1996N8句

August 0181996

 旅終へてよりB面の夏休

                           黛まどか

でつくった句の典型。下手な句ではないが、この程度の発見で満足してもらっては困る。この国の詩歌が困ってしまう。いかにも、イマジネーションがひ弱いのだ。しかし、平成俳句の一断面として、記録しておく価値はあるだろう。作者について、同性の中野翠が「サンデー毎日」(6月9日号)で書いている。「……女だっていうことにそんなに甘えちゃいけない気がする。おじさんたちの純情にそんなにつけこんじゃあいけないような気がする」。『B面の夏』(1994)所収。(清水哲男)


August 0281996

 蜩といふ名の裏山をいつも持つ

                           安東次男

崎洋氏によれば、ヒグラシのことを「日暮れ惜しみ」と呼ぶ地方もあるそうだ。命名の妙。若き日、詩集『六月のみどりの夜は』を読んだ。裏山ではいつも蜩(ひぐらし)が鳴いていた。私の中にもあったはずの裏山。今何処。『裏山』所収。(八木幹夫)


August 0381996

 蚰蜒といふ字は覚えおく気なし

                           北野平八

蜒を、さて何と読むか。原句には振り仮名がついている。そりゃ、そうだ。漢字コンクールのトップクラスでも、読めるかどうか。答えは「げじげじ」。字も覚えたくないが、本体ともあまりお近づきにはなりたくない。夏の嫌われ者でも有名虫(?)だけあって、昔からけっこう蚰蜒の句は多い。「蚰蜒に寝に戻りたる灯をともす」(中村草田男)「げじげじや風雨の夜の白襖」(日野草城)など。『北野平八句集』所収。(清水哲男)


August 0481996

 炎天より僧ひとり乗り岐阜羽島

                           森 澄雄

の僧はもちろん禅僧であろう。黒の僧服と涼しげな青い頭。乗り物はもちろん新幹線の「こだま」。取り合わせの意表を突いた面白さが、発表当時評判となった。(井川博年)


August 0581996

 木の根に晝寝餓ゑに酔ひたる如かりき

                           中村草田男

戦直後、昭和21年の作品。前書きに「ある人の打語れる話、自ら句になりて」とある。みんなが餓えていた時代。空腹もはるかに通り越すと、たしかに酔ったような心持ちになる。このまま、とろとろとあの世へ行ってしまっても構うものかという気分……。(清水哲男)


August 0681996

 原爆の日の洗面に顔浸けて

                           平畑静塔

島への原爆投下は、午前八時十五分だった。そのことを知る作者は、しばし洗面の水から顔をあげられない。やり場のない哀しみと、そして自分が今こうして生きてある不思議とを、瞑目しつつ思うのである。この作者の姿と気持ちは、そのままで黙祷する人々のそれと通い合っている。(清水哲男)


August 0781996

 藷畑にただ秋風と潮騒と

                           山本健吉

芸評論家・山本健吉の数少ない俳句作品の一つ。「ただ秋風と潮騒と」と言ってはいるが、古典に詳しい健吉のことであるから、秋風と共に芭蕉を思い、潮騒と共に人麻呂を思っていたかも知れぬ。但し、この句は石山での作でも、石見での作でもなく、島原の乱で有名な原城址での作。長崎県出身の健吉にとって、島原の乱はことのほか興味深かったようだ。(大串章)


August 0881996

 負け知らずメンコの東千代之介

                           仁平 勝

季の句だと思うが、ひょっとすると歌留多などのように正月の部類に入れる人がいるかもしれない。そんなことはともかく、子供の頃の夏休みには、日没までメンコ三昧だった。敗戦後、四、五年のことだ。その当時、まだ東千代之介はメンコになりようもない存在だったから、私はもっぱら巨人の強打者・川上哲治を切り札に使っていた。それぞれの世代が時のヒーローを、東千代之介と入れ替えて読むと、理屈抜きで共感できる。ないしは、泣けてくる。こういう句も、あってよい。『東京物語』所収。(清水哲男)


August 0981996

 階下の人も寝る向き同じ蛙の夜

                           金子兜太

京で暮らすようになってから、蛙の声などほとんど耳にしたことがない。少年期には山口県の山奥で暮らしていたので、蛙はごく身近な生物だったというのに。作者は、客として二階に布団を敷いてもらったものの、なかなか寝つけない。蛙の声しきり……。そんななかで、ふと気づいたおかしみである。兜太の力業も魅力的だが、初期のこうした繊細な神経の使いようも面白い。『少年』所収。(清水哲男)


August 1081996

 夏終る見知らぬノッポ町歩き

                           阿部完市

の終りのシーンとした田舎町に現れた見知らぬ「ノッポ」。何か不思議な笑いを浮かべて、この男はいったい何をしているのだろう。「ノッポとチビ」は、清水哲男が京都での学生時代に創刊同人だった詩誌の名前。もちろん、この句とは関係ありません。(井川博年)


August 1181996

 百日紅町内にまたお葬式

                           池田澄子

は、死の季節でもある。炎暑が病者の体力と気力を奪う。冷房装置が普及していなかったころは、なおさらであった。密集して咲く紅の花の下を、黒く装った人々が黙々と歩いている。そんな光景を傍見して、作者は「この暑さだもの……」とひとりつぶやいている。池田澄子は三十代の折り、たまたま目にした阿部完市の句に驚嘆し、突然俳句をつくりはじめたという。1989年に、第36回現代俳句協会賞を受賞している。『空の庭』所収。(清水哲男)


August 1281996

 炎天の老婆に無事を祝福され

                           瀧 春一

の暑いのに、よくまあご無事でここまでおいでなすってのう、と農道で顔見知りの老婆に声を掛けられる。やれやれ、この暑さでは外出も命懸け。いや待て、これはひょっとすると戦後の夏の復員兵の話ではなかったか。まもなく八月十五日。(井川博年)


August 1381996

 夜の川を馬が歩けり盆の靄

                           大木あまり

想的な日本画を見るような趣き。夜といっても、深い夕暮れ時の光景だろう。この農耕馬にしてみれば、一日の仕事を終えた後の水浴の時だが、作者には死者の魂を現世に乗せてきた馬のように見えている。折りから川面には靄(もや)が立ちこめはじめ、一介の農耕馬も、この世のものではないような存在と写る。盆と水。そして、生物。この時季の日本人の情緒のありどころを、さりげない調子で描破した鋭さが見事だ。『火のいろに』所収。(清水哲男)


August 1481996

 夏草に汽罐車の車輪来て止る

                           山口誓子

鉄の給料(父親の)で食わせてもらったせいか、引込線などに一輛だけとまっている蒸気機関車のことを思うと胸がとどろきます。中学生のとき出会ったと思われるこの句は、機関車のヒロイックな迫力を静かな状態で示してくれているようで、印象の深いものがあります。鉄サビや油や燃え尽きた石炭の匂いがなまなましい。ボクだとコドモの背丈で見上げているのです。(三木卓)


August 1581996

 烈日の光と涙降りそゝぐ

                           中村草田男

戦の日の句。この句の情感に、いまでも心底から参加できるのは、六十代も後半以上の人々だろう。あの日の東京はよく晴れていた。七歳だった私にも、それくらいの記憶だけはある。しかし、正直に言って、この句の涙の本質は理解できない。ただ、作者の世代の辛酸の日々を思うのみ。人間には、安易にわかったふりをしてはいけないこともある。『中村草田男句集』(角川文庫・絶版)所収。(清水哲男)


August 1681996

 酌婦来る灯取虫より汚きが

                           高浜虚子

和九年の作。虚子に、こんな句があるとは知らなかった。先日、仁平勝さんにいただいた近著『俳句が文学になるとき』(五柳書院)を読んでいて、出くわした作品だ。仁平さんも書いているように、いまどき「こんな句を発表すれば、……袋叩きにされかね」ない。「べつに読む者を感動させはしないが、作者の不快さはじつにリアルに伝わってくる」とも……。自分の不愉快をあからさまに作品化するところなど、やはり人間の器が違うのかなという感じはするけれど、しかし私はといえば、少なくともこういう人と「お友達」にはなりたくない。なお「酌婦」は「料理屋などで酒の酌をする女」、そして「灯取虫」は「夏、灯火に集まるガの類を言う」と、『現代国語例解辞典』(小学館)にあります。念のため。(清水哲男)


August 1781996

 我庵は下手の建てたる野分かな

                           佐久間柳居

分の中、天井が軋み、戸板が鳴る。江戸の時代にも手抜き工事などあったのか。しかし、別段それを咎立てすることもなく、「下手の建てたる」などと嘯いているところが面白い。佐久間柳居は幕府直参の武士。俳諧は初め沽徳に学び、後乙由に師事。当時流行の江戸座俳諧に革新の波をおこした。寛延元年(1748)没。(大串章)


August 1881996

 涼風をいひ秋風をいふ頃ぞ

                           矢島渚男

にしたがえば、いまごろの風は秋風。しかし、実感的にはまだ夏だから涼風(夏の季語)というほうが似つかわしい。さあ、どちらにしようか。この時季の俳人は困るのでしょうね。そんな心中をそのまま句にしてしまったというところでしょうか。話は変わりますが、何年か前に、春の選抜高校野球でマスコミが「さわやか甲子園」というのは間違いだと、本気で怒っていた俳人がいました。なぜなら「さわやか」は秋の季語だからというのですが……。どんなものですかねえ。『木蘭』所収。(清水哲男)


August 1981996

 水族館汗の少女の来て匂ふ

                           ねじめ正也

んでもない情景だが、一瞬、作者の「男」が頭をもたげているところに注目。入ってきたのが少女ではなく少年だとしたら、句はおのずから別の情感に流れる。というよりも、作品化しなかったかもしれぬ。で、この少女がその後どうしたのかというと「闘魚の名少女巧みに読みて去る」のだった。水族館なんぞに、さして興味はなかったのである。ましてや、偶然に傍らにいたおじさんなんぞには。作者は直木賞作家・ねじめ正一の実父。ねじめ君に聞いた話では、その昔、放浪の俳人・山頭火が、高円寺(東京・杉並)で乾物店を営んでいた父君を訪ねてきたことがあったという。『蝿取リボン』所収。(清水哲男)


August 2081996

 ぐんぐんと夕焼の濃くなりきたり

                           清崎敏郎

送(むさしのエフエム・78.2MHz)の仕事は4時で終る。帰りのバス停留所までの道では、いつも真正面から西日をうける。バスを降りてからも、しばらくは西日の道だ。「ぐんぐんと」夕焼けていく空を見るのは、これから深い秋にむかってからのことになる。なんだかとても幼い発想のようにも見えるが、ここまでぴしりと言い切るのは、なまなかな修練ではできないと思う。ちなみに清崎敏郎の師である富安風生には、こんなチョー幼げな作品がある。「秋晴の運動会をしてゐるよ」……という句だ。小学生にでもできそうだが、ここまでできる人はなかなかいない。嘘だと思ったら、ひとつつくってごらんになると、納得がいくはずです。『東葛飾』所収。(清水哲男)


August 2181996

 汗の身や機械に深く対ひゐて

                           小川双々子

所に、典型的といってよい小さな町工場がある。それなりの企業の下請けだろう。前を通ると、いつも機械の作動音と薬品の臭いがする。休み時間に工員たちは、ジュースを買いに近くのスタンドまで出てくる。みんな若い。茶髮もいる。でも、寡黙だ。そのスタンドのあたりには、彼らの通勤用のバイクと自転車が整列している。この句の主人公は、かなりのベテランだろう。が、読んですぐに、私は若い彼らのことを思った。どんな思いで、毎日機械にむかっているのだろうか。工場の道ひとつへだてた斜め前には、耐震構造が売り物の高級マンションが建設中だ。「地表」(1996年6月号)所載。(清水哲男)


August 2281996

 朝貌や惚れた女も二三日

                           夏目漱石

貌は「朝顔」。こういう句を読まされると、やっぱり漱石は小説家なんだなあと思う。美しい花の命のはかなさを惜しむことよりも、人間心理の俗悪さを露出することに執心してしまう。朝貌は、もちろん夜をともにした女の「朝の貌」にかけてある。漱石は、ひややかにそんな女の貌を見つめるタイプの男なのであった。そういえば、友人の死の床に駆けつけて、「おいっ、死ぬって、どんな感じなんだ」と聞いた作家もいたそうな。その人の名は、島崎藤村。聞かれたほうの瀕死の人の名は、田山花袋。今日は、聞いた側の藤村の命日(昭和18年没・享年71歳)である。『漱石俳句集』(岩波文庫)所収。(清水哲男)


August 2381996

 かなかなやまっしろおばけの宿題帳

                           岡田葉子

どもたちの夏休みも、あと十日。今年は九月一日が日曜日なので、一日もうかったと言う子もいるが、「まっしろおばけ」が相手ではどうにもならない。決して上手な句とは思わないけれど、読者に素朴に過去をふりかえらせてしまう力はある。この句は、平成元年の夏に発行された金子兜太編『現代俳句歳時記』(千曲秀版社)で見つけた。出た当時、さして話題にはならなかった歳時記だが、これが面白い。従来の歳時記にはなかった「雑(ぞう)」(すなわち、無季)の部があり、選句についてもこの句のような作品が採られているなど、意欲的だ。ただし、玉石混淆。思わず吹き出したのは、どんな歳時記にも麗々しく出てくる「松茸」の項目が、「茸」一般にすっぱりと格下げされていたところ。そうですよねえ。もはや「松茸」は庶民の食べ物ではなくなっているし、したがって庶民の文学の素材にはなりにくいですものね。(清水哲男)


August 2481996

 さらば夏の光よ男匙洗う

                           清水哲男

たちは氷菓を上品に「匙」でつつきながらおしゃべりに余念がない。男は黙って匙を洗う。その匙に「夏の光」が射している。こんな夏ももうおしまい。『匙洗う人』所収。(多田道太郎)


August 2581996

 初秋の伊那の谷間のまんじゅう屋

                           森 慎一

那には行ったことがない。ただ子供の頃から、流行歌の「勘太郎月夜唄」で「伊那は七谷……」と、谷間の地であることは知っている。そんなことはどうでもよろしいが、読んだ途端に、このまんじゅう屋の饅頭を食べたくなった。饅頭なんて、ここ二、三年も食べた記憶はないけれど、この店の饅頭だけは食べてみたい。そんな気がしてきませんか。もっとも、作者はなにせ坪内稔典ひきいる「船団」のクルーなので、この店が現実には存在しないことも、十二分に考えられますが。だとしても、おいしそうな句であることに変わりはないでしょう。『風のしっぽ』所収。(清水哲男)


August 2681996

 赤とんぼ死近き人を囲み行く

                           永田耕衣

情的な作品とも読めるが、そうではないだろう。むしろ私には、不吉な幻想光景のように思える。「死近き人」とは必ずしも老人のことではなくて、幼い子供と読むことも可能だ。いずれにしても、作者はその人の死の間近さを直覚したのであり、その人はなにも知らずに赤とんぼの群れ飛ぶ道を歩いている。空は大きな夕焼けだ。つげ義春の漫画の一場面にでも出てきそうなコワーい句である。永田耕衣は今年96歳の現役俳人。阪神大震災で家が全壊するという不幸に見舞われた。最近作に「枯草や住居(すまい)無くんば命熱し」がある。『冷位』所収。(清水哲男)


August 2781996

 欠伸して鳴る頬骨や秋の風

                           内田百鬼園

聊をかこつ男の顔が浮ぶ。作者は夏目漱石門下の異色、ユニークな随筆、小説で知られる。俳句は岡山六高在学中から始め、「夕焼けに馬光りゐる野分かな」など本格的な作品が多い。上掲作は「秋の風」が効果的。序でと言ってはなんだが、師漱石の秋風の句を一句、「秋風や屠られに行く牛の尻」。文豪夏目漱石が痔の手術で入院した時の作である(大串章)

[編者の弁解]ついに出ました内田ヒャッケン。編者としては、内心この日を怖れていたのです。というのも、百鬼園の「鬼園」は、本当は門構えの中に「月」と表記しなければならないのですが、悲しいかな、私のワープロEGWORD 6.0には外字作成機能がありません。で、とりあえずこの表記としました。ヒャッケンが、ひところ実際に「百鬼園」と号していたこともありましたので。


August 2881996

 秋雨の新居はじめて電話鳴る

                           皆吉 司

居へのはじめての電話だというのだから、まだ部屋がきちんと片付いていない状態である。とりあえずは外部との連絡のために、電話機のジャックだけはつないでおいた。電話機は、まだ所を得ず畳の上だ。外はあいにくの雨だから、戸外のあれこれは、今日はできない。室内で荷物を整理しているうちに、電話機は衣類の下に埋もれてしまったりする。そこへ電話のベルが鳴る。番号を知らせてあるのは、親戚や友人の数人だ。誰だろう。たいてい見当はついているのだが……。さりげないタッチで、引っ越し時の一場面をリアルにとらえているところは、さすがに皆吉爽雨の実孫だ。作者と面識はないけれど、また作者がどう思おうと、血は争えないと私は思う。たとえば、短歌における佐佐木幸綱(祖父は佐佐木信綱)の如し。『ヴェニスの靴』所収。(清水哲男)


August 2981996

 朝顔の好色たただよう朝の老人

                           原子公平

根に這わせた朝顔が、今朝も見事に咲いている。部屋着のままで表に出て、老人がいとおしげに眺めている。どこにでも、よくある平和な朝の光景だ。多くの人たちは微笑してその場を通過していく。だが、作者は違った。なんでもないそのシーンに、一瞬なにか生臭いものを感じてしまったのである。老人のいまの「男」のありどころを…。あるいはまた、その人の来し方の生々しい情欲のありようなども。人間は厄介だ。悲しい歌である。『良酔の歌』所収。(清水哲男)


August 3081996

 しその葉に秋風にほひそめにけり

                           木下夕爾

いねいに、しみじみとした境地でつくられた句。ちょっと出来過ぎの気がしないでもないが(類似の句もありそうだが)、この季節、同じ思いの人も多いことだろう。作者は、詩人としても著名。というよりも、俳句は余技というべきか。ただ、私に言わせれば、詩も俳句もいかにも線が細い。華奢である。それを評して「空きビンの中につくられた精巧な船の模型」みたいだと、書いたことがある。1965年に五十歳の若さで亡くなった。久保田万太郎門。『菜の花集』所収。(清水哲男)


August 3181996

 秋風や酔ひざめに似し鯉の泡

                           大木あまり

夜は、つい調子にのって飲み過ぎた。重い頭で目覚めたが、連れの友人たちはまだ起きてこない。旅館の庭に出てみると、池には大きな鯉が飼われていた。のろのろと動き、ときにふうっと泡を吹いている。秋風のなかの白い光景。酔いざめのときにも、俳人は句心を忘れない。作者と面識はないが、なかなかにいける口の女性だという噂を、かつて新宿で聞いたことがある。『火のいろに』所収。(清水哲男)




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