August 171996
我庵は下手の建てたる野分かな
佐久間柳居
野分の中、天井が軋み、戸板が鳴る。江戸の時代にも手抜き工事などあったのか。しかし、別段それを咎立てすることもなく、「下手の建てたる」などと嘯いているところが面白い。佐久間柳居は幕府直参の武士。俳諧は初め沽徳に学び、後乙由に師事。当時流行の江戸座俳諧に革新の波をおこした。寛延元年(1748)没。(大串章)
August 161996
酌婦来る灯取虫より汚きが
高浜虚子
昭和九年の作。虚子に、こんな句があるとは知らなかった。先日、仁平勝さんにいただいた近著『俳句が文学になるとき』(五柳書院)を読んでいて、出くわした作品だ。仁平さんも書いているように、いまどき「こんな句を発表すれば、……袋叩きにされかね」ない。「べつに読む者を感動させはしないが、作者の不快さはじつにリアルに伝わってくる」とも……。自分の不愉快をあからさまに作品化するところなど、やはり人間の器が違うのかなという感じはするけれど、しかし私はといえば、少なくともこういう人と「お友達」にはなりたくない。なお「酌婦」は「料理屋などで酒の酌をする女」、そして「灯取虫」は「夏、灯火に集まるガの類を言う」と、『現代国語例解辞典』(小学館)にあります。念のため。(清水哲男)
August 151996
烈日の光と涙降りそゝぐ
中村草田男
敗戦の日の句。この句の情感に、いまでも心底から参加できるのは、六十代も後半以上の人々だろう。あの日の東京はよく晴れていた。七歳だった私にも、それくらいの記憶だけはある。しかし、正直に言って、この句の涙の本質は理解できない。ただ、作者の世代の辛酸の日々を思うのみ。人間には、安易にわかったふりをしてはいけないこともある。『中村草田男句集』(角川文庫・絶版)所収。(清水哲男)
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