1996ソスN10ソスソス24ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 24101996

 清水を祇園へ下る菊の雨

                           田中冬二

の句は、もちろん与謝野晶子の有名な歌を意識している。というよりも、対抗しているというべきか。「桜月夜」に対して「菊の雨」。「春」対「秋」。しかし、勝敗の帰趨は明らかで、冬二の完敗である。情感のふくらみで劣っている。田中冬二は『青い夜道』『海の見える石段』などの著書を持つ著名な抒情詩人だが、俳句もよくした。例外はあるとしても、どうも詩人の句には貧弱なものが多い。冬二ほどの凄い詩人でも、この始末。悪い句ではないけれど、イメージ的に何か物足らないのである。天は二物を与えないということだろうか。『若葉雨』所収。(清水哲男)


October 23101996

 秋風や鼠のこかす杖の音

                           稲津祇空

者は江戸期大阪の人。談林系から蕉門へ近づき、江戸に出て基角に師事した。「こかす」は、今でも方言として生きている地方もあるが、「たおす、ひっくりかえす」の意。私が子供だったころにも、寒い日の夜ともなれば、鼠どもが天井裏などを走り回っていた。人間が寝てしまうと、土間にも出没して、こういうこともやらかしてくれる。杖の倒れた音に作者は一瞬驚くのだが、いたずらをした犯人もまた一瞬にして見当がつく。耳をすますと、表ではひゅうひゅうと風の吹き渡る音。心ぼそい秋の夜、いたずら鼠にむしろ親愛の情すら感じてしまう。淋しかったでしょうね、大昔の秋の夜は。(清水哲男)


October 22101996

 あきかぜのふきぬけゆくや人の中

                           久保田万太郎

込みのなかの淋しさ。極めて現代的で都会風の抒情句だ。銀座あたりの人込みだろうか。平仮名を使ったやわらかい表現から、時間的には秋晴れの日の昼下がりだろう。これを「秋風の吹き抜け行くや人の中」とでもやったら、とたんにあたりは暗くて寒くなってしまう。すなわち、翻訳不可能な作品の典型ともいえる。人込みのなかの淋しさを、むしろここで作者は楽しんでいるのである。(清水哲男)




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