1996ソスN10ソスソス7ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 07101996

 静脈の樹が茂り合う美術館

                           吉田健治

術館に出かけていくのは、館内に展示されている美術品を見るためである。しかし作者は入館の前に、美術館それ自体をまず「作品」として捉えている。とりたてて奇抜な発想ではないけれど、そして「静脈の樹」云々は作者の感性に属する事柄だとしても、美術館を訪れる人の誰しもが抱く思いのひとつを描いてみせた目は鋭い。「そう言われれば、そうだよね」という感じ。これが俳句の面白さだ。この句を読むと、ひさしぶりに美術館に行きたくなってきませんか。「抒情文芸」創刊20周年記念・最優秀賞受賞作品(選者・三橋敏雄)の内。(清水哲男)


October 06101996

 畳屋の肘が働く秋日和

                           草間時彦

が畳で爪を研ぎたがるのは納得がゆく。爪のひっかけ具合、弾力具合。お尻を引いて反り上げ、前足でバリバリ。先日、近所の畳屋さんに三匹の仔猫がいるのにはちょっと驚いた。天敵を置くようなものじゃないか。三匹は、前足を揃えリヤカーの畳の上。主人の仕事ぶりを見ていた。商売物には手を出すな、の教訓は守られているようだった。(木坂涼)


October 05101996

 龍天に昇りしあとの田螺かな

                           内田百鬼園

学が亡くなって二年になる。その通夜の席に刷りあがったばかりの佃の新詩集『ネワァーン・ネウェイン洗脳塔』(砂子屋書房)が届いたことを思い出す。佃の最初の詩集は昭和40年に刊行された『精神劇』(私家版)であるが、私の所持するそれには古い手紙が挟んであって、「やっとできた、という気持だ。売れない詩集作りの仲間入りということか云々……」と書いてある。そうか、佃学は売れない詩集を十二冊も作ったのか。ところで、この「龍天に」の一句は、『ネワァーン・ネウェイン洗脳塔』の"あとがき"に引用されている。佃学はこの句のことを「まことに大らかないい句だ」と言っている。その言葉に私は慰められる。佃よ!(大串章)

[編者註]佃学(つくだ・まなぶ)は1939年高松市生まれ。詩人。高松高校を経て1958年京都大学文学部入学。その春に農学部の宮本武士(大阪・北野高)の呼びかけに応じて、経済学部の大串章(佐賀・鹿島高)や文学部の清水哲男(東京・立川高)らとともに同人誌「青炎」に参加。初期は短歌もよくしたが、やがて詩作に専念。現役詩人では江森國友氏を尊敬していた。1994年秋分の日に没。享年55歳。上掲の句の「田螺(たにし)」はもとより春の季語であるが、大串君や私たち仲間にとっては秋になると思いだす季節を超えたそれでもある。




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