘んじている庭の木を冷笑するであろうか。……などと、つい思ったりするのが人間の哀れなところで、何でもかでも人間世界に移し替えて読んでしまうのは悪い癖だ。作者は、確かに「見おろし」と山の木を擬人化してはいる。が、これを「見くだし」などと読まれないように、意図的にそっけなく「立てり」と押さえて、ただ邪心なく淡々と立っている姿を強調している。「立てり」に違う言葉を配すると、にわかに句が生臭くなる。さて、この句の最も魅力的なところは、雪吊一事をレポートするに際しての視野の案配である。目の前の事象を等身大に見据えつつ、すっとカメラを引いたような視野の広げ方が面白い。あくまでも、雪吊は作者の目の前にある。もしかすると、山はよく見えていないのかもしれない。その眼前の光景を、あっという間に点景に変化させてしまっている。カメラでこの広い視野を得るには、ちょっとしたテクニックが必要だ。が、人間にはそれがいらない。苦もなく、頭の中で調節が可能である。地味な句柄に見えるが、なかなかどうして、仕掛けはむしろ華麗と言うべきではなかろうか。『百鳥』(1991)所収。(清水哲男)


March 1832003

 四人家族の二人は子ども野に遊ぶ

                           大串 章

語は「野に遊ぶ(野遊び)」で春。これからの季節、近所の井の頭公園あたりでは、こんな家族連れのピクニック姿をよく見かけるようになる。若い両親と幼い子どもたち。「四人家族」ならば、たいていは「二人は子ども」だ。当たり前の話だけれど、あらためてこうして文字にしたり、口に出してみると、家族という単位がくっきりと浮かび上がってくる。浮かび上がると、「そういえば、我が家もそうだった。こんな時期もあったなあ」と、見ず知らずの四人家族にシンパシーを感じてしまう。通りすがりの単なる点景が、ぐんと身近なものになる。ここらへんが俳句の妙で、詠まれている当たり前のことが、当たり前以上のことをささやきはじめるのだ。私のところも四人家族。ご多分に漏れず、子どもたちが小さかったころには、「野遊び」なんて高尚なものではなかったが、あちこちとよく出かけてたっけ。その子どもの小さいほうが、きのう、人並みの袴姿で卒業した。なんだか知らないけれど、ついに「ジ・エンド」という感じである。もはや、家族四人で出かけることもないだろうな。まことに遅きに失した感慨だが、掲句に接して、そんなよしなしごとまで思ってしまった。この若い家族に、幸あれ。俳誌「百鳥」(2001年4月号)所載。(清水哲男)


August 1182003

 炎天下亡き友の母歩み来る

                           大串 章

省時の句だ。句集では、この句の前に「母の辺にあり青き嶺も沼も見ゆ」が置かれている。久しぶりの故郷では、山の嶺も沼も昔と変わらぬ風景が広がっていて、母も健在。なんだか子供のころに戻ったようなくつろいだ気持ちが、「母の辺にあり」からうかがえる。暑い真昼時、作者は縁側にでもいるのだろう。懐しく表を見ていると、遠くから人影がぽつんと近づいてきた。「炎天下」を、昔と変わらぬ足取りでゆっくりと歩いてくる。すぐに「亡き友の母」だとわかった。田舎では、めったに住む人の移動はないから、はるかに遠方からでもどこの誰かは判別できるのだ。このときに、作者の心は一瞬複雑に揺れたであろう。歩いてくるのは、友人が生きているのなら、こちらのほうから近寄っていって挨拶をすべき人である。だが、それをしていいものか、どうか……。自分の元気な姿は、かえってその人に亡き息子のことを思い出させて哀しませることになるのではないか。結局、作者はどうしたのだろう。私にも経験があるが、むろんきちんと挨拶はした。が、なるべく元気に映らないように、小さな声で、ほとんど会釈に近い挨拶しかできなかった。その人のまぶしそうな顔が、いまでも目に焼きついている。風景は少しも変わらなくても、住んでいる人の事情は徐々に様々に変化していく。掲句は、まことに静かな語り口でそのことを告げている。『山童記』(1984)所収。(清水哲男)


December 17122003

 牡丹鍋力合せて食ひにけり

                           大串 章

語は「牡丹鍋(ぼたんなべ)」で冬。イノシシの肉の鍋料理だ。食べると、身体がホカホカする。だいたいが関西から発した料理らしく、東京あたりでは店も少ない。イノシシの生息地と関係があるのだろう。いまでも六甲山麓一帯の住宅地などでは、たまに見かけられるという話だ。句の「力合せて」が上手い。なにせ、相手は全力で猛進してくるイノシシだもの。力を合わせなかったら、みんなぶっとばされちまう。というのは半分冗談だが、半分は本当だ。料理屋などの一人前という量は何を基準にしているのかよくわからないが、少なくとも高齢者の食欲を目安にはしていないだろう。かといって、食べ盛りの若者のそれでもない。あいだを取って二で割ったようなものだから、老人には多すぎるし、若者には少なすぎる。作者は、むろん後者の年代に入る。若い頃ならぺろっと食べられた量が、いまでは持て余すほどだ。いっしょに鍋を囲んでいる連中も、みな同じ。残したって構わないようなものだけれど、なんだかもったいない。とりわけて作者の世代は、敗戦後の飢えを知っている。もったいないと思う気持ちには、単なるケチというのではなく、残したものが捨てられるかと思うと、身を切られるような気がするのだ。そこで誰言うとなく、「よしっ、みんな食っちまおうぜ」ということになった。こうなると、もう味は二の次だ。ひたすら食うことだけを自己目的化して、食いに食いまくる。そして全部を食べ終わったときの満足感たるや、ない。そこから自然に立ち上がってきたのが、「力合せて」の実感である。この滑稽さのなかに漂っているほろ苦い隠し味……。俳誌「百鳥」(2003年3月号)所載。(清水哲男)


January 2412004

 鮟鱇の句ばかり詠んでまだ食はず

                           大串 章

語は「鮟鱇(あんこう)」で冬。食べる機会がなかったのか、食べたくないので食べなかったのか。いずれにしても句の素材にはよく使ってきたのだが、「まだ食はず」。ははは、なかなか正直でよろしい。かくいう私も、これまで一度も食べた覚えがない。美味というが、どんな味がするのだろう。実はこの冬にある詩人に誘われて、本場茨城まで鍋を食べに行く予定だったが、彼の突然の入院で、あえなく中止となってしまった。この分では、一生食べないままで終わりそうだ。私の場合は食べたいとは言っても、とりあえず「ハナシのタネに」程度の願望だから、それはそれで構わないのだけれど……。ところで掲句の味は、正直がおのずからユーモアに転化しているところにある。作者も、そこを意図して詠んでいる。だが、何でもかでも正直に言えばユーモラスな味が出るかといえば、そうはいかないところが微妙である。季語の使用に際しては、詠む当人はもとより、読者もその物や事象をよく知っていることが前提だ。この約束事を無視してしまえば、有季定型句は崩壊する。だから句の鮟鱇などは、作者が食べていなくても姿を知っていることで前提は崩れないけれど、他の季語ではいわゆる知ったかぶりでしかない使用句も散見される。例えば何故か人気の高い「涅槃(ねはん)」句の半分以上は、私の偏見からすると、その意味で同意できない。このときに仮に「涅槃句を作りつづけて本意知らず」と正直に言う人がいたとしても、絶対にユーモアには転化しないのである。掲句は、そうした知ったかぶり句に対し、あえておのれを道化役にして、やんわりと皮肉っているようにも読めてくる。『天風』(1999)所収。(清水哲男)


March 2732004

 春まつり老いては沖を見るばかり

                           大串 章

語は「春まつり(春祭)」。春におこなわれる祭りの総称。農耕のはじめにあたって作神を迎え五穀の豊穰を祈り、疫病などを祓うための祭りというのが本義である。句の自註に、こうある。「漁村の近くで祭の法被を着た子供達に出会った。菓子袋をもち、祭の帰りらしかった。道端に坐って海を見ていた老人のことを思い出した」。句からこの背景までは読み取れないが、老人の遠い目が印象的だ。同じように「沖」を見るとしても、若者よりは老人のほうがはるかに遠い目をする。何かを思い出しているような目、何かを考えているような目。もっと言えば、老人の目は遠くをはっきり見ようとする目ではないだろう。ただ遠くに視線を送ることによって、むしろ内面を見つめるためと言おうか、来し方のあれこれを反芻するためと言おうか、あるいは逆に何も思わないで時間をやり過ごすためなのか。傍目には、そんなふうに写る。少年時代に友人の祖母が、いつも縁側の同じ場所に坐って、物言わず遠くを見ていたことを思い出した。何歳くらいだったのだろうか。とにかく昔からずっとお婆さんだったような小さな人で、しょっちゅう遊びに行っていたけれど、一度も声を聞いたことがなかった。物静かな印象を通り越し、なんだか生ける置物のような感じがして不気味に思えたこともある。その人の遠い目は、山国なので山なみに向けられていたのだったが、何かを見ようとしている目でないことは、私のような子供にもよくわかった。句の老人も、きっとそんな目をしていたにちがいない。そういえば、若い頃から老人役を好演した笠智衆は遠い目をする名人だった。『百鳥』(1991)所収。(清水哲男)


November 28112004

 雨降つて八犬伝の里に柿

                           大串 章

存知『南総里見八犬伝』。曲亭馬琴が28年もの歳月をかけて書いた一大長編小説だ。ただ、どなたも題名はご存知なのだが、原文で読んだ人となるともはや寥々たるものだろう。かくいう私も、かつて子供向きの本で読んだにすぎない。「八犬伝の里」といえば、南房総は富山付近だろうか。普段は明るいイメージのある里に、今日は冷たい雨が降っている。雨に濡れた柿は淋しい感じのするもので、ここが八人の剣士の大活躍したところだと思うと、往時茫々の感を禁じ得ないのだ。このときに作者は、雨中に鈍く光っている柿の玉から、八剣士たちを結びつけた「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」の霊玉を連想したかもしれない。強者どもが夢のあと、昔の光いま何処と、作者の感傷は少しく深まった。この小説はいわゆる勧善懲悪ものだが、江戸の人に人気があったのは、たぶんこれらの玉の出所に、まず謎めいたところがあったからだと思う。玉を持っていたのは里見氏城主の娘・伏姫で、彼女はわけあって八房という城主の愛犬と洞窟に籠った。その犬を許婚者が鉄砲で撃ち殺すのだが、既に姫は八房の気を感じて身ごもっており、彼女は許婚者に身の純潔を証明するため自害してしまう。このとき飛び散ったのが八つの玉という設定だ。すなわち、これらの玉には猟奇的な感じがつきまとう。説教小説にしては、初期設定が妖しすぎる。これなら今後どんな妖しいことが起きても不思議ではないと、当時の人々は成り行きに固唾を飲んだにちがいない。「俳句」(2004年12月号)所載。(清水哲男)


June 0362005

 慷慨のうた世にすたれ瓜の花

                           大串 章

語は「瓜の花」で夏。胡瓜、南瓜、マクワウリ、糸瓜やひょうたんなど、ひょうたん科瓜類の花の総称だ。「慷慨(こうがい)」は、世の中や自分の運命を憤り嘆くこと。悲憤慷慨。作者が「慷慨のうた」というとき、どのあたりのうたをイメージしたのだろうか。典型には、たとえば戦前の「青年日本の歌」(三上卓・作詞作曲)がある。「汨羅の淵に波騒ぎ 巫山の雲は乱れ飛び 混濁の世に我れ立てば 義憤に燃えて血潮湧く」。三上卓は五・一五事件の決起将校の一人で、この歌は「昭和維新の歌」として、当時の若者たちに広く歌われたという。また広い意味では、「起て、飢えたるものよ」の「インターナショナル」なども慷慨歌に入れてよいだろう。そして時が過ぎ、いまやそうした歌はすっかりすたれてしまった。思い出す人も、もう少ない。それはあたかも、黄色い強烈な色彩で咲きながら、濃い緑の葉の奥のほうでひっそりと萎えている「瓜の花」を思わせる。と同時に、瓜の花は昨日も今日もそして明日も、凡々として過ぎてゆく日常の時間を暗示している。平凡な日々に「慷慨」の気はありえない。もとより作者は乱世を好むものではないけれど、「慷慨のうた」に血をわかすような若者の意気が沈滞してしまったことにも、一抹の寂しさを覚えているのではなかろうか。私の「瓜の花」は、戦中戦後の食糧難をしのいだときに、いやというほど目にした南瓜の花だ。そのころにはまだ、少年たちにすら「慷慨のうた」があった。『百鳥』(1991)所収。(清水哲男)


July 0272005

 夜店より呼びかけらるることもなし

                           大串 章

語は「夜店」で夏。夜店を「冷やかす」と言う。とくに何かを買うというのではなく、ぶらぶらと見て回りながら、その雰囲気を楽しむ。店の人と軽口を叩き合うのも楽しい。作者も冷やかして歩いている。「呼びかけら」れれば、冗談口の一つや二つは交わすつもりでいたのに、しかし「呼びかけらるることもなし」に終わってしまった。思い返せば今宵に限らず、いつだってそうだったなあという苦笑まじりの感慨がわく。私も、呼びかけられないクチだ。不思議なもので、逆にいつも「シャチョーッ」だの「オニーサン」だのと声をかけられる友人もいる。夜店の人からすれば、呼びかけやすいタイプとそうでないタイプの人があるのだろう。たとえ買ってくれそうにはなくても呼びかけて、その場の雰囲気を盛り上げてくれる客が直感的にわかるのだ。そういえば、放送の仕事での街頭インタビューでもそうだった。そのときの私は夜店の主人の立場にあったわけだが、だんだん経験を積んでゆくうちに、マイクを向けても大丈夫な人と駄目な人とが見た目でわかるようになってきた。駄目そうだなと思った人は、まずたいていが何も言ってくれない。たとえしゃべってくれても、面白くなかったり要領を得なかったりする。したがってこちらも能率を考えるから、呼びかけやすいタイプの人だけに近づくことになってしまう。これは何も私に限った話ではなく、ほとんどのインタビュアーやディレクターがそうしているはずだ。テレビやラジオのインタビューに答えている人は、いかにも一般の声を代表しているように聞こえるが、実は一般の人のほんの一部しか代表していない理屈になる。『大地』(2005)所収。(清水哲男)


October 06102005

 山里の子も毬栗も笑はざる

                           大串 章

語は「毬栗(いがぐり)」で秋、「栗」に分類。かつて、作者もまた「山里の子」であった。往時の自分や友人たちの表情と重ねあわせての作句だと思う。最近の箱根で詠んだ句のようだが、たまたま道で出会った「子」の顔に笑いがないことに気がついて、ハッとしている。この場合、笑いとはいっても微笑み程度のそれだ。もっと言えば、社交辞令的な笑いである。都会に暮らしていると、大人はもとより、子供にもコミニュケーションをスムーズにするための微笑みは不可欠だろう。大人に声をかけられたりすると、たいていの子は笑みを含んだ表情をする。ところが、句の「子」はにこりともしなかった。山里ゆえに、不特定多数の人々とのコミニュケーションの必要がないせいである。可笑しくもないのに、知らない人にへらへらとはできない。べつにそういう信念があるわけでもないのだが、都会の子のようにちょっと笑みを含むことすらも、不本意な媚びに通じるようで嫌なのだ。そんな子の表情を久しぶりに見た作者は、子供だった頃の自分たちもそのようだったと思い出して、笑わない里の子に大いに共感を覚えたのだった。折しも頭上には爆ぜかけた毬栗が見られ、笑い顔に見えないこともないけれど、その子の表情を見た目には、もうそのようには写らない。マセてもいないしスレてもいないピュアな表情の魅力。ついでにこの子が毬栗頭であれば面白いのにとも思ったが、そこまでは、どうだったのかしらん……。俳誌「百鳥」(2005年10月号)所載。(清水哲男)


February 2022006

 絵葉書の消印は流氷の町

                           大串 章

語は「流氷(りゅうひょう)」で春。結氷の初期に流氷をみることもあるようだが、豪壮な流氷をみるのはやはり春になってからだ。そんな「流氷の町」から絵葉書が届いた。紋別か網走か、それとも釧路あたりからだろうか。ただそれだけの句だけれど、この句は絵葉書というメディアの特性をよく伝えていて面白い。普通の葉書だと、私たちはあまり消印まで見たりはしないものだが、絵葉書の場合には消印まで読むことが多い。絵葉書はたいてい旅先からの便りだから、印刷されている画面や書かれた文面とは別に、消印が発信人の投函場所を客観的に保証するからである。そしてこの消印のほうが、受け取った側に、より詳細で興味深い情報をもたらすこともある。下世話に言えば、「へえっ、あいつはまたどうして、こんなところにまで出かけたのだろうか」などと、消印一つからいろいろなことが思われるのである。句の絵葉書にしても、絵(写真)や文面には流氷のことは何もなかったのかもしれない。広い北海道のどこからかの発信ということはわかったが、よくよく消印を見ると流氷の名所として知られた町からのものだった。それがわかったとなると、受け取った側では、いろいろと想像をめぐらしたくなってくる。が、作者はそのあたりの心の動きをあえて書かずに、ぽんと放り出している。それがかえって読者にインパクトを与えるのは、やはり俳句様式ならではの表現の面白さと言うべきだろう。『天風』(1999)所収。(清水哲男)


April 1742006

 幼子と風船売りと話しゐる

                           大串 章

語は「風船」で春。若い頃から、子供の情景を詠むのに秀でた俳人だ。掲句は近作だが、あいかわらず上手いものである。公園か、遊園地か。「幼子(おさなご)」が風船売りの男と話している。ただそれだけの図だけれど、読者の想像力はいろいろに刺激される。たぶんこの子は、物おじしないタイプなのである。私などには、かなりおしゃまな女の子の姿が浮かんでくる。彼女は自分から風船売りに話しかけたはずで、適当に相手になっている男の顔をまっすぐに見ながら、いっちょまえの口をきいている様子が、ほほ笑ましくもリアリティを伴って伝わってくる。「生意気な可愛らしさ」とでも言おうか。作者は、そうした子供の特性を生かすための構図取りが、いつも実に的確である。で、この句にはつづきがあって次のようだ。「風船を持たされ鳩を見てをりぬ」。がらりと変って、この句の主人公はおしゃまな女の子の親か祖父母である。幼子が風船売りに話しかけたばっかりに、風船を買い与える羽目となり、おまけにそれの持ち役にまでされてしまった。委細構わず、そのへんを元気に飛び歩いている女の子と、とうていペースが合わず、風船を持って所在なげに鳩でも見ているしかない大人。この構図もまた、句にはまったく現れていない幼子の様子を活写していると言ってよい。作者はこの春、句集『大地』で俳人協会賞を受賞した。「俳句研究」(2006年5月号)所載。(清水哲男)


April 2742006

 春田より春田へ山の影つづく

                           大串 章

語は「春田(はるた)」。まだ苗を植える前の田のことで、掲句の情景では、水も豊かにきらきらとさざ波を立てている。車窓風景だろう。行けどもつづく春の田に、沿った山々が同じような影を落としている。単調ゆえの美しさ、いつまでも見飽きない。「自由詩」を書いてきた私などには、このような句に出会うと、まぎれもない「俳句」が確かにここにあるという感じを受ける。この情景を同様に詩に書くことは可能だろうが、しかし掲句と同様の美しさを描き出すことは難しいと思う。少なくとも私の力では、無理である。書いたとしても、おそらくはピンボケ写真のようになってしまい、この句のように視線が移動しているにもかかわらず、春田に写る山影を一つ一つかっちりと捉えて、読者に伝える自信はない。また、そういうことが頭にあるので、たまに作句を試みるときにも、この種の題材を敬遠してしまうということも起きてくる。どうしても、まずは自由詩の窓から風景や世間を覗く癖がついているので、そこからポエジーの成否を判断してしまうからだ。詩人の俳句がおうおうにしてある種のゆるみを内包しがちなのは、このあたりに原因があると思われる。そこへいくと掲句の作者などは、もうすっかり俳句の子なのであるからして、俳句様式が身体化していると思われるほどに、詩人がなかなか手を触れられない題材を自在に扱って、ご覧の通りだ。句柄は地味だが、ここで「俳句」は最良の力を発揮している。『大地』(2005)所収。(清水哲男)


June 0162008

 噴水に真水のひかり海の町

                           大串 章

つの視点を、この句から感じることができます。まずは首を持ち上げて、「見上げる」視点です。空へ向かって幾度も持ち上げられて行く噴水を、下から見上げています。おそらく公園の一角でしょう。歩いていたら突然目の前に水が現れる、ということ自体がわたしたちにはうれしい驚きです。それまでの時間がしっとりと湿ってくるような感じがするものです。その水を明るい空へ放り投げてしまおうと、初めて考えたのはいったい誰だったのでしょうか。もう一つの視点は、上空から町と、その向うに広がる海を「見下ろす」ものです。晴れ上がって、どこまでもすがすがしい空気に満ちた、清潔な町並みと、静かに打ち寄せる波が見えてきます。言うまでもなくこの句の魅力は、噴水が真水であることの発見にあります。そんなことは当たり前じゃないかという思いは、その後に海と対比されることによって、気持ちのよい納得に導かれるのです。理屈はどうあれ、透き通った二つの視点を与えられただけで、わたしは句に接するうれしさでいっぱいになるのです。『角川俳句大歳時記 夏』(2006・角川書店)所載。(松下育男)


July 0672009

 孫悟空白雲木の花と馳す

                           大串 章

悟空とは、また懐しや。いまでは漫画化やアニメ化もされていて、誰にもお馴染のキャラクターだが、作者や私の子供時代には、その活躍ぶりは活字の世界の中にしかなかった。ということは、誰もがそれぞれに固有の孫悟空像をイメージしていたので、世界中には無数の孫悟空が「存在」したわけだ。だから悟空がキント雲に乗って空を馳せ回るといっても、この雲のイメージも、それぞれに違っていたはずである。『西遊記』の原文にキント雲の色や形状の説明がなされているのかどうかは知らないけれど、愛すべき猿の妖怪が乗るのである以上、あまり邪悪な印象を与える黒雲を想像する子供はいなかったのではあるまいか。作者もまた、真っ白な雲に飛び乗り如意棒を携えて空を行く颯爽とした姿に憧れていたのだろう。そんな少年時から幾星霜の時を隔て、たなびくように白い花を咲かせた白雲木(はくうんぼく)を眺めているうちに、ふと孫悟空を思い出し、これぞあのキント雲ではないかと、膝を叩いたときの句だ。楽しい句だが、それにとどまらず、二度と戻らぬ子供時代への愛惜の情も滲んでいて、読者の心をしんとさせる。なお、私の手元の歳時記に「白雲木」の項目は見当たらないが、この木は「エゴノキ」と同属であり、花期(初夏)も形状(白雲木のほうが葉が大きくて丸い)もよく似ているので、当歳時記では夏の季語に分類しておく。俳誌「百鳥」(2009年7月号)所載。(清水哲男)


November 16112009

 かたつむり紅葉の中に老いにけり

                           大串 章

見だろうか。実見にせよ想像にせよ、いまの季節に「かたつむり」に着目したセンスの良さ。紅葉との取り合わせが、実に鮮烈だ。俳句に限らず、こうしたセンスを生かせる能力は天性のものと言ってよいだろう。勉強したり努力したりして、獲得できるものではない。ここらへんが、人間の面白さであり味である。紅葉の盛りのなかで、かたつむりがじっとしている。梅雨ごろにはノロマながら這い回っていたのに、いまは死んだように微動だにしていない。かたつむりの生態は知らないけれど、寒さのゆえにじっとしているというよりも、作者は老いたがゆえだと断定する。根拠は無い。無いが、その様子にみずからの老いてゆく姿(このとき作者は五十代後半)を投影して、近未来の自分のありように重ね合わせている。これは頭ででっち上げた詠みではなくて、ごく自然に口をついて出てきたそれである。章句の良さは、情景から思わずも人生訓などを引き出しそうになる寸前で詠みを止めてしまうところだ。最近は、とくにそう感じることが多い。これもまたセンスなり。数多ある紅葉句のうちでも、秀抜な一句である。『天風』(1999)所収。(清水哲男)


January 1112010

 無造作に借りて巧みに羽根をつく

                           大串 章

うそう、ときどきいましたね、こういう「おばさん」が。いや「おじさん」かもしれないけれど、なんとなくもっさりした感じの大人に羽子板を貸してみたら、いやはや上手いのなんのって。凧揚げにもいたし、独楽回しにもいた。昔とった杵柄だ。「巧みに」つく人の風貌は描かれていないが、それは「無造作に」で言い尽くされている。「よし」と張り切るのでもなく、「よく見てなさい」とコーチじみたことを言うわけでもない。ごく当たり前の涼しい顔をして、難しいポイントからでも、ちゃんと相手の打ちやすいポイントへと羽根を打ち上げてくれるのだ。そして、少し照れくさそうな顔をしてさっさと引き下がる。格好良いとは、こういうことでしょう。それにしても、昨今は羽根つきする子供らの姿を見かけなくなった。他にもっと面白い遊びがあるからという説もあるが、その前に、遊ぶ場所がなくなったことが大きいと思う。道路は車に占領され、マンション住まいには庭もない。近所の学校だって、校庭は閉鎖されている。今日は成人の日。振袖姿のお嬢さんたちのなかで、正月の羽根つきを楽しんだことのある人は、ほんのわずかでしかないだろう。おそらくは皆無に近い。したがってこれからの時代には、もう掲句のような場面を詠み込んだ句は出現してこない理屈となる。『山河』(2010)所収。(清水哲男)


January 2012014

 遠き日の藁打つ音に目覚めけり

                           大串 章

の間の農家では、藁仕事が欠かせなかった。俵、草履、縄、筵などの一年を通じて日常的に必要なものをこしらえておく。子供でも、縄や草履くらいは自前で作ったものだった。そんな作業をはじめる前に、必ずやったのが「藁打ち」だ。適当な分量の藁束を、小さな木槌でていねいに叩いてゆく。素材の藁を作業しやすいようにしなやかな状態にしておくためだ。そんな藁を打つ音も、いまではまったく聞かれなくなったが、昔はそこらじゅうから聞こえてきたものである。句の作者は、何かの物音で目覚めたのだが、どういうわけか一瞬にしてそれが藁を打つ音だと納得している。現実的にそんなことはあり得ないのに、夢うつつの世界では、こういうことはよく起きる。そしてこのときに、作者は「遠き日の」自分自身に同化している。まったき少年と化している。人生は夢のごとしと素直に感じられるのも、またこういうときだろう。「俳句」(2014年1月号)所載。(清水哲男)


October 13102014

 夜汽車明け稲の穂近し吾子近し

                           大串 章

ぼ半世紀前の句。初産の妻を故郷の実家に帰していたところ、無事に吾子誕生の知らせが入り、作者は急遽夜行で故郷に向かった。夜汽車に揺られながらの帰郷。当時はごく普通の「旅」であった。が、いつもとは違い、そう簡単には寝つけない。もんもんとするわけではないのだが、初めての子供の誕生に気が昂ぶっているせいである。父親になったことのある人ならば、この気持ちをつい昨日のことのように思いだすことができるだろう。久しぶりにこの句を読んで、私も往時の興奮した気分を思いだした。そして、ようやくうつらうつらとしはじめた目に、夜明けの故郷、まぎれもない故郷の田園風景が目に染み入ってきて、「いよいよだな」とまだ見ぬ吾子が具体的に近づいてきたことを知らされる。変な言い方だが、ある種の「覚悟」が決まるのである。そんな初々しい感慨が詰まった句だ。もう一句。「妻より受く吾子は毛布の重さのみ」。人生、夢の如し…か。『朝の舟』(1978)所収。(清水哲男)


November 15112015

 花嫁を見上げて七五三の子よ

                           大串 章

んな句評があります。「着飾った子どもを連れて、神社に参詣に出かけた。親の目からすれば、当然この日の主役はわが子なのだが、子どもにしてみれば主役の意識などはいささかもない。したがって、折しも神社で結婚式という花嫁を見かけた途端に、子どもは口あんぐりと花嫁姿に見惚れてしまったというわけだ。お前だって主役なんだよ。そう言いたい気持ちもあるけれど、親としてはただ苦笑しているしかないという場面である。主役意識のない七五三の子どもの句は多いが、着飾った者同士の対比から 描いた句は珍しい。」講談社『新日本大歳時記 冬』(1999)所載で、清水哲男の署名があります。句も評も見事なので七五三の今日、紹介させていただきました。十一月は秋の結婚シーズンでもあるので、掲句のような微笑ましい光景は、どこかの神社で見られそうです。この子どもは、男の子でも女の子でもありうるでしょう。けれども、花婿ではなく、花嫁に視線が集まるのが世の常で、老若男女みな然りです。あらためて、結婚式の主役は花嫁なんですね。花嫁がみんなの視線を持って行く。他に「タクシーに顔がいっぱい七五三」(青山丈)があり、祖父母も交えた三世代が揃って、孫を膝に乗せている姿です。子どもが主役のハレの日は、おだやかな小春日和が似合います。(小笠原高志)




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