1996N927句(前日までの二句を含む)

September 2791996

 典雅にて漆紅葉は孤絶せり

                           島 将五

(うるし)紅葉の見事さは、他の木々のそれとは格違いである。少年時代に、漆の多い山地で暮らしていたのでよくわかる。このとき、見事なだけにかえって孤絶しているという発想は、それこそ典雅だというしかない。。作者の島将五を、実はつい最近まで、私は名前も知らなかった。読者の小倉涌史さんから、非常に面白い俳人がいるとメールで教えていただいて、はじめて知った。読みたくなった。ところが、それから先が厄介至極。島将五は俳人名簿に載っていないので、読みたくても手掛かりがない。小倉さんも、十年ほど前に俳句雑誌でいくつかの作品を読んだだけだという。そのうちに二通目のメールが届き、矢島渚男(「梟」主宰)さんと何か関係があるらしいという情報を得た。といわれても、私は矢島さんとは何の接点もない。思いあまって、友人の大串章(「百鳥」主宰)に電話。そういうことなら矢島さんに頼んでみてやろうということになり、一週間ほど過ぎたころ、矢島さんから貴重な島将五の句集をお送りいただいたという次第。たった一冊の本を読むのにも、友情や善意に支えられることもあるのだ。嬉しかった。三氏に心よりお礼を申し上げます。さて、今日は十五夜。島将五の句集からもう一句。「春日野は倶舎も華厳も良夜かな」(『定本・大和百景』私家版限定二十部・1992)。上掲の作品は『萍水』(1981)所収。(清水哲男)


September 2691996

 二の腕に声染みついて妊りぬ

                           春海敦子

性ならではの作品。男にはつくれない。発想らしきものも、絶対に浮かんではこないと思う。「妊りぬ」と、あるからではない。「声染みついて」がポイント。妊娠の句ならば、他にもいろいろとあるが、これほどに官能的な味わいを残しているものは見たことがない。悦楽の果ての現実を、いささか不良的な目で突き放してみせた力量は相当なものだ。ま、これ以上の野暮は言うまい。「お見事」の一語に尽きる。『む印俳句』所収。(清水哲男)


September 2591996

 洪水のあとに色なき茄子かな

                           夏目漱石

子は「なすび」と読ませる。台風による出水で洗われたあとの野菜畑の情景。こんな茄子は、嫁にでも食わせるしかあるまい。というのは、選句者の冗談。この句、実は自画像なのである。明治四十三年九月二十三日の日記に「病後対鏡」とあり、この句が記されている。大病したあとに鏡で顔を見てみたら、まるで色を失った茄子のようではないか。いかにも漱石らしい不機嫌なユーモア。『漱石句集』(岩波文庫)所収。(清水哲男)




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