November 081996
いちまいの皮の包める熟柿かな
野見山朱鳥
掌に重い熟した柿。極上のものは、まさにこの句のとおり、一枚の薄い皮に包まれている。桃の皮をむくよりも、はるかに難しい。カラスと競い合うようにして、柿の熟れるのを待っていた我ら山の子どもは、みんな形を崩さずに見事にむいて食べたものだった。山の幸の濃密な甘味。もう二度と、あのころのような完璧な熟柿を手に取ることはないだろう。往時茫茫なり。なお、この句には、同時にかすかなエロスの興趣もある。『曼珠沙華』所収。(清水哲男)
November 071996
鵞鳥の列は川沿ひがちに冬の旅
寺山修司
寺山修司の句の特徴のひとつは、情景の大胆な位置づけにある。まさか鵞鳥が旅に出るわけはないが、そのよちよち歩きの行列を目にして、ひょいと「冬の旅」と位置づけてみせている。言われてみると、なるほど「冬の旅」に思えてくるから、読者としては嬉しくなってしまう。大胆な位置づけにもかかわらず、イメージの飛躍に無理がないのである。修司十代の作品。彼は、つまりはじめから演劇的な空間づくりの才に秀でていたのだった。『われに五月を』所収。(清水哲男)
November 061996
ためらってまた矢のごとき蜻蛉かな
小沢信男
蜻蛉は「あきつ」と読ませる。そのほうが「矢」に照応するからである。この句、実に巧みに蜻蛉(とんぼ)の生態をとらえていて、しばし「うーむ」と唸ってしまった。こうした一瞬の蜻蛉の姿を誰それの人生になぞらえることもできそうだが、この場合には、私は素直にこのまま受け取るほうを選ぶ。小沢信男は作家にして、わが「余白句会」の宗匠的存在。俳風は軽妙洒脱、反骨精神旺盛である。俳号は「巷児」と、いかにも谷中の住人にふさわしい。(清水哲男)
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