cvq句

September 0991996

 菊を詰め箱詰めにしたい女あり

                           田中久美子

意の句は珍しい。だから、女はコワい。と、思っては、実はいけない。……のではないか。何度か読んでいるうちに、どこかで笑えてくる。奇妙な味。本質はユーモアだ。作者は俳人ではなくて、詩人。宮下和子と二人で同人誌「飴玉」を出している。いつだったか、一緒にビールを飲んだことがあるが、秋風のように繊細にして才気あふれる女性であった。『む印俳句』所収。(清水哲男)


January 1611997

 仁王立ちの雀と見つめ合うしばし

                           田中久美子

合いがしらの猫とは、たまにこういう状態になってしまうことがある。雀とでも、見合ってしまうことがあるのだろうか。この句を読むと、ありそうな気がしてくる。しかも、その雀が仁王立ちというのだ。猫とちがって雀の脚は二本だから、なるほど、仁王立ちになれるのである。その姿がなんとなくおかしく、なんとなく可愛らしい。田中久美子は詩人だが、俳句をつくらせても巧いものである。詩誌「Pfui!」2号(1997・京都)所載。(清水哲男)


October 01102007

 秋灯目だけであくびしてをりぬ

                           田中久美子

わず、笑わされてしまった。ありますねえ、こういうことって……。この句の主体は作者だろうか、それとも他者だろうか。どちらでも良いとは思うけれど、後者のほうがより印象的になる。他者といっても、もちろん家族ではないだろう。多少とも、他人に気を使わなければならない場所での目撃句だ。たとえば会社での残業だとか、夜の集会だとか、そういったシチュエーションが考えられる。懸命に眠さをこらえている様子の人がいて、気になってそれとなく見やると、欠伸の出そうな口元のあたりをとんとんと軽く叩きながらも、しかし「目」は完全に欠伸をしてしまっていると言うのである。涼しい秋の夜の燈火は、人の目を冴えさせるというイメージが濃いのだが、それだけに、逆にこの句は説得力を持つ。「秋灯(あきともし)」といういささかとり澄ましたような季語に、遠慮なく眠さを持ってきた作者の感性は鋭くもユニークだ。かつて自由詩を書いていた田中久美子が、このような佳句をいくつも引っさげて戻ってきたことを、素直に喜びたい。そのいくつか。〈夢ばかり見てゐる初夢もなく〉〈一筆のピカソ一生涯の蜷〉〈太テエ女ト言ハレタ書イタ一葉忌〉『風を迎へに』(2007)所収。(清水哲男)




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