1996N1018句(前日までの二句を含む)

October 18101996

 秋の夜の君が十二の學校歌

                           清水基吉

書に「三十余年ぶりにて小学校時代の男女集ふ」とある。したがって、四十歳代の同級生交歓である。句の「君」は、誰を指しているというのでもない。強いていえば出席者全員、もちろん自分も含めての「君」であろう。「はるばると来つるものかな」の感慨が滲み出た佳句である。作者は元来小説家で、芥川賞作家でもあるが、最近は小説を発表されてないようだ。たまたま姓は同じだけれど、私と姻戚関係はない。『宿命』所収。その昔、ひょんなことから署名本をいただき、大切にしている。(清水哲男)


October 17101996

 鯛焼のあんこの足らぬ御所の前

                           大木あまり

夕はだいぶ冷え込むようになってきた。辛党の私でも、ときどき街でホカホカの鯛焼きを食べたい誘惑にかられるときがある。まして、作者は女性だ。旅先の京都で鯛焼きを求めたまではよかったが、意外に「あんこ」が少なかったので、不満が残った。庶民の食べ物とはいえ、さすがにそこは京都御所前の鯛焼き屋である。上品にかまえているナ、という皮肉だろう。それにしても、御所の前に鯛焼き屋があったかなあ。どなたか、ご存じの方、教えてください。ついでに「あんこ」の量についても。無季。『雲の塔』所収。(清水哲男)


October 16101996

 乳母車むかし軋みぬ秋かぜに

                           島 将五

の作者にしては、珍しく感傷的な句だ。乳母車の詩といえば、なんといっても三好達治の「母よ……/淡くかなしきもののふるなり」ではじまる作品が有名だが、この句もまた母を恋うる歌だろう。むかし母が押してくれた乳母車の軋み。それが秋風の中でふとよみがえってきた。六十代後半の男の、この手放しのセンチメンタリズムに、私は深く胸うたれる。母よ……。『萍水』所収。(清水哲男)




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