驤エ譛ィ逵溽ょ・ウ縺ョ句

July 2571996

 死なふかと囁かれしは蛍の夜

                           鈴木真砂女

派大悲劇の幕開けではない。遠い日の蛍の夜を思い返しているうちに、「死なふか」という声がリアルによみがえってきた。しかし、その声の主は幻。あるいは、その声はみずからが自分に向けて囁いたもの。青春は過ぎやすし。そして、その思い出は幻として浄化される。この句を事実と読むのはもとより自由だが、そう読んでは面白くないと、私は考える。『都鳥』所収。(清水哲男)


October 01101997

 笑ひ茸食べて笑つてみたきかな

                           鈴木真砂女

い好奇心からの句ではあるまい。八十歳を過ぎ、心から笑うことのなくなった生活のなかで、毒茸の助けを借りてでも大いに笑ってみたいという、一見するとしごく素直な心境句である。が、しかし同時にどこか捨て鉢なところもねっとりと感じられ、老いとはかくのごとくに直球と見紛うフォークボールを投げてみせるもののようだ。よく笑う若い女性にかぎらず、笑いは若さの象徴的な心理的かつ身体的な現象だろう。どうやら社会的な未成熟度にも関係があり、身体的なそれと直結しているらしい。したがって、心理的なこそばゆさがすぐにも身体的な反応につながり、暴発してしまうのだ。私はそれこそ若き日に、ベルグソンの「笑いについて」という文章を読んだことがあるが、笑い上戸の自分についての謎を解明したかったからである。何が書かれていたのか、いまは一行も覚えていない。といって、もはや二度と読んでみる気にはならないだろう。いつの間にやら、簡単には笑えなくなってしまったので……。(清水哲男)


October 27101997

 萩のほかの六草の名の重たけれ

                           加藤鎮司

の七草のうちで萩以外の名前は重たいというのだが、どうだろうか。「そんなことはない」だとか「やっぱりそう思う」だとかと話題になったら、この句の勝利だ。七草を読んだ句は少なく、なかなかよいものがない。それはそうだろう。七種類もの花々をひとつのイメージとして提出するなんて至難の技である。句会でこんな題が出たら往生しそうだ。そこで作者のように裏技を使うことになる。似たようなコンセプトでは、鈴木真砂女に「秋七草嫌ひな花は一つもなし」がある。なアるほど……。ちなみに秋の七草は『万葉集』の山上憶良の歌「秋の野に咲きたる花を指(および)折りかき数ふれば七種(ななくさ)の花」「萩の花尾花葛花瞿麥(なでしこ)の花女郎花また藤袴朝貌の花」に由来している。このなかの「朝貌」は桔梗(ききょう)とするのが定説である。(清水哲男)


July 1971999

 なすことも派手羅の柄も派手

                           杉原竹女

ずは「羅(うすもの)」の定義。私の所有する辞書や歳時記のなかでは、新潮文庫版『俳諧歳時記』(絶版)の解説がいちばん色っぽい。「薄織の絹布の着物で、見た目に涼しく、二の腕のあたりが透けているのは心持よく、特に婦人がすらりと着こなして、薄い夏帯を締めた姿には艶(えん)な趣がある」。要するに、シースルーの着物だ。というわけだから、女の敵は女といわれるくらいで、同性の羅姿には必然的に厳しくなるらしい。とりあえず、キッとなるようだ。派手な柄を着ているだけで、句のように人格まで否定されてしまったりする。コワいなあ。と同時に、一方では俳句でも悪口を書けることに感心してしまう。鈴木真砂女に「羅や鍋釜洗ふこと知らず」があるが、みずからの娘時代の回想としても、お洒落女に点数が辛いことにはかわりあるまい。反対に、男は鍋釜とは無縁の派手女に大いに甘い。「目の保養になる」という、誰が発明したのか名文句があって、私ももちろん女の羅を批判的にとらえたことなど一度もない。新潮文庫の解説者も、同様だろう。それにしても、羅姿もとんと見かけなくなり、かつ色っぽい女も少なくなってきた。昔はよかったな。(清水哲男)


December 23122001

 ゆく年を橋すたすたと渡りけり

                           鈴木真砂女

年も暮れてゆく。そう思うと、誰しも一年を振り返る気持ちが強くなるだろう。「ゆく年(行く年)」の季題を配した句には、そうしたいわば人生的感慨を詠み込んだ作品が多い。そんななかで掲句は、逆に感慨を断ち切る方向に意識が働いていて出色だ。作者にとってのこの一年は、あまり良い年ではなかったのだろう。思い出したくもない出来事が、いくつも……。だから、あえて何も思わずに平然とした素振りで、あくまでも軽快な足取りで「すたすたと」渡っていく。このときに「橋」は、一年という時間の長さを平面の距離に変換した趣きであり、短い橋ではない。大川にかかる長い橋だ。冷たい川風も吹きつけてくるが、作者は自分で自分を励ますように「すたすた」と歩いてゆくのである。話は変わるが、今日は天皇誕生日。諸歳時記に季語として登録されてはいるけれど、例句も少なく佳句もない。戦前の「明治節」や「天長節」とは、えらい違いだ。清水基吉さんから最近送っていただいた『離庵』(永田書房)に、こんな句があった。「なんといふこともなく天皇誕生日」。多くの人の気持ちも、こんなところだろうか。『新日本大歳時記・冬』(1999)所載。(清水哲男)


April 3042003

 腹立ててゐるそら豆を剥いてをり

                           鈴木真砂女

語は「そら豆(蚕豆)」で夏。サヤが空を向くので「そらまめ」としたらしい。そのサヤを、むしゃくしゃとした気持ちで剥(む)いている。作者は銀座で小料理屋「卯波」を営んでいたから、剥く量もかなり多かっただろう。仏頂面で、籠に山なす蚕豆のサヤを一つ一つ剥いている姿が目に浮かぶようだ。妙な言い方になるけれど、女性の立腹の状態と単純作業はよく釣り合うのである。かたくなに物言わず、ひたすら同じ作業を繰り返している女性の様子は、家庭でもオフィスなどでもよく見かけてきた。一言で言って、とりつくシマもあらばこそ、とにかく近づきがたい。「おお、こわ〜」という感じは、多くの男性諸氏が実感してきたところだろう。怒ると押し黙るのは男にもある程度共通する部分があるが、怒りながら何か単純作業をはじめるのは、多く女性に共通する性(さが)のように思われる。したがって、仮に掲句に女性の署名がなかったとしても、まず男の作句と思う読者はいないはずだ。些細な日常の断片を詠んだだけのものだが、女性ならではの句として、非常によく出来ている。話は変わるが、東京あたりの最近の飲み屋では、蚕豆のサヤを剥かずに火にあぶって、サヤに焦げ目がついた状態でそのまま出す店が増えてきた。出された感じは、ちょっとピーマンを焼いた姿と似ている。あれは洒落た料理法というよりも、面倒なサヤ剥きの仕事を、さりげなく客に押し付けてやろうという陰謀なのではなかろうか。そうではないとしても、サヤの中の豆の出来不出来を見もしないで客に出す手抜きは、実にけしからん所業なのであります。『新日本大歳時記・夏』(2000・講談社)所載。(清水哲男)


September 2092006

 秋刀魚焼くはや鉄壁の妻の座に

                           五木田告水

日、銀座の「卯波」で友人たちと数人で飲み、今年の初秋刀魚を塩焼きで食べた。大振りでもうしっかり脂がのっていておいしかった。食べながら、いつかのテレビでお元気な頃の真砂女さんが、客が注文した秋刀魚をかいがいしく運んでおられた様子を思い出していた。真砂女の句に「鰤は太り秋刀魚は痩せて年の暮」がある。その時期のスリムな秋刀魚も、それはそれでひきしまって美味である。近年、関東でも食べられるようになった秋刀魚の丸干しのうまさ、これもたまらない。さて、秋刀魚の句にはたいてい火や煙やしたたる脂がついてまわるが、この句のように「鉄壁」が秋刀魚と取り合わせになったのは驚きである。おみごと! しかも「はや」である。「鉄壁」とはいえ、ここではどっしりとした腰太で、今や恐いものなしと相成った妻ではあるまい。いとしくもしおらしいはずの新妻も、たちまちしっかりした妻の座をわがものとしつつある。亭主のハッとした驚きが「はや鉄壁」にこめられている。良くも悪くも女の変わり身の早さ。秋刀魚を焼く妻の姿によって、そのことにハタと気づかされて驚くと同時に、「座」についたことにホッとしている亭主。秋刀魚の焼き具合はまだ今一でも、さぞおいしいことだろう。若さのある気持ちいい句である。さて、「鉄壁」という“守り”がゆるぎない「鉄壁」の“攻撃”に変容するのは、もう少し先のこと? 平井照敏編『新歳時記』(1996・河出書房新社)所載。(八木忠栄)


July 0172012

 髪に櫛とほりよき朝夏燕

                           鈴木真砂女

(げん)のいい朝の句です。黒髪の真砂女は、櫛の通りのよさに気分をよくしています。それは体調のよさの表れでもあり、それ以上に、女としての艶のよさを自覚するよろこびでもあるでしょう。銀座で小料理屋を営んでいた女将ですから、朝から仕込みは始まっています。活きのよい肴を出すと同じく、酔客に、粋な自身を差し出す準備。長く、秘めて激しい恋情を抱き続けたこの作者にふさわしい、意地と媚態と潔さをも感じるのは、僭越でしょうか。九鬼周造は、この三位一体の表れが粋であると論じています(『いきの構造』)。ツバメは五月頃に飛来し、カラスやヘビに襲われにくい民家の軒下などに巣を作り、うまく、人の暮らしと共存して卵を産み、子を育て、 七月頃に は旅立ちます。その家づくり、子育ても、そして飛ぶ姿にもスピードがあります。髪に櫛の通りのよさ、夏燕のはやさ。ここに、淀みのない商売の吉兆を占ったのでしょう。「日本大歳時記・夏」(1982・講談社)所載。(小笠原高志)


January 2012013

 九十年生きし春着の裾捌き

                           鈴木真砂女

着は新春に着る晴れ着です。卆寿をこえても春着に袖を通す嬉しさは、若いころと変わりません。いや、若いとき以上にうきうきするのは、その粋な着こなしと裾捌(すそさば)きに円熟味を増してきたからでしょう。毎夜、銀座の酔客たちを小気味よく捌いてきた女将ですから、その立居振舞は舞踊のお師匠さんのように洗練されていたことでしょう。「裾捌き」という日本語は、今はもう、舞台と花柳界だけの言葉になってしまったのでしょうが、掲句のこれは、まぎれもなく真砂女の身のことば、身体言語です。あるいは、数学的比喩を使えば、「九十年生きし」は積分的で、「春着の裾捌き」は微分的です。積み重ねた日々を記憶している身体には、今日も巧みな身のこなしでたをやめぶりを舞っている、そんな老境の矜持があります。ただ、このような持続力は、日々目利きの観者たちの目にさらされていたから可能で、一方で、舞台の幕を引いたときには、「カーテンを二重に垂らし寝正月」という句もあり、オンとオフがはっきりしていたようです。以下蛇足。野田秀樹に『キル』という舞台作品があります。ジンギスカンが現代によみがえり、ファッションデザイナーとして世界を征服する(制服で征服する)というストーリーを初演は堤真一が、再演は妻夫木聡が演じています。『キル』というタイトルは、「切る・着る・kill・生きる」の掛詞になっていて、一方掲句では、「生き」「春着」「裾捌き」の「ki」が脚韻となり、句がステップを踏んでいます。『鈴木真砂女全句集』(2 010・角川学芸)所収。(小笠原高志)


April 0742013

 鯛よりも目刺のうまさ知らざるや

                           鈴木真砂女

のある真砂女の声が届いています。「知らざるや」という言い切りに、軽い怒り、あるいは戒めを聞き取ります。店主をつとめた銀座「卯浪」の常連客に向けた本音のようでもあります。たしかに鯛は、お造りにしてよし、握り、かぶら蒸し、鯛茶漬という贅沢もあり、晴れがましい和食の席には欠かせない食材です。しかし、それらは華美な器に盛られる料理でもあり、実よりも名が勝っているのだ、という声を聞き取ります。ちなみに、食材としてのタイ科の魚はマダイ、クロダイですが、タイの名を冠された別種魚は、ブダイ、スズメダイをはじめとして、数十種類をこえ、これは全国にある○○銀座と同じあやかり方でしょう。ところで、目刺の句といえば、芥川龍之介の「こがらしや目刺しにのこるうみのいろ」が有名です。ただし、芥川の場合は目刺を見ている句なのに対し、真砂女は目刺を食っている。九十六歳まで生きた糧です。目刺は、小イワシを塩水に漬けたあと天日で干したもの。これを頭から骨ごと尾まで食い尽くす。真砂女の気丈はここで養われ、同時に、目刺のように白日に身をさらしてきた天然の塩辛い生きざまと重なります。鯛には養殖物も多く出ていますが、目刺にそれはありません。ほかに「目刺焼くくらし可もなく不可もなく」「目刺焼く火は強からず弱からず」「目刺し焼けば消えてしまひし海の色」「目刺し焼くここ東京のド真中」「海の色連れて目刺のとどきけり」「締切りの迫る目刺を焦がしけり」。いよいよ真砂女が、目刺の化身に見えてきました。『鈴木真砂女全句集』(2010)所収(小笠原高志)


November 17112013

 不機嫌の二つ割つたる寒卵

                           鈴木真砂女

生きしている人は、ストレスの出し方も粋である。96歳まで生きた銀座卯波の女将・真砂女は、やたら自慢する客に、不機嫌になっている。(作法の知らない客だこと。小さな店なんだから、ほかのお客さんの邪魔にならないように話してよ。そんな飲み方ならちがう店に行って頂戴。)こう心の中でつぶやくやいなや、件の客は、「おかみ、卵焼き」と注文してきたから、これ見よがしに不機嫌な気持ちを込めて卵を立て続けに二つ割る。この無言のふるまいが不粋な客に届いたかどうかは定かではない。ただし、常連客には卵を溶く音とともにしっかり聞こえていた。(これから絶品の卵焼きをあんたの口の中に入れてあげるから、黙って食べなさい)。『鈴木真砂女全句集』(2010)所収。(小笠原高志)


July 0972014

 羅や母に秘めごとひとつあり

                           矢野誠一

にだって秘めごとの一つや二つあるだろう。あっても不思議はない。家庭を仕切って来たお母さんにだって、長い年月のうちには秘めごとがあっても、むしろ当然のことかもしれない。しかも厚い着物ではなく、羅(うすもの)を着た母である。羅をすかして見えそうで見えない秘めごとは、子にとって気になって仕方があるまい。この場合、若い母だと生臭いことになるけれど、そうではなくて長年月を生きて来た母であろう。そのほうが「秘めごと」の意味がいっそう深くなってくる。母には「秘めごと」がたくさんあるわけではなく、「ひとつ」と詠んだところに惹かれる。評論家・矢野誠一は東京やなぎ句会に属し、俳号は徳三郎。昨年七月の例会で〈天〉を二つ獲得し、ダントツの高点を稼いだ句。同じ席で「麦めしや父の戦記を読みかへす」も〈天〉を一つ獲得した。披講後に、徳三郎は「父と母の悪事で句が出来ました」と言っている。同じ「羅」で〈天〉を一つ獲得した柳家小三治の句「羅や真砂女のあとに真砂女なし」も真砂女の名句「羅や人悲します恋をして」を踏まえて、みごと。『友ありてこそ、五・七・五』(2013)所載。(八木忠栄)


September 1992014

 鵙の贄罪ある者をさらすごと

                           鈴木真砂女

は九月も中旬になると枯枝や電線にとまって尾をまわすように動かしながらキイキイッ!と甲高く鳴き始める。秋の縄張り宣言の高鳴きである。また他の鳥の声を真似すると言われ百舌鳥とも表記される。餌は高い枝などから地上のえものを探しさっと降下して捕食する。また捕えたものを小枝や鉄条網に刺しておく習性がありこれを鵙の贄と呼ばれている。枯枝に蛙や昆虫がひからびて刺っていたら鵙の贄と思えばよい。訳も分からずこんなものを見れば罪人が縛られてさらし者になっている河原へと連想が導かれる。小生も日々忸怩たる生活に多少の罪の意識を負って生きていますが、表向きはしらっとした顔をさらしつつ歩いています。面目無い事でございます。『紫木蓮』(1998)所収。(藤嶋 務)


January 1112015

 早咲きの木瓜の薄色蔵開き

                           鈴木真砂女

歳時記によると、蔵開きは、年のはじめに吉日を選んでその年初めて蔵を開くこと。また、その祝い。多く正月の十一日に行ない、江戸時代に、大名が米蔵を開く儀式に始まるといいます。鏡開きで餅を割って食べる日でもある今日は、正月に休めていた筋肉を再始動させるスタートの日のようでもあります。また、家庭では、正月用の器の類を蔵に仕舞って日常に戻っていく、そんな生活の節目でもあったのでしょう。しかし、げんざい、そのような生活習慣はとうに切れていますから、掲句の「蔵開き」は、むしろ抽象的に使われているでしょう。春に咲く木瓜(ぼけ)の花がほんのり薄赤く咲き始めていて、それが、正月開けの人々の動きと連動しているように見えます。自 然界も 人の世も、徐々に活気づく日常が動き始めます。ただし、春はまだ遠く、早咲きの木瓜の花が受粉するのはかなりむずかしいでしょう。『鈴木真砂女全句集』(角川書店・2001)所収。(小笠原高志)


May 2452015

 女老い仏顔して牡丹見る

                           鈴木真砂女

丹は、中国では「花王」と呼ばれました。平安時代の和歌では、音読みする漢語の使用を禁じていたため「深見草」の和名で詠まれています。真砂女もこの呼び名を知っていたはずなので、少し深読みしてみます。牡丹の花の色は、紅、淡紅、紫、白、黄、絞りなど多彩です。真砂女は何色の牡丹を見ていたのか。これは、読み手にゆだねられるところでしょう。私は、白の絞りかなと思います。たいした根拠はありませんが、「仏顔して」いるので、色彩はおだやかだろうと思うからです。掲句を上五から素直 に読むと、女である私が年老いて、それは女という性を脱した仏顔になって、しみじみと牡丹を見ている、となります。しかし、これは通り一遍の読み方です。もっと牡丹を凝視してもいいのではないでしょうか。問題は、どれくらいの時間をかけて牡丹を見ていたかです。花一輪を五分間見る。写生をする人ならば、これくらいの時間はかけるでしょう。あるいは、牡丹園を歩いたならば、小一時間かけて多彩な色の牡丹を見たことでしょう。いずれにしても、深見草という和名が念頭にあれば、牡丹の花を凝視したはずです。そして、その視線の奥には、雄蕊と雌蕊、花の生殖器官があります。その時、その視線は作者に跳ね返ってきて、老いた仏顔には、はるか昔日の修羅が内包されていることに気づかされま す。花王のような女盛りの昔日は、束の間、仏顔を崩すかもしれません。なお句集では、「牡丹くづる女が帯を解くごとく」と続きます。こちらの牡丹は紅色でしょう。『紫木蓮』(1998)所収。(小笠原高志)


November 22112015

 落葉焚き人に逢ひたくなき日かな

                           鈴木真砂女

に会いたくない日があります。寝過ぎ寝不足で顔が腫れぼったい日もあれば、何となく気持ちが外に向かず、終日我が身を貝殻のように閉ざしていたい、そんな日もあります。長く生きていると、事々を完全燃焼して万事滞りなく過ごす日ばかりではありません。人と関わりながら生きていると、多かれ少なかれ齟齬(そご)をきたしていることがあり、心の中にはそれらが堆積していて、重たさを自覚する日があります。そういう日こそ、心の深いところにまで張り巡ぐらされていた根から芽が出て言の葉が生まれてくるのかもしれません。句では「逢ひ」の字が使われていることから、逢瀬の相手を特定しているとも考えられます。句集では前に「落葉焚く悔いて返らぬことを悔い」があるので、そのようにも推察できます。完全燃焼できなかった過去の悔いをせめて今、落葉を焚くことで燃焼したい。けれどもそれは心の闇をも照らし出し、過去と否応なく向き合うことになります。それでも焚火は、今の私を明るく照らし、暖をとらせてもらっています。句集では「焚火して日向ぼこして漁師老い」が続きます。これも、婉曲的な自画像なのかもしれません。『鈴木真砂女全句集』(2001)所収。(小笠原高志)


March 1332016

 白魚や生けるしるしの身を透かせ

                           鈴木真砂女

生について考えさせられます。見る者が、対象の形態を丁寧に写しとることは写生の必要条件でしょう。しかし、写しとったとしても全てを描写し尽くすわけにはいきません。とりわけ五七五の定型の場合には、どの要素を取捨選択するかによって、対象の存在感が変わってきます。俳句の場合、その要素とは言葉の選び方になるでしょう。掲句では、言葉の選択と、音韻、さらに構成の工夫によって一句を白魚一匹として写生しています。真砂女は、小料理屋「卯波」の調理場で仕込みの最中に、生き ている白魚を凝視して驚きます。その透きとおった小さな細身の中には、骨と管と袋と肝が透けて見えます。なんと正直な存在なんだろう。このあけっぴろげな生き様。潔い。これには自己投影もあるでしょう。ところで、中七を「生きる」ではなく、「生ける」を選んで他動詞としたところに、内臓のはたらきを写実した工夫があります。また、下五では「透かし」よりも「透かせ」の方が音の流れがよく、「白魚/しるし/透かせ」でS音を五つ連ねて徹頭徹尾の白魚一匹を俎上に上げています。俳人は、句を構成するとき、上五と下五を輪郭にして、中七を骨と内臓にした一尾として写生したのでした。『鈴木真砂女全句集』(2001)所収。(小笠原高志)


July 1772016

 蛍火や女の道をふみはづし

                           鈴木真砂女

れ字はこのように使うのか。自然界と人間界を截然と切っています。蛍火は求愛。これと同様、作者の恋の本情も天然自然のリビドーです。蛍火に、人倫の道はありません。あるのは闇の自由の三次元。そこでは恋情が蛍光しています。真砂女には蛍の句が多く、手元の季題別全句集には、じつに48句が所収されています。「死なうかと囁かれしは蛍の夜」「蛍火や仏に問ひてみたきこと」「蛍の水と恋の涙は甘しとか」。ところで、真砂女よりはるか昔、和泉式部は「物思へば沢の蛍も我が身よりあくがれ出づるたまかとぞ見る」と詠み、蛍火に、恋する自身のさまよう魂を見ていました。両者は、似た心情のようにも思えますが、和泉式部は蛍と魂がつながっているのに対して、真砂女は蛍をいったん切り離したうえで自己を投影しているように思います。平安時代の和歌と、現代の俳句との違いでもあるのでしょう。さて、クイズです。真砂女が詠んだ季語の第二位は「蛍」ですが、第一位は何でしょうか。正解は、「雪」で67句ありました。蛍も雪も空間を舞い、やがて消えゆく儚い存在です。だから、句にとどめようとしたのかもしれません。「恋に身を焼きしも遠し雪無韻」。過去の熱い日々と雪積もる静かな今。時の経過が身を浄化しているようです。蛍雪の俳人真砂女は、夏に蛍を、冬に雪を詠みました。『季題別 鈴木真砂女全句集』(2010)所収。(小笠原高志)




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