1996N9句

September 0191996

 背負はれて名月拝す垣の外

                           富田木歩

正十二年九月一日の関東大震災の犠牲となって、わずか二十六年の生涯を閉じた木歩(もっぽ)の処女作。大正二年の作品というから満十六歳のときの作品。生れつき足が立たず、学校へも行けなかったからイロハの文字一つ一つを独学で学ばねばならなかった。そんな人物がやがて俳句に目ざめていったことも驚きだが、この処女作からして、ちっとも暗さがない。不遇を訴えて哀れみを乞うようなところがない。不思議なこの明るさはいずこから来たものだろうか。小生の愛してやまない隅田川。その川べりに一生を過ごした俳人としても忘れられない。(松本哉)


September 0291996

 モズ鳴けど今日が昔になりきれず

                           谷川俊水

水は、詩人・谷川俊太郎さんの俳号。小学三年生ではじめて俳句をつくったときに、つけたという。上掲の句は、最近(8月31日)、荻窪の大田黒公園茶室で開かれた余白句会での作品。私にはよくわからなかったが、八木幹夫と加藤温子が推した。作者の説明。いまどきめったに聞くことがない懐しいモズの鳴く声を聞いたけれど、このように現代の「今日」は、いま私たちが「昔」を懐しむというような感じでの「昔」にはなりきれないのではあるまいか。そういうことだそうである。散会のときに「インターネットに載せますよ」といったら、「英訳もつけてね」といわれてしまった。どなたか、挑戦してみてください。(清水哲男)


September 0391996

 さんま焼くや煙突の影のびる頃

                           寺山修司

語という言葉があるが、この光景はもはや「死景」といってよいだろう。ただただ懐しい。そして十代の寺山修司は、この光景が「今」だったころに、既にセピア色に焼き付けている。しゃれている。センスの良さである。七輪で焼いた秋刀魚が、無性に食べたくなった。いや、思い切りジュージュー焼けていく秋刀魚の煙をかぎたくなった。『われに五月を』所収。(清水哲男)


September 0491996

 大阪はこのへん柳散るところ

                           後藤夜半

句もいいけれど、技巧的に優れた作品ばかり読んでいると、だんだん疲れてくる。飽きてしまう。そのようなときに、夜半はいい。ホッとさせられる。夜半は、生涯「都会の人」ではなく「町の人」(日野草城)だったから、一時期をのぞいて、ごちゃごちゃしんきくさいことを言うことを嫌った。芸術家ではなく、芸人だった。生まれた大阪の土地や文化をこよなく愛した。自筆の短冊を写真で見たことがあるが、いまどきの女の子の丸字の先駆けのようにも思える。ちっとも偉そうな字ではないのである。昭和51年初秋、柳の散り初めるころに没。享年81歳。『底紅』所収。(清水哲男)


September 0591996

 九月の教室蝉がじーんと別れにくる

                           穴井 太

き中学教師だったころの作品。そういえば、そうでしたね。この季節、遅生まれ(?)の油蝉なんかが、校庭の樹にいきなりやってきて鳴いていました。蝉しぐれの時も終っているだけに、その一匹の声が、ヤケに声高に聞こえたものです。懐しくも切なく感じられる一句です。私は学校が嫌いでしたが、やはり学校はみんなが通った共通の場。この句を読むと、それぞれにそれぞれの郷愁をかきたてられるのではないでしょうか。字余りは作者得意の技法ともいえ、これを指して「武骨に澄んでいる」と評した城門次人の言は的確です。『鶏と鳩と夕焼と』所収。(清水哲男)


September 0691996

 表紙絵の明治の女秋の声

                           杉本 寛

ずもって、字面がきれい。漢字の間に配された「の」が、見事に利いている。日本語ならではの美しさだ。翻訳不能。こういうところを、俳句作家はもっと大切にすべきだろう。句意は涼しいほどに明瞭だが、これまた翻訳不能。訳したとしても間抜けとなる。ところで、誰にとっても「母」の世代を四季のどれかになぞらえるとすれば、「秋」となるだろう。大正生まれの作者は、表紙絵の明治美人に、どこかで若き日の「母」も感じているのではあるまいか。だから「秋の声」なのである。もちろん、この句をそのまま素直に受け取っておいてもよいのだが、読んでいるうちに、だんだんそんな気がしてきた。『杉本寛集』(自註現代俳句シリーズ・俳人協会)所収。(清水哲男)


September 0791996

 蜩や石工を熱き風呂が待つ

                           中里行雄

工という職業人の捉え方がいい。かなかなが鳴く仕事場で働く身に、熱い風呂が待っている。熱い風呂か。ビールがうまいだろうなあ。飯田龍太『現代俳句の面白さ』(新潮選書)より引用。ちなみにこの本は同類の入門歳時記の中では白眉である。(井川博年)


September 0891996

 思ひ寝と言ふほどでなし秋しぐれ

                           中村苑子

ひ寝。「恋しい人を思いながら寝ること」(大辞林)。それほどではないけれど、好ましい誰かをふと思いうかべながら眠りにつく。いつか雨の音が聞こえている。しぐれ(時雨)は冬の季語だが、ここは秋のしぐれ。(辻征夫)


September 0991996

 菊を詰め箱詰めにしたい女あり

                           田中久美子

意の句は珍しい。だから、女はコワい。と、思っては、実はいけない。……のではないか。何度か読んでいるうちに、どこかで笑えてくる。奇妙な味。本質はユーモアだ。作者は俳人ではなくて、詩人。宮下和子と二人で同人誌「飴玉」を出している。いつだったか、一緒にビールを飲んだことがあるが、秋風のように繊細にして才気あふれる女性であった。『む印俳句』所収。(清水哲男)


September 1091996

 案山子たつれば群雀空にしづまらず

                           飯田蛇笏

っくき雀どもよ、来るなら来てみろ。ほとんど自分が案山子(かかし)になりきって、はったと天をにらんでいる図。まことに恰好がよろしい。風格がある。農家の子供だったので、私にも作者の気持ちはよくわかる。一方、清崎敏郎に「頼りなくあれど頼りの案山子かな」(『系譜』所収)という句がある。ここで蛇笏と敏郎は、ほぼ同じシチュエーションをうたっている。されど、この落差。才能の差ではない。俳句もまた人生の演出の場と捉えれば、その方法の差でしかないだろう。どちらが好ましいか。それは、読者が自らの人生に照らして決めることだ。『山盧集』所収。(清水哲男)


September 1191996

 裏窓の裸醜し又美し

                           瀧 春一

のような句を読むと、季節に関わらず(もう秋だ)力を込めて紹介したくなる。路地裏の長屋の窓から見える老人の裸。パンツ一枚の姿のなんと醜く美しくあることか。ここに人の世の営みがあるのである。作者は秋桜子門。『花石榴』で蛇笏賞受賞。(井川博年)


September 1291996

 大空の雲はちぎれて秋祭

                           前田普羅

月のこの国は、お祭りでいっぱい。毎日、日本のどこかで祭がある。なんの変哲もない句であるが、まっすぐに秋祭の気分をとらえていて、心に残る。敗戦直後の句であり、しかも富山在住の普羅が空襲で一切を失ったことを知る者にとっては、悲しいくらいに美しい詩心が感じられよう。以後、普羅は漂白の人となる。妻無く(昭和18年に死別)、子無し。といっても、映画「寅さん」の呑気な放浪とは違うのである。門人を頼っての苦しい「旅」の連続であったという。『雪山』(ふらんす堂文庫)所収。(清水哲男)


September 1391996

 秋は女寺から行方不明らし

                           永田耕衣

は女で、寺から行方不明になったのか。または、秋は女寺から行方不明になったのか。何とも不可解な人を食ったようないいまわしは、この作者独特の世界だ。作者は昨年(1995)の神戸大地震で罹災して話題となった俳壇の最長老。(井川博年)


September 1491996

 祭りの灯なかの一軒葬りの灯

                           中村苑子

内の家ことごとくの軒先に祭りの提灯がつけられて、眺めが一変した秋の宵。歩いて行くと一軒だけ色合いの違う提灯がさがっている家があり、喪服の人がひっそりと出入りしている。どちらも、今生の、祭りの灯である。(辻征夫)


September 1591996

 秋簾日のある草に水捨てる

                           北野平八

事を書かせたら、北野平八の右に出る俳人はいない。いつしか、私はそんな確信すら持ちはじめている。俳壇では無名に近いらしいが、おエライさんの目は、どこについてんのかね。縁側の簾(すだれ)の脇から、たとえばコップ半分の水を捨てようというとき、無造作に捨ててもよいのだが、そこはそれ、日のあたっている草にかけてやるのが人間の情。しかも、季は夏ではなくて秋である。うめえもんだなあ。憎らしくなる。没後に刊行された『北野平八句集』(富士見書房・昭和62年)所収。(清水哲男)


September 1691996

 ジーパンをはき半処女や秋刀魚焼く

                           磯貝碧蹄館

処女という造語(?)が絶妙にして秀逸。いまどきの娘はみなそういうものです。作者は元郵便局員として有名。俳号の奇妙さでも有名。韓国の古戦場にちなんだ名というが、本当かしらん。(井川博年)


September 1791996

 鈴虫の一ぴき十銭高しと妻いふ

                           日野草城

作「鈴虫」十四句の三句目。病気の子を慰めようと、勤めがえりに買い求めてきた鈴虫。しかし、妻から最初に出た言葉は「それ、いくらしたの」であった。がっかり、である。昭和十年頃の作品。当時の物価を調べてみると、豆腐が一丁5銭で、そば(もり・かけ)がちょうど10銭。カレーライスが15銭から20銭。天どんが40銭ほどだった。こう見ると、やっぱりこの鈴虫、高いことは高い。それに、いまと違ってどこにでも秋の虫がいた時代だということを思えば、なおさらである。この勝負、草城の負け。『轉轍手』所収。(清水哲男)


September 1891996

 りんご掌にこの情念を如何せむ

                           桂 信子

の句は難しいといわれている。短い詩型だから、想いのすべてを盛りきれないからだ。その点、短歌はほとんど恋歌のための詩型だろう。そんななかで、桂信子のこの一句は希有な成功例だと思う。その秘密は「情念」という抽象語を生々しく使ってみせた技術にある。じいっと句を眺めていると、むしろ「りんご」のほうが抽象的に見えてきてしまう不思議。戦前の女性句に、こんな新しさがあったとは。作者は大正三年秋、大阪生まれ。『月光抄』所収。(清水哲男)


September 1991996

 反故焚いてをり今生の秋の暮

                           中村苑子

年の秋ではなく「今生の秋」。いま歩いている街の風景を、これがやがて私がいなくなる世界だと思いながら眺めはじめたのはいつからだったろう。街をそうした視点をもつ壮年が歩いている一方で、庭の片隅でひっそりと反故(ほご)を焚いているひとがいる。秋の夕暮。『吟遊』(1993)所収。(辻征夫)


September 2091996

 酒も少しは飲む父なるぞ秋の夜は

                           大串 章

書に「故郷より吾子誕生の報至る。即ち一と言」とある。つまり、この句は、まだ見ぬ生まれたばかりの我が子に宛てたメッセージだ。母子ともに元気。こうした場合、その程度の知らせが一般的で、あとは新米の父親たるもの、とりあえずは自分で自分に祝杯をあげるくらいしか能がない。そこで、なんだか嬉しいような困ったような、妙な気分で独り言でもいうくらいのことしかできないのである。私自身もそうだったから、時も秋だったから、この作品は実感的によくわかる。ところで、この句を某居酒屋チェーンの銀座店が、作者には無断で宣伝用の栞(?)に刷り込んで使っているそうな。なるほど、前書をとっぱらってしまえば、勤めがえりの「ちょっと一杯」の気分にも通じなくはない。はしこいですねエ、商売人というものは。見習わなければね、とくに詩人は。『朝の舟』(1978)所収。(清水哲男)


September 2191996

 蟲鳴きて海は暮るるにいとまあり

                           鷲谷七菜子

が国は海に取り巻かれている。したがって、海の句も多いわけだ。だが、この句の叙情性が日本人の誰にでもわかるかというと、そうはいかない気がする。この国は、一方で山の国でもあるからだ。山しか知らない人には、海の句はわからない。かくいう私も山の子だから、正直にいって、この作品の叙情の芯はわかりかねる。優れた句だと感じるのはまた別の理由からなので、この句を実感的にとらえられない自分がくやしい。いつの日か、秋の海辺を訪れることがあったら、この句を思いだすだろう。そしてそのときに、はじめてこの句に丸ごと出会えることになるのだろう。『黄炎』所収。(清水哲男)


September 2291996

 このひととすることもなき秋の暮

                           加藤郁乎

乎の句は油断がならない。なにしろ江戸俳諧の教養がぎっしりと詰まっていて、正対すると足をすくわれる危険性が大だからである。この句にも、芭蕉の有名な「道」の句が見え隠れしている。ところで、「このひと」とはどんな人なのか。女か、男か。なんだかよくわからないけれど、読み捨てにはできない魅力がある。男の読者は「女」と読み、女の読者は逆に読めば、それぞれに物語的興味がわくのではあるまいか。といっても、私は「このひと」を「男」と読んだ。「このひと」はたぶん気難しい年長者、おまけに下戸ときているので、酒好きの作者がもてあましている図。「することもない」のは当たり前だ。情緒もへったくれもない秋の夕暮。『秋の暮』所収。(清水哲男)


September 2391996

 ひらきたる秋の扇の花鳥かな

                           後藤夜半

鳥は花鳥図。中国的な派手な図柄が多い。秋にしては暑い日、目の前の女性が扇をひらいた。見るともなく目にうつったのは、見事な花と鳥の絵。ただそれだけのこと。と、受け取りたいところだが、ちょっと違う。ポイントは、扇をひらいた女性が、その華麗な花鳥図の雰囲気にマッチしていないというところにある。「秋の扇」には「盛りを過ぎた女性」の意味もあるのだという。といって、作者が意地悪なのではない。抗うことのできない残酷な現実を哀しんでいるのだ。『青き獅子』(1962)所収。(清水哲男)


September 2491996

 虫の土手電池片手に駆けおりる

                           酒井弘司

のとき、作者は高校生。何のために必要な電池だったのか。とにかくすぐに必要だったので、そう近くはない電器店まで買いに行き、近道をしながら戻ってくる光景。川の土手ではいまを盛りと秋の虫が鳴いているのだが、そんなことよりも、はやくこの電池を使って何かを動かしたいという気持ちのほうがはやっている。作者と同世代の私には、この興奮ぶりがよくわかる。文字通りに豊かだった「自然」よりも、反自然的「人工」に憧れていた少年の心。この電池は、間違いなく単一型乾電池だ。いまでも懐中電灯に入れて使う大型だから、手に握っていれば、土手を駆けおりるスピードも早い、早い。『蝶の森』(1961)所収。(清水哲男)


September 2591996

 洪水のあとに色なき茄子かな

                           夏目漱石

子は「なすび」と読ませる。台風による出水で洗われたあとの野菜畑の情景。こんな茄子は、嫁にでも食わせるしかあるまい。というのは、選句者の冗談。この句、実は自画像なのである。明治四十三年九月二十三日の日記に「病後対鏡」とあり、この句が記されている。大病したあとに鏡で顔を見てみたら、まるで色を失った茄子のようではないか。いかにも漱石らしい不機嫌なユーモア。『漱石句集』(岩波文庫)所収。(清水哲男)


September 2691996

 二の腕に声染みついて妊りぬ

                           春海敦子

性ならではの作品。男にはつくれない。発想らしきものも、絶対に浮かんではこないと思う。「妊りぬ」と、あるからではない。「声染みついて」がポイント。妊娠の句ならば、他にもいろいろとあるが、これほどに官能的な味わいを残しているものは見たことがない。悦楽の果ての現実を、いささか不良的な目で突き放してみせた力量は相当なものだ。ま、これ以上の野暮は言うまい。「お見事」の一語に尽きる。『む印俳句』所収。(清水哲男)


September 2791996

 典雅にて漆紅葉は孤絶せり

                           島 将五

(うるし)紅葉の見事さは、他の木々のそれとは格違いである。少年時代に、漆の多い山地で暮らしていたのでよくわかる。このとき、見事なだけにかえって孤絶しているという発想は、それこそ典雅だというしかない。。作者の島将五を、実はつい最近まで、私は名前も知らなかった。読者の小倉涌史さんから、非常に面白い俳人がいるとメールで教えていただいて、はじめて知った。読みたくなった。ところが、それから先が厄介至極。島将五は俳人名簿に載っていないので、読みたくても手掛かりがない。小倉さんも、十年ほど前に俳句雑誌でいくつかの作品を読んだだけだという。そのうちに二通目のメールが届き、矢島渚男(「梟」主宰)さんと何か関係があるらしいという情報を得た。といわれても、私は矢島さんとは何の接点もない。思いあまって、友人の大串章(「百鳥」主宰)に電話。そういうことなら矢島さんに頼んでみてやろうということになり、一週間ほど過ぎたころ、矢島さんから貴重な島将五の句集をお送りいただいたという次第。たった一冊の本を読むのにも、友情や善意に支えられることもあるのだ。嬉しかった。三氏に心よりお礼を申し上げます。さて、今日は十五夜。島将五の句集からもう一句。「春日野は倶舎も華厳も良夜かな」(『定本・大和百景』私家版限定二十部・1992)。上掲の作品は『萍水』(1981)所収。(清水哲男)


September 2891996

 霧よりも上で朝餉の菜を洗ふ

                           岡田史乃

代ならではの抒情。人が高いところ(高層住宅)で暮らしはじめてから、さほどの年月は経っていないが、なるほど、このように実感している人もいるわけだ。朝食を終えると、作者は霧の中へと出て行く。ここで霧は幻想の世界ではなく、むしろややこしい人間関係などを含んだ現実界の象徴である。『浮いてこい』(1983)所収。(清水哲男)


September 2991996

 霧の村石を投らば父母散らん

                           金子兜太

者のふるさと、秩父への思いをこめた一句です。石を投げれば父も母も、そして父祖の霊も散ってしまうだろう、というのです。ふるさとへの愛憎を読みとることができます。「投らば」は「ほうらば」。(酒井弘司)


September 3091996

 鶏頭の十四五本もありぬべし

                           正岡子規

学の教室で習った。明治三十三年の作。教師は「名句」だといったが、私にはどこがよい句なのか、さっぱりわからなかった。しかし、年令を重ねるにつれて、だんだん親しみがわいてきた。この季節になると、ふと思いだす句のひとつである。作家にして歌人の長塚節がこの句を称揚し、子規の弟子である虚子が生涯この作品を黙殺しつづけたのは有名な話だ。この件について山本健吉は、意識下で師をライバル視せざるをえなかった「表面は静謐の極みのような」虚子の「内面に渦巻く激しい修羅の苦患であった」と書いている。その虚子の鶏頭の句。「鶏頭のうしろまでよく掃かれたり」。なんとなく両者の鶏頭への思いが似ていると感じるのは、私だけでしょうか。(清水哲男)




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