1996N1013句(前日までの二句を含む)

October 13101996

 夏草やベースボールの人遠し

                           正岡子規

苦しい「夏草」の季節はとっくに終ったが、「ベースボール」の方は日に日にアツくなるばかりで、巨人かオリックスかとかまびすしい限りだ。子規は俳人歌人の中では最初の野球狂ともいうべき人物で、明治二十年には「ベースボール程愉快にてみちたる戦争は他になかるべし」(「筆まかせ」)などと書いている。子規が「ベースボール」を「野球」と翻訳したというのは誤伝だが、野球に熱心で各ポジションの名称を翻訳したのは事実だ。子規の訳語中、打者(バッター)や四球(フォアボール)は今も生きているが、攫者(かくしゃ・キャッチャー)や本基(ほんき・ホームペース)はアウトということになる。(大串章)


October 12101996

 夕焼や新宿の街棒立ちに

                           奥坂まや

和62年(1987)の作。新宿西口高層ビル街の夕景である。この句を読んで瞬間的に思ったのは「作者はあまり新宿になじみがないな」ということだった。私のような「新宿小僧」にいわせれば、新宿は棒立ちになるような街ではない。第一、高層ビルだなんて、新宿には似合わないのである。私自身、高層ビルのひとつKDDビルの34階で数年仕事をしていたけれど、一度もそこを新宿だと感じたことはなかった。このことは、もちろん句の良し悪しに関係はないのだけれど、なんだか私にはくやしいような作品ではある。そういえば、戦前の流行歌の一節に「変る新宿あの武蔵野の月もデパートの屋根に出る」とかなんとか、そんな文句があった。この歌を書いた人ならば、きっとこの句を歓迎するだろう。『列柱』所収。(清水哲男)


October 11101996

 掌の中に持ちゆく気なき木の実かな

                           北野平八

は「て」と読ませる。作者は、このときひとりではない。女性といっしよに公園か林の道を歩いている。会話も途切れがちで、ぎくしゃくとした雰囲気の中、落ちていた木の実を拾ってはみたものの、その場をとりつくろうためだけの行為であった。どうして俺はこうなんだろうか。……と、実は作者の意図は他にあったのかもしれないが、私としては、こんな具合に読んでしまった。若いころの思い出に、ちょっとだけ似たシーンがあったものですから。『北野平八句集』所収。(清水哲男)




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