1996N821句(前日までの二句を含む)

August 2181996

 汗の身や機械に深く対ひゐて

                           小川双々子

所に、典型的といってよい小さな町工場がある。それなりの企業の下請けだろう。前を通ると、いつも機械の作動音と薬品の臭いがする。休み時間に工員たちは、ジュースを買いに近くのスタンドまで出てくる。みんな若い。茶髮もいる。でも、寡黙だ。そのスタンドのあたりには、彼らの通勤用のバイクと自転車が整列している。この句の主人公は、かなりのベテランだろう。が、読んですぐに、私は若い彼らのことを思った。どんな思いで、毎日機械にむかっているのだろうか。工場の道ひとつへだてた斜め前には、耐震構造が売り物の高級マンションが建設中だ。「地表」(1996年6月号)所載。(清水哲男)


August 2081996

 ぐんぐんと夕焼の濃くなりきたり

                           清崎敏郎

送(むさしのエフエム・78.2MHz)の仕事は4時で終る。帰りのバス停留所までの道では、いつも真正面から西日をうける。バスを降りてからも、しばらくは西日の道だ。「ぐんぐんと」夕焼けていく空を見るのは、これから深い秋にむかってからのことになる。なんだかとても幼い発想のようにも見えるが、ここまでぴしりと言い切るのは、なまなかな修練ではできないと思う。ちなみに清崎敏郎の師である富安風生には、こんなチョー幼げな作品がある。「秋晴の運動会をしてゐるよ」……という句だ。小学生にでもできそうだが、ここまでできる人はなかなかいない。嘘だと思ったら、ひとつつくってごらんになると、納得がいくはずです。『東葛飾』所収。(清水哲男)


August 1981996

 水族館汗の少女の来て匂ふ

                           ねじめ正也

んでもない情景だが、一瞬、作者の「男」が頭をもたげているところに注目。入ってきたのが少女ではなく少年だとしたら、句はおのずから別の情感に流れる。というよりも、作品化しなかったかもしれぬ。で、この少女がその後どうしたのかというと「闘魚の名少女巧みに読みて去る」のだった。水族館なんぞに、さして興味はなかったのである。ましてや、偶然に傍らにいたおじさんなんぞには。作者は直木賞作家・ねじめ正一の実父。ねじめ君に聞いた話では、その昔、放浪の俳人・山頭火が、高円寺(東京・杉並)で乾物店を営んでいた父君を訪ねてきたことがあったという。『蝿取リボン』所収。(清水哲男)




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