October 251996
牡蛎の酢に噎せてうなじのうつくしき
鷹羽狩行
狩行には、女性をうたった句が多い。『女人抄』(ふらんす堂文庫)というアンソロジーがあるくらいだ。この句、異性とともにあるときの男の視線の動きを如実に伝えていて、面白い。相手が男だったら、このような視線の動きはありえないだろう。ある人が「狩行は現代の談林派だ」といったが、的を得ている。大衆性があるという意味だ。小説家でいえば、最近では『失楽園』で話題の渡辺淳一に共通する資質を持っていると思う。たまさか甘すぎて、私などには気恥ずかしく感じられる句もある人だ。が、現代俳句にとっては、それもまた貴重な試みだと受け取っておきたい。『七草』所収。(清水哲男)
December 151999
山国に来て牡蠣の口かたしかたし
矢島渚男
そのまま解釈すれば、海のものである牡蠣(かき)がはるばると山国にやって来て、いざ貝殻をこじ開けようとしても、固くてなかなか開かないということだ。そして、この事実の上に、作者は山国の人の口の重さを乗せている。俗に「牡蠣のように押し黙る」という。ちょっとした宴席ででもあろうか。旅人としての作者が、何を尋ねても、誰もが寡黙なのである。よそ者には山国の人間として対するのではなく、あたかも海の者のようにしか応対しないという構図。皮肉たっぷりの句だ。山国育ちだから、私にはこの応接ぶりがよくわかる。そのあたりを象徴しているのが、旅館の食事メニューだろう。どんなに草深い田舎の旅館に泊まっても、ちゃんと海のものである刺し身と海老フライなんかが出てくる。もとより新鮮ではありえないから、食べて美味いものではない。旅の身としては、よほど地元の川魚や山菜のほうが食べたいのに、そうは応接してくれないから厄介だ。「ご馳走」ではなくて「見栄」を食わされているのだと、いつも思ってしまう。作者は長野県丸子町の在。旅人としてではなく、地元への愛憎半ばした一句と読むこともできるが……。『天衣』(1987)所収。(清水哲男)
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