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August 0881996

 負け知らずメンコの東千代之介

                           仁平 勝

季の句だと思うが、ひょっとすると歌留多などのように正月の部類に入れる人がいるかもしれない。そんなことはともかく、子供の頃の夏休みには、日没までメンコ三昧だった。敗戦後、四、五年のことだ。その当時、まだ東千代之介はメンコになりようもない存在だったから、私はもっぱら巨人の強打者・川上哲治を切り札に使っていた。それぞれの世代が時のヒーローを、東千代之介と入れ替えて読むと、理屈抜きで共感できる。ないしは、泣けてくる。こういう句も、あってよい。『東京物語』所収。(清水哲男)


November 20111996

 憂鬱の樽を積んでは泣き上戸

                           仁平 勝

代の泣き上戸に出会ったのは、まだ酒を覚えたての大学時代だった。後に詩人となる学友の佃學(94年没)がその人で、何が哀しいのか、彼は飲みながら実によく泣いた。次から次へと涙が溢れてきて、止らないのである。彼が泣きはじめると、テーブルの上はすぐに水浸しになった。それを、ゴシゴシと布巾で拭きながら、なおも泣きつづけるのだから、壮絶である。佃はいったい、「憂鬱の樽」をいくつくらい所持していたのだろうか。あまりの泣きっぷりに、そっとその場を外そうとすると、彼はいちはやく察知して「逃げるな」とわめき、またまた新しい「樽」を思いきりひっくり返すのであった。『東京物語』所収。(清水哲男)


December 28122010

 数へ日のどこに床屋を入れようか

                           仁平 勝

え日が12月の何日からかとはっきり表記されている歳時記はないが、どれともなく指折り数えられるほどになった頃という言い回しを使っている。実際には、クリスマスが終わり、焦点が年明けに絞られた26日からの数日に強く感じられる。唱歌の「もういくつ寝ると…」には、子どもらしく新しい年を楽しみに指折り数える様子が歌われているが、こちらは切羽詰まった大人の焦燥感を表す言葉である。正月をさっぱりして迎えようというのは、家の片付けなどとともに姿かたちにもいえること。とはいえ、慌ただしく迫り来る年末に、自分の身を振り返ることはどんどん後回しになっていく。大晦日の湯に浸かりながら「あっ爪を切ってなかった」などと最後の最後になって小さな後悔が生まれたりもする。掲句は、歳末のスケジュールがぎっしりと書き込まれた手帳を前に頭を抱える作者である。晴れの日を迎えるためには、この散髪の二文字をどうにか入れなければならないのだ。〈冬木みなつまらなさうにしてをりぬ〉〈買初のどれも小さきものばかり〉『黄金の街』(2010)所収。(土肥あき子)




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