1996N919句(前日までの二句を含む)

September 1991996

 反故焚いてをり今生の秋の暮

                           中村苑子

年の秋ではなく「今生の秋」。いま歩いている街の風景を、これがやがて私がいなくなる世界だと思いながら眺めはじめたのはいつからだったろう。街をそうした視点をもつ壮年が歩いている一方で、庭の片隅でひっそりと反故(ほご)を焚いているひとがいる。秋の夕暮。『吟遊』(1993)所収。(辻征夫)


September 1891996

 りんご掌にこの情念を如何せむ

                           桂 信子

の句は難しいといわれている。短い詩型だから、想いのすべてを盛りきれないからだ。その点、短歌はほとんど恋歌のための詩型だろう。そんななかで、桂信子のこの一句は希有な成功例だと思う。その秘密は「情念」という抽象語を生々しく使ってみせた技術にある。じいっと句を眺めていると、むしろ「りんご」のほうが抽象的に見えてきてしまう不思議。戦前の女性句に、こんな新しさがあったとは。作者は大正三年秋、大阪生まれ。『月光抄』所収。(清水哲男)


September 1791996

 鈴虫の一ぴき十銭高しと妻いふ

                           日野草城

作「鈴虫」十四句の三句目。病気の子を慰めようと、勤めがえりに買い求めてきた鈴虫。しかし、妻から最初に出た言葉は「それ、いくらしたの」であった。がっかり、である。昭和十年頃の作品。当時の物価を調べてみると、豆腐が一丁5銭で、そば(もり・かけ)がちょうど10銭。カレーライスが15銭から20銭。天どんが40銭ほどだった。こう見ると、やっぱりこの鈴虫、高いことは高い。それに、いまと違ってどこにでも秋の虫がいた時代だということを思えば、なおさらである。この勝負、草城の負け。『轉轍手』所収。(清水哲男)




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