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July 2971996

 月下美人膾になつて了ひけり

                           阿波野青畝

いたときには、大騒ぎされる月下美人。私も、深夜連絡を受けてカメラ片手に見に行ったことがある。その花も、一夜明ければ膾(なます)となる。食べた人によれば、美味とはいえないそうだ。あるいはこの句、人間の美女にかけてあるのかもしれない。だとすれば、作者は相当に意地が悪い。『俳句年鑑・平成五年版』(角川書店)所収。(清水哲男)


August 1081999

 学校の月下美人を持ち帰る

                           光成晶子

下美人とはサボテンの一種で、夏の夜まっ白で大輪の花が咲き、数時間でしぼむ……と『新明解国語辞典』にある。神秘的な名と、あまり見かけない花とあって、最近では人気の季語となっている。その月下美人の鉢植えを、学校から家に持ち帰るというのが愉快。生徒が夏休み中の職員室に入り込み、盗んできたのかもしれない。又は、作者が学校の先生か職員で(どうもそのようですが)、保護のために家に持ち帰ったのかもしれない。いずれにしても、この月下美人の運命は、いかなることにあいなりましょうか。作者の光成さんは若い女性で、詩を書くときは「成田ちる」と名乗っている。この句は、彼女の個人誌に発表された俳句の一つ。他にも、いい句があります。(井川博年)


June 2562001

 月下美人あしたに伏して命あり

                           阿部みどり女

に咲く花。いまのマンションに引っ越してきたころ、管理人が育てていた「月下美人」が咲きそうだというので、深夜に子供たちを含めて、大勢で開花を待ったことがある。二十年ほど前のことだが、当時は非常に珍しく、見事に咲くと新聞の地方版に写真が載るほどだった。純白の大花。サボテン科というけれど、トゲもないし、一般的なサボテンのイメージには結びつけにくい。同じ作者に「月下美人一分の隙もなきしじま」とあるように、開花した姿は息をのむような美しさだ。その絢爛にして「一分の隙もなき」花が、しかし「あした(朝)」の訪れとともに、がっくりと首を折るようにしてうなだれてしまう。このときに作者が若年であれば、そんな花の様子に「哀れ」を覚えるだけかもしれない。が、作者の高齢(九十歳前後)は「伏して」もなお「命あり」と、外見の衰えよりも、その底で脈打つ「命」の鼓動に和している。「立てば芍薬」など、女性を花に例えるのは男の仕業であり、それも多くは外見的な範疇でのことにとどまる。しからば、逆に女性の場合はどうなのだろうか。おのれを花に擬する気持ちがあるとすれば、どのようにだろうか。回答のひとつが、この句であってもよいような気がする。『月下美人』(1977)所収。(清水哲男)


July 1272005

 月下美人しぼむ明日より何待たむ

                           小島照子

語は「月下美人」で夏。その豪華な姿から「女王花」とも言われる。夜暗くなってから咲きはじめ、朝になるまでにしぼんでしまうところが、なんとも悩ましい。育ててもなかなか咲いてくれないようで、私なども一度だけしか見たことがない。そんな具合だから、いざ今夜には咲きそうだとなると大変だ。友人知己や近所の人に声をかけるなどして、ちょっとした祝祭騒ぎとなる。「月下美人呼ぶ人来ねば周章す」(中村汀女)なんてことにもなったりする。で、そんなにも楽しみに待っていた花も、あっけなくしぼんでしまった。しぼんだ花を見ながら、作者は「明日より何待たむ」と意気消沈している。大袈裟な、などと言うなかれ。それほどまでに作者は開花を楽しみにしていたのだし、これに勝る楽しみがそう簡単に見つかるとは思えない……。作者の日常については知る由もないけれど、高齢の方であれば、なおさらにこうした思いは強くわいてくるだろう。私にもだんだんわかってきたことだが、高齢者が日々の楽しみを見つけていくのは、なかなかに難しいことのようである。時間だけはたっぷりあるとしても、身体的経済的その他の制約が多いために、若いときほどには自由にふるまえないからだ。言い古された言葉だが、日々の「砂を噛むような現実」を前に、作者は正直にたじろいでいる。この正直さが掲句の味のベースであり、この味わいはどこまでも切なくどこまでも苦い。俳誌「梟」(2005年7月号)所載。(清水哲男)


August 2682006

 初秋の人みなうしろ姿なる

                           星野高士

秋を過ぎても八月は残暑が厳しく、西瓜、花火、などは盆にまつわる季題とはいえ夏のイメージが強い。しかし子供の頃、八月に入ると夏休みは急に駆け足になって過ぎた。西瓜の青い甘さに、今を消えてゆく花火に、星が流れる夜空に、秋が見えかくれする。そんな秋の初めの頃をいう初秋(はつあき)。ふと目にしたうしろ姿の人々と、それぞれがひく影に秋を感じたのだろう。「人みなうしろ姿」という表現で秋のイメージを、などとは思っていない。よみ下してすっと秋の風が吹き、目が「初秋」という季題に落ち着いてしみじみとする。星野高士氏は星野立子の孫にあたり、今年、句集『無尽蔵』を上梓、掲句はその中の一句である。その句集中の〈月下美人見て来て暗き枕元〉という一句に惹かれ、お目にかかった折、作句時の心境など伺うと、何となくそんな気がしたのよね、と。衒いのない句、言葉はあとから、なのである。『無尽蔵』(2006)所収。(今井肖子)




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