1996ソスN9ソスソス5ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 0591996

 九月の教室蝉がじーんと別れにくる

                           穴井 太

き中学教師だったころの作品。そういえば、そうでしたね。この季節、遅生まれ(?)の油蝉なんかが、校庭の樹にいきなりやってきて鳴いていました。蝉しぐれの時も終っているだけに、その一匹の声が、ヤケに声高に聞こえたものです。懐しくも切なく感じられる一句です。私は学校が嫌いでしたが、やはり学校はみんなが通った共通の場。この句を読むと、それぞれにそれぞれの郷愁をかきたてられるのではないでしょうか。字余りは作者得意の技法ともいえ、これを指して「武骨に澄んでいる」と評した城門次人の言は的確です。『鶏と鳩と夕焼と』所収。(清水哲男)


September 0491996

 大阪はこのへん柳散るところ

                           後藤夜半

句もいいけれど、技巧的に優れた作品ばかり読んでいると、だんだん疲れてくる。飽きてしまう。そのようなときに、夜半はいい。ホッとさせられる。夜半は、生涯「都会の人」ではなく「町の人」(日野草城)だったから、一時期をのぞいて、ごちゃごちゃしんきくさいことを言うことを嫌った。芸術家ではなく、芸人だった。生まれた大阪の土地や文化をこよなく愛した。自筆の短冊を写真で見たことがあるが、いまどきの女の子の丸字の先駆けのようにも思える。ちっとも偉そうな字ではないのである。昭和51年初秋、柳の散り初めるころに没。享年81歳。『底紅』所収。(清水哲男)


September 0391996

 さんま焼くや煙突の影のびる頃

                           寺山修司

語という言葉があるが、この光景はもはや「死景」といってよいだろう。ただただ懐しい。そして十代の寺山修司は、この光景が「今」だったころに、既にセピア色に焼き付けている。しゃれている。センスの良さである。七輪で焼いた秋刀魚が、無性に食べたくなった。いや、思い切りジュージュー焼けていく秋刀魚の煙をかぎたくなった。『われに五月を』所収。(清水哲男)




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