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September 0291996

 モズ鳴けど今日が昔になりきれず

                           谷川俊水

水は、詩人・谷川俊太郎さんの俳号。小学三年生ではじめて俳句をつくったときに、つけたという。上掲の句は、最近(8月31日)、荻窪の大田黒公園茶室で開かれた余白句会での作品。私にはよくわからなかったが、八木幹夫と加藤温子が推した。作者の説明。いまどきめったに聞くことがない懐しいモズの鳴く声を聞いたけれど、このように現代の「今日」は、いま私たちが「昔」を懐しむというような感じでの「昔」にはなりきれないのではあるまいか。そういうことだそうである。散会のときに「インターネットに載せますよ」といったら、「英訳もつけてね」といわれてしまった。どなたか、挑戦してみてください。(清水哲男)


September 1991997

 朝鵙や昨日といふ日かげもなし

                           林 翔

は「もず」。気性の荒い鳥だ。朝早くからキーッ、キーッと苛立っている。そんな鵙の声を耳にすると、なんだか逆に気持ちが落ち着いてくる。昨日はいろいろなことがあり、どう対処すべきかなどと思い悩んだが、それが嘘のように消えてしまった。悩みの袋小路から、いつの間にかするりと抜け出ている。「昨日といふ日」はどこへ行ったのか、影もない。さっぱりとした気分で、一日がはじめられる清涼感。鵙の声は、なおしきりである。(清水哲男)


November 05112000

 鵙啼や竿にかけたるあらひ物

                           浦 舟

屋話。ここに載せる句に行き詰まると、ぱらぱらと拾い読みする本の一冊に、岩波文庫の柴田宵曲(1897-1966)『古句を観る』がある。元禄期無名俳人の句ばかりをコレクションして、その一つ一つに短い鑑賞文を添えた本だ。掲句も、集中の一句である。集められた句には、さすがに威風堂々あたりを払うような名品は見あたらないけれど、宵曲の道案内に従っていくと、有名でない句にも、よさのあることがよくわかる。どんな俳句でも面白いんだ、べつに威風堂々の風を吹かすばかりが能じゃない。これが、彼の江戸俳句を読む前提の心映えである。拾い読みしていると、こういう「気」が伝染してきて、正気に立ち戻れる。ついつい句に対して構える気持ちが、すうっと消えてしまう。そうだ楽しまなくては、と思い直せるのだ。掲句は、鋭く啼き立てる鵙(もず)と洗濯物の取りあわせ。明るい秋の日和を連想させるが、発想は平凡だ。「……という人があるかもしれぬ。けれどもそれはその後において、この種の趣向がしばしば繰返されたためで、浦舟の句が出来た時分には、まだそれほどではなかったのではないかという気がする」。この「気がする」はさりげない留めに見えて、実は古句を渉猟した者の自信が発した「さりげなさ」である。このような「気がする」が随所に出てきて、そのたびにハッとさせられる。そこで、もう一度句を眺めることになる。宵曲の「気がする」に誘われて掲句を眺め返すと、竿にかけられた「あらひ物」が生き生きと目に浮かぶようになるから不思議だ。鵙の声も、やかましい。句空間の張りが、ぐんぐん大きくなってくる。そうか、とくに古い書き物を読むときには心しなければならないなと、凡なる私としては自戒しきりだ。(清水哲男)


October 03102014

 鵙遠音魚板打ちても応答なし

                           景山筍吉

の甲高い鳴き声は遠くまで届く。澄んだ秋の空気の中訪れた禅寺には人気が無い。どこか奥まった所でお勤めをしているのかも知れない。柱を見ると魚板と小槌がぶら下がっている。これが呼び鈴代わりかと早速叩いてみる。手応えのある音の割には中からの応答(いらへ)が無い。どこか心細くなる。寺へ悩み事の相談に訪ねたのであれば尚更のこと。因みに景山筍吉が敬虔なクリスチャンであった事を思うと、問うて答えのない不安な心を見てしまうのである。神仏に声は無い。他に<繰り返へす凡愚の日々の蚊遣かな><友情の嘘美しき月の道><キリシタン処刑跡なり蛇の衣>など。『白鷺』(1979)所収。(藤嶋 務)


September 0492015

 早ミサへ急げば鵙の高鳴けり

                           景山筍吉

虔なクリスチャンのある日の一こま。一日世に塗れれば一日教えに背いた反省が募る。昨夜悶々と悩んだ身の汚れを一刻も早く払拭せんと早朝ミサへと急ぐ。ご自身の何人かの娘さんも全員も修院へ送ることとなる。神へ捧げた娘達へ、嫁がせて子を為すという幸せを捨てさせたのではないか。心臓の鼓動の高鳴りに呼応して鵙が耳をつんざく様な鋭い声で鳴いた。彼は中村草田男の奥様にクリスチャンの直子氏を推挙し媒酌を務めた。閑話休題、彼が唯一民間の株式会社の社長をされた時の新入社員が小生であった。「勤め人は毎日会社へ来る事が仕事だよ」「運転手君、暑いから日陰を通って呉れたまえ」の語録が記憶に残っている。筍吉句<熱燗や性相反し相許す><薔薇に雨使徒聖霊に降臨す><修院へ入る娘と仰ぐ天の川>は教徒としての真摯な日常が滲み出ている。万感の思いを込めて成した著作マリア讃歌にはちゃらちゃらした感傷的な場面はない。その「マリア讃歌」(1937)所収。(藤嶋 務)




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