1996ソスN11ソスソス5ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 05111996

 此の世に開く柩の小窓といふものよ

                           高柳重信

老孟司の「死体はヒトである」という言説は、多くのことを考えさせる。他方で「死体はモノである」という人もいる。「ゴミである」という人もいる。このとき、柩の小窓は何を意味するのだろうか。なんのために、あの小窓は開けられているのだろう。「死体はヒト」なのだから、此の世との交通をなおも保つためなのか。それにしては、すぐに火をかけてしまう残酷な行為を、どう解釈すればよいのか。まだ、確実に内蔵の一部は生きているというのに。俳人とともに、私もまた小窓にたじろぐ者である。『山川蝉夫句集』所収。(清水哲男)


November 04111996

 萩ひと夜乱れしあとと知られけり

                           小倉涌史

い風の吹き荒れた翌朝、普段は地味で清楚な花の姿も、さすがに乱れに乱れたままの風情である。ただ、それだけのこと。……と、この句を読み終える人は、まず、いないだろう。萩の姿を女性のそれに重ねるようにして、人間臭く読みたくなってしまう。作者の計算はともかくとしても、俳句そのものの力が、そのような方向に読者を誘惑するのである。そしてもちろん、この場合、作者はその力をよく知っている。『落紅』所収。(清水哲男)


November 03111996

 一線を越えて凍る尾觝骨

                           春海敦子

るは「こごえる」と読ませるのだろう。うーむ、丸ハダカか。「一線を越えて」という古風な言いまわしが、かえって生々しい。行為の直後のことを詠んだ句も珍しい。この人、鋭い感受性を持ってるし、素直でいい性格もしてるだろうな。でも、お友だちにはなれない気がする。この句を読むかぎりでは、まったく詩的なセンスが合わないからだ。とはいえ、かなり凄い句ですよ。ユーモラスだが、下品に落ちていないところが……。無季と読みたい。『む印俳句』所収。(清水哲男)




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