荳画ゥ矩キケ螂ウ縺ョ句

November 14111996

 暖炉昏し壷の椿を投げ入れよ

                           三橋鷹女

炉とは縁がないままに来た。これから先もそうだろう。ホテルなどの暖炉も、いまは装飾用に切ってあるだけだ。だから、句意はわかるような気がするけれど、実感的には知らない世界だ。ちょっと謡曲の「鉢の木」を思いださせる句でもある。そんななかで、私の知っている唯一のちゃんとした暖炉は、安岡章太郎邸の客間のそれだ。燃えていると、ほろほろと実に暖かい。豪勢な気分になる。「最近は、薪がなくてねえ…」。何年かぶりに仕事で訪れた私に、作家はふんだんに火のご馳走をしてくださった。今夜あたりも、あの暖炉はあかあかと、そしてほろほろと燃えていることだろう。(清水哲男)


March 2231997

 春の夢みてゐて瞼ぬれにけり

                           三橋鷹女

んな夢だったのだろう。夢の心理学は苦手だが、この句に近い心持ちで目覚めたことはある。現実と同じように、夢の世界も決して自由ではない。ただ、夢の中の時空間の混乱に乗じて、ひとつの感情を現実よりも深めることはできる。センチメンタリズムの深みに、身を投げてしまうこともある。そうすると、おのずから瞼は濡れてくる。もちろん、哀しいからなのだけれど、春の浅い眠りの夢には、その哀しみにどこか甘美さが伴う。明日の朝は、そんな甘美さの残る感情とともに目覚めてみたい。(清水哲男)


June 1361998

 夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり

                           三橋鷹女

こまで言いきれたら、さぞや気持ちがいいことだろう。言いたくても、なかなかこうすっぱりとは言いきれない。昔から人には素人栄養士みたいなところがあって、他人が少しでも弱っていると「ちゃんと野菜食べてる?」などと忠告したりする。言われた当人も、別の場面ではいっぱしの栄養士なのだからして、余計な忠告をうるさいと思いながらも、図星だから黙ってうなずくしかないのである。ここで鷹女が嫌悪しているのは、そうした他人からの無責任な忠告もさることながら、自分のなかに棲む栄養士的なる存在のそれに対してでもあったろう。つまり、句の憤りは、他人に向けられていると同時に自己にも向けられている。自分にも言い聞かせている。そう読まなければ、単なるわがまま句になってしまう。このとき、作者は三十七歳。1935年の女三十七歳といえば、もはや世の中に甘えたりすねたりできる年齢ではなかった。一見、無茶を言っていると写るが、実は万人の心の奥の本音をあっけらかんとさらしてみせているのだ。ここが非凡。現代はとりわけて、やれ栄養だのやれ健康増進だのと、かまびすしい世の中である。それだけに、句に共感する読者も多いと思う。『向日葵』所収。(清水哲男)


August 1581998

 帯売ると来て炎天をかなしめり

                           三橋鷹女

事句である。この句が敗戦後三年目(1948)の夏に詠まれたことを知らないと、意味不明となる。当時の流行語に「タケノコ生活」というのがあった。敗戦で現金収入の道が途絶え、さながらタケノコがおのれの皮を剥いでいくように、身につけていた衣類を売って生活することを言った。炎天下、そんな生活をしているらしい見知らぬ女性が、帯を買ってくれないかと訪ねてきたのである。しかしこのときに、たぶん作者は買わなかったのではなかろうか。なにも吝嗇からではなく、その女性が大切にしている帯だということが痛いほどにわかるので、買わなかったのではなくて、買えなかったのである。つまり作者には、買わないことが、彼女に対するせめてもの愛情表現なのであった。日常的な生活のなかで、これほど女性同士、お互いに悲しいことがあるだろうか。あの頃、私の母も娘時代からの着物や帯をすべて手放した。売った母も悲しかったろうが、買ってくださった方、くださらなかった方にも、みんなに悲しみがあったのだ。凡百の敗戦の句よりも、この句は深く敗戦国の庶民の哀れを訴えている。『昭和俳句選集』(1977)所収。(清水哲男)


March 1031999

 深追いの恋はすまじき沈丁花

                           芳村うつぎ

丁花は春咲きの花のくせに、暗いイメージと結びつきやすいようである。何冊かの歳時記を開いてみても、ひとしなみに暗い句ばかり(と言ってもよいほどだ)。この稿を書くにあたって、庭に咲いている花を、あらためて観察してみた。花そのものは可憐といってもよいほど可愛らしいのだけれど、暗い印象は、花を囲む葉の色がつややかではあるが暗緑色で重い色感のせいだろうか。よく見ないと、一瞥するだけだと、たしかに陰欝な感じを受ける。香りもきついので、けっこう嫌う人も多いのだという。だから、こんな具合に、沈丁花には迷惑な話ながら、人間の深情けの反省のきっかけにされてしまったりもするのだ。句の中身は演歌に近いが、かろうじて沈丁花に救われて「俳句」になったというところ。と言って、私はべつに演歌を馬鹿にしているのではない。演歌の主体には常に匿名性があって、それも私は昔から好きだった。が、匿名性によりかかれない現代俳句という表現ジャンルには、このような作者なりの取り合わせの工夫が必要であるということだ。三橋鷹女には、別の理由によって、決して演歌にはならないであろう次の句がある。「沈丁やをんなにはある憂鬱日」。(清水哲男)


May 2151999

 顔よせて鹿の子ほのかにあたたかし

                           三橋鷹女

語は「鹿の子(かのこ)」で、夏。単に「鹿」と言えば、秋の季題となる。親鹿の後について歩く鹿の子があまりに可愛らしいので、思わず顔を寄せると、ほのかにあたたかい体温を感じた。女性ならではの優しい心情だ。まず、おおかたの男はこういうことをしない。いや、できない。「頬よせて」ではなく「顔よせて」に注目。「顔をよせる」のだから、目はしっかりと鹿の子をとらえている。そしておそらくは、物怖じしない鹿の子の目も、作者を見つめ返しているのだろう。この交感のありようが、なおさらに女性を感じさせるのだ。この句に「母性を感じる」人もいると思うが、私などには「母性」よりも「女性」性に満ちた作品と写る。小さいころから、女性には自然にこういうことをする「性(さが)」が備わっていると思っている。やたらと「カワイイッ」を連発する女性には辟易させられるが、それもまた、こうした行為に自然につながっていく「性」のなせるところなのかもしれない。1936年の作。『向日葵』所収。(清水哲男)


April 1742000

 天が下に風船売となりにけり

                           三橋鷹女

語は「風船」で、春の句。作者自身が「風船売」になったのではない。そのようにも読めるが、街で「風船売」を見かけて、すっと自分の心を重ねて詠んだ句だ。ただし、重ねたとはいっても、境遇や存在そのものを重ねたのではなく、「なりにけり」という感慨の部分で「風船売」と自分とを重ね合わせている。平たく言えば、彼は「風船売」、こちらは「俳句売」、いずれにしても「なりにけり」なのであり、もはや「風船売」も「俳句売(俳人)」も後戻りはできない。人生、お互いに取り返しはつかないのである。どちらの職業がどうなどと、言っているわけでもない。もはや、これまで。お互いに、ほとんど空気を売っているようなもので……と、いささかの自嘲も込められている。この句の諧謔性(飄逸味)を高く評価する人もいるけれど、諧謔を越えたなにやらしんみりとした味わいのほうへと、私の感受性は自然に動いてしまう。どんな職業の人であろうとも、いつしか「なりにけり」の感慨を持ちはじめるだろう。その職業に、満足しているかどうかは別問題だ。人生はおそらく「なるようにしかならぬ」のではなくて、結局は「なりにけり」にしか「ならぬ」のである。掲句は、そういうことを言おうとしている。『白骨』(1952)所収。(清水哲男)


August 2082000

 墜ちてゆく 炎ゆる夕日を股挟み

                           三橋鷹女

季。しかし、「炎ゆる夕日」は夏の季語である「西日」に近い感じだ。初秋の「西日」は、外気の暑さも加わって、たしかに炎えているように見える。童謡の一節「ギンギンギラギラ、ユウヒガシズム」の、あの感じだ。さて、掲句の主語は何だろうか。落ちてゆくのは「夕日」であるが、「墜ちてゆく」のは作者自身だろう。「墜ちてゆく」の後に一字分の空白が入れられていることから、それと理解できる。つなげてしまうと、つづく「股挟み」の主語が作者であるだけに、「墜ちてゆく」主体は「夕日」と限定されてしまう。それにしても、激しい気性の感じられる句だ。このとき、鷹女は六十歳か、六十一歳か。どうせ老いが避けられないのであれば、あの真っ赤な夕日を道連れに「墜ちてゆく」、いや「墜ちてやる」の気概はすさまじい。彼女は、みずからを魚に擬して「一句を書くことは 一片の鱗の剥奪である」と言った。ならば、いつの日にかは確実に全身赤裸となるわけだ。この句は、自身の「赤裸」が近いと心得た作者が、渾身の力を込めて太陽にむしゃぶりついてやるの気迫に満ちている。むしゃぶりつくだけではなく、その上での「股挟み」だ。「夕日」は、必ずしも感傷の対象にはあらず。俳句に命を賭けた者にしか、こういう壮絶な俳句は書けないだろう。六十二歳の私はといえば、ただ脱帽も忘れて、シュンとするのみ……。『羊歯地獄』(1961)所収。(清水哲男)


February 0122001

 飴売の鳥居にやすむ二月かな

                           入江亮太郎

前の句。縁日でのスナップだろうか。笛を吹きながらにぎやかに飴を売っていた男がくたびれたらしく、小休止している。それも、鳥居の根元のところに腰掛けている。たぶん大きな鳥居で、腰掛けている姿は中腰に近いと読んだほうが面白い。神域で商売をしながら、ちょいと神域に尻を向けている図だ。真っ赤な鳥居と派手な衣装の飴売りの姿との取り合わせにも、長閑な気分がある。全て世は事もなしといった感じに、作者は「もう春だなあ」と微笑している。旧暦の二月は春も仲春だから、歳時記で「二月」は春の部に分類されてきたが、新暦当月はまだまだ寒さが厳しい。したがって、新暦二月を詠むとなると、どうしても「春は名のみの……」という感覚が入り込んでくる。事実、そういう句が多い。そんななかで揚句は新暦句ながら、「二月」に仲春の雰囲気を見つけている。たまさか暖かい日だったのかもしれないが、ふんわりとして明るい句だ。では逆に、ものすごく寒そうな一句を。「詩に痩せて二月渚をゆくはわたし」(三橋鷹女)。渚も寒いだろうが、「詩に痩せ」た作者の心の内はもっと寒い。春など遠い厳寒だ。ただし、このような詩心の行き詰まりをあえて句にする作者の気性は相当に激しく、熱い。いわば癇性(かんしょう)に近い感覚だと思う。だから余計に、句に寒さがしみ渡るのである。遺句集『入江亮太郎・小裕句集』(1997)所収。(清水哲男)


March 2832002

 めんどりよりをんどりかなしちるさくら

                           三橋鷹女

語としては「落花」に分類。「九段界隈 桜みち」(第6号)というPR誌を読んでいたら、随筆家の木村梢が書いていた。この人は、邦枝完二のお嬢さんだ。「昔から、江戸っ子は満開の桜は見なかったといいます。三、四分咲きを見て、それからずっと見ないで、散りぎわに見る……」。いかにも、という感じ。徹底してヤボを嫌えば、そういうことになるのかもしれない。花のはかなさを愛したのだ。掲句もまた、徹底してはかない。はらはらと落花しきりの庭で、放し飼いの鶏たちが無心に餌をついばんでいる。花の白、鶏の白。滅びゆくものと、なお生きてあるもの。この対比だけでも十分にはかない味わいだが、作者はもう一歩踏み込んで、「めんどり」と「をんどり」とを対比させている。等しく飼われて生きる身ではあるけれど、実利的に珍重されるのは断然めんどりの側で、をんどりの役割はただ一つだから、数も少ないし大事にされることもない。もはや無用と判断されれば、情け容赦なく殺されてしまう。作者が認めているのは、どんなをんどりの姿だろうか。降りしきる花びらを浴びながら、じっと目を閉じている姿かもしれない。めんどりよりも毅然としている姿ゆえの「かなし」さが、平仮名表記のやわらかさも手伝って、じわりと胸にひびいてくる。『新歳時記・春』(1989・河出文庫)所収。(清水哲男)


June 2862003

 虹消えて了へば還る人妻に

                           三橋鷹女

語は「虹」。夏に多く見られるので夏季とされる。どんなに素晴らしい虹だったろう。しばし、忘我の状態で見惚れていた。しかしそれも束の間で、跡形もなく「消えて了(しま)」うと、また散文的な日常の時間のなかの「人妻」に「還(かえ)」ったというのである。句意としてはこんなところだろうが、この句に精彩を与えているのは「人妻」という用語法だ。字足らずを問題にせず「主婦」と置き換えてもよさそうだけれど、そうはいかない。なぜなら、「人妻」は一般的に自分を指して言う呼称ではないからである。冗談めかして「私は人妻だから」と言うようなことはあつても、よほどのことが無いかぎり、他人に正面切って「主婦です」とは言っても「人妻です」とは言わないものだろう。あくまでも第三者の妻の意であり、すなわち「人妻」とは「他人妻」なのである。したがって、掲句は「主婦」と表現するよりも、よほど自分を突き放している。「主婦」としても十分に散文的な日常を感じさせるが、「人妻」はもっと索漠とした気持ちに通じるものがある。だから、虹の幻想的な美しさがより鮮明に印象づけられるのであり、消えてしまった後の空しさが読者にもよくわかるのだ。ところで「他人妻」で思い出したが、最近「他人事」を「たにんごと」と読む人が増えてきた。むろん「ひとごと」と読むのが正しい。こういう間違いは、それこそ「他人事」じゃない気がして、聞くたびにハラハラしてしまう。『新歳時記・夏』(1989・河出文庫)所収。(清水哲男)


September 0892005

 千の蟲鳴く一匹の狂ひ鳴き

                           三橋鷹女

語は「蟲(虫)」で秋。たくさんの(千の)「蟲」が鳴いている。と、なかに「一匹」だけ、他の蟲とはまったく違う鳴き方をしているのがいる。どう聞いてみても,明らかに「狂ひ鳴き」だ。まことに哀れである。表面的にはこういう意味だろうが、これが作者晩年の句と知れば、年老いて至りついた一つの感慨と読みたくなる。このときに、実際に千の蟲は鳴いていたのだろう。だが、どこにも「狂ひ鳴き」の蟲なんぞはいはしなかった。いたとすれば、それは蟲ならぬ作者自身に他なるまい。人と生まれて人並みに生きてきたつもりだったが、振り返ってみると、そして今も、私ひとりだけはどうやら狂い鳴きの人生だったようだ……。俳誌「船団」に三宅やよいが連載中の「鷹女への旅」によれば、俳句では「人嫌いとも思える孤高を保っていた印象のある」彼女だったが、日常生活では「気遣いの行き届いた親切な人」であった。そのことを三宅は、鷹女の長男である三橋陽一の談話資料で裏付けている。鷹女の夫は歯科医だった。「内助の功というか、患者さんを大事にしましてね。よくお茶を出したりしてました。診察が終わると応接間でどうぞお話しくださいと、母がお茶を出したりとか。(中略)患者さんが来るとお茶を飲むのが普通なのかと思うくらいに」。詳しくは「船団」を見てほしいが、こうした側面ではまったき「千の蟲」であった人だ。だからこそ他方で孤高の俳人格を生きた自分が、日常と創作のはざまにあって、引き裂かれた人生を送ってきたと痛感しているのである。しかし、そのどちらもが本当の自分なのだ。そこが切なく、苦しい。『女流俳句集成』(1999)所載。(清水哲男)


October 10102005

 うつうつと一個のれもん妊れり

                           三橋鷹女

語は「れもん(檸檬)」で秋。妊(みごも)ったときの心境には、妊ったことのない者には絶対にわからない複雑なものが入り交じっているだろう。周囲から祝福の言葉をかけられても、それは当人の気持ちのほんの一部に照応するのみなのであって、そう簡単に心身の整理がつくものではあるまい。だからこその「うつうつと」であり、幸福そうな明るい色彩の「一個のれもん」にすら、むしろ鬱陶しさを感じてしまう。とまあ、私は男だから、このあたりまでしか句への思いがいたらない。ただ、この「れもん」は「りんご」や「みかん」と置き換えることができそうでいて、しかし代替は不可能だということはよくわかる。「れもん」には、どことなく韻文的な神秘性が秘められている感じがあるからだ。「りんご」は散文的にわかってしまうが、「れもん」にはそうしたわかりやすさがないのである。それはたとえば梶井基次郎が『檸檬』で書いたように、だ。京都の丸善で、開いて積み上げた画集の上に、「うつうつと」した梶井が「檸檬」を時限爆弾のように仕掛けて立ち去る。この有名な場面も、檸檬でなくては話にならないだろう。ところで、この京都の丸善が本日をもって閉店するという。もっとも、梶井の短編に出てくる店は現在の河原町通りとは場所が違うけれど、とまれ明治五年(1872年)創業の老舗が消えてゆくのは、やはり時世というべきなのか。京都も、また少し寂しくなるな。『新日本大歳時記・秋』(1999・講談社)所載。(清水哲男)


November 19112005

 つはぶきはだんまりの花嫌ひな花

                           三橋鷹女

石蕗の花
語は「つはぶき(石蕗の花)」で冬。葉が蕗(ふき)に似ていることからの命名だ。石蕗の花も、こうきっぱりと嫌われては立つ瀬がないだろう。この花の印象は、とにかく陰気である。「だんまりの花」とは、言い得て妙だ。歳時記をひっくりかえしてみても、石蕗の花の句にはあまり明るいものはない。「つはのはなつまらなさうなうすきいろ」(上川井梨葉)など。しかし、この写真のようにクローズアップしてみると、ちっとも暗くはないことがわかる。菊か、もっと言えば向日葵みたいだ。そう見えるのは、たぶんこの写真に濃緑色の広い葉が写ってないせいである。あの葉っぱと黄色の花との取り合わせが、どうやら暗さを演出する元凶のようだ。そして、もう一つ。暗いイメージを演出するものに、石蕗の咲く環境がある。自生のものは海岸に多いが、なにしろ冬の海を前にしているから、かなり群生していても、どうしても寂しそうに見えてしまう。数年前に、静岡の海岸でみたことがある。また園芸用だと、宿屋などの日本式の庭の、しかも何故か隅っこのほうに植えられているので、これまた暗いイメージに拍車がかかる。そんなこんなで、可哀想に石蕗の花は未来永劫侘しく咲きつづけなければならぬようだ。そんななかで、こういう句があった。「老いし今好きな花なり石蕗の咲く」(沢木てい)。なるほど、老いてから好きになる花としてはぴったりかもしれない。侘しく見えるのは若いときの話で、高齢になってくるとひっそりと咲くさまが我が身のようでもあり、そのあたりがいとしく思えるからなのだろう。『新歳時記・冬』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


April 1842006

 日の昏れてこの家の躑躅いやあな色

                           三橋鷹女

語は「躑躅(つつじ)」で春。近隣で、ぼつぼつ躑躅が咲きはじめた。春も盛りのなかでこの花が咲き出すと、伴ってどこか初夏の感じも漂ってくる。花色は種類によって、白、紅、赤、紫、黄などいろいろだが、どの色にも作者のように「いやあな」感じを受けたことはない。「いやあな色」とは、どんな色なのだろうか。「日の昏れて」とあるから、何かの色がよほどくすんで見え、汚らしい感じに思えたのかもしれない。このときに問題なのは「この家の」である。「この家の」と特定したということは、他の家の花だったらそうは思わないという気持ちが言外に込められている。つまり、「この家の躑躅」だから嫌なのだ。この句は裏返し的にではあるが、一種の挨拶句ではあるだろう。こんな挨拶をされたら誰でもたまるまいが、率直というのか子供っぽいというのか、ここまで言われてしまうと、読者はただ「はあ、そうですか」と作者の剣幕を受け入れるしかない。日ごろからよほど「この家」自体に嫌な印象があったのか、はたまた別の事情で作者の機嫌が悪く、たまたまとばっちりを受けたのが「この家」だったのか。いずれにしても、この「いやあな」という表現は、俳句的には斬新かもしれないけれど、私などには女性に特有の意地の悪さが滲んでいるようで、別段「いやあな句」とも思わないが、あまり思い出したくない句の一つになりそうだ。でも、こういう句に限って、躑躅の咲くころには、毎年きっと思い出してしまいそうな予感がする。『魚の鰭』(1941)所収。(清水哲男)


August 1082006

 雨風の濡れては乾き猫ぢやらし

                           三橋鷹女

語は猫ぢやらし(猫じゃらし)で秋。緑の花穂が小犬のしっぽに似ているので狗尾草(えのころぐさ)の呼び名もある。草花の知識の乏しい私でも言い当てることの出来る数少ない草だ。何気なく茂っているので、ことさら季節を意識せずにいたが、八月から十月頃が花期らしい。「雨風に」ではなく「雨風の」と表現したところに、雨風が勝手にやって来て猫じゃらしをずぶ濡れにしては乾き、またやって来ては乾きと、いたぶられることが他人事みたいな余裕が感じられる。道端にのほほんと穂を揺らすこの草にはなるほどそんな風情がある。自我を中心にした個性的な句を数々ものにした鷹女五十歳の作。戦中戦後の暗い時代を経てようやく来し方を振り返る余裕も出来たのだろう。老いへ向う人生の節目を迎えた鷹女が気負いなく猫じゃらしを詠んだことで、この草の持つ飄々としたたくましさがさらりと描き出されたように思う。『白骨』(1952)所収。(三宅やよい)


August 3082006

 夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり

                           三橋鷹女

月に何年ぶりかで成田山新勝寺の祇園祭に出かけた。広々とした本堂前にくり出した山車を見物し、広い公園を散策したのち古い店で鰻を食べた。その帰り、にぎわう参道の傍らにポツリと立つ和服姿の女性の前でふっと足をとめた。鷹女さん――写真で見覚えのある鷹女の、気品ある等身大のブロンズ像だった。彼女は成田に生まれたし、父は新勝寺の重役を務めた。眼鏡の奥の鋭い目。とがった顎。この人が夏痩せしたら、いっそう全体にとがっただろうに。毅然として「嫌ひなものは嫌ひなり」ときっぱり言い切ったら、暑気も何も吹っ飛んでしまうだろう。ヤワではない。それは鷹女の気性であったことはもちろんだが、じつは一見柔和そうな女性が内に秘めている勁さでもあると思われる。こういう句を作った女性が果して幸せだったか否か・・・。そこいらに転がっている、いわゆる「台所俳句」などの類を顔色なからしめる世界である。「おそらく終生枉げることのできなかったであろう激しい気性や潔癖な性質を伝える句」という馬場あき子の指摘が、とりわけ初期の句を言い当てている。いや、晩年の遺作にも「千の蟲鳴く一匹の狂ひ鳴き」「木枯山枯木を折れば骨の匂ひ」などがあり、激しさは健在だった。第一句集『向日葵』(1940)所収。(八木忠栄)


June 2762007

 夏帯にほのかな浮気心かな

                           吉屋信子

帯は「一重帯」とも「単帯(ひとえおび)」とも呼ばれる。涼しい絽や紗で織られており、一重の博多織をもさす。夏帯をきりっと締めて、これからどこへ出かけるのだろうか。もちろん、あやしい動機があって出かけるわけではない。ちょっとよそ行きに装えば、高い心の持ち主ならばこそ、ふと「ほのかな女ごころ」が芽ばえ、「浮気心」もちらりとよぎったりする、そんな瞬間があっても不思議ではない。この場合の「浮気心」にも「夏帯」にもスキがなく、高い心が感じられて軽々には近寄りがたい。「白露や死んでゆく日も帯締めて」(鷹女)――これぞ女性の偽らざる本性というものであろう。この執着というか宿命のようなものは、男性にはついに実感できない世界である。こういう句を男がとりあげて云々すること自体危険なことなのかもしれない、とさえ思われてくる。女性の微妙な気持ちを、女性の細やかな感性によって「ほのか」ととらえてみせた。「夏帯やわが娘きびしく育てつつ」(汀女)という句の時間的延長上に成立してくる句境とも言える。桂信子のよく知られる名句「ゆるやかに着てひとと逢ふ螢の夜」などにも「夏帯」という言葉こそ遣われていないが、きりっと締められている夏帯がありありと見えていて艶かしい。女流作家・吉屋信子は戦時中に俳句に親しみ、「鶴」「寒雷」などに投句し、「ホトトギス」にも加わった。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


April 0342008

 ぶらんこを漕ぐまたひとり敵ふやし

                           谷口智行

を踏ん張って空高くぶらんこを漕ぐのは気持ちいい。耳元を切る風の音。切れんばかりに軋む鎖の音と金臭い匂い。いつもは見上げて話している先生や上級生が足下に見えるのに得意の気分を味わった。今ほど遊具がなかった時代なので休み時間ともなるとぶらんこには順番待ちの長い列が出来た。どれだけ遠く飛び降りで着地できるか、泥まみれの靴を飛ばせるか、ずいぶん乱暴な乗り方もしたものだ。誰しもぶらんこに乗って空に漕ぎ出すときは王様になれる。ぶらんこが春の季語になったのは「のどやかでのびやかな春の遊戯として春の題として定めた」(「日本大歳時記」講談社)ところに本意があるようだが、この句ではそのぶらんこをじりじりと順番待ちをしている羨望と嫉妬のまなざしを思う。まわりの目を気にして二、三度漕いで、すぐ列の後ろにつくような柔な性格なら敵を増やしはしない。回りの反発を意に介さずぶらんこを漕ぎ続ける気の強い漕ぎ手は世間に出ても敵を作りやすい性格なのかもしれない。ぶらんこといえば鷹女の「鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし」の激しい句を思うが、こちらも恨みを買いそうな句である。『媚薬』(2007)所収。(三宅やよい)


April 0742010

 白露や死んでゆく日も帯締めて

                           三橋鷹女

日、四月七日は鷹女忌である。鷹女の凛として気丈で激しく、妖艶さを特長とする世界については、改めて云々するまでもあるまい。一九七二年に亡くなる、その二十年前に刊行された、第三句集『白骨』に収められた句である。鷹女五十三歳。同時期の句に「女一人佇てり銀河を渉るべく」がある。細面に眼鏡をかけ、胸高に帯をきりりと締めた鷹女の写真は、これらの句を裏切ることなく敢然と屹立している。橋本多佳子を別として、このような句業を成した女性俳人は、果たしてその後にいただろうか? 女性としての孤高と矜持が、余分なものをきっぱりとして寄せつけない。弛むことがない。「帯締めて」に、気丈な女性のきりっとした決意のようなものがこめられている。句集の後記に鷹女は「やがて詠ひ終る日までへのこれからの日々を、心あたらしく詠ひ始めようとする悲願が、この一書に『白骨』の名を付せしめた」とある。心あたらしく……掲出の句以降に、凄い句がたくさん作られている。晩年に肺癌をはじめ疾病に悩まされた鷹女は、「白露」の秋ではなく花吹雪の時季に命尽きた。それも鷹女にはふさわしかったように思われる。中原道夫の句に「鷹女忌の鞦韆奪ふべくもなく」(『緑廊』)がある。この句が名句「鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし」を意識していることは言うまでもない。『白骨』(1952)所収。(八木忠栄)


April 0742011

 蝶とべり飛べよとおもふ掌の菫

                           三橋鷹女

れまで短歌に親しんでいた鷹女の処女作。戯れに摘み取った手の中の菫がやがてはしおれてしまうことに哀れさを感じたのか、ひらひらと舞う蝶のように飛んでおくれ、と願う気持ちが初々しい。「おもふ」と、自分の気持ちを直截的に盛り込む強さが最期まで自分の感情を大切にした作者らしい。鷹女は昭和四十七年四月七日に亡くなった。その日は満開の桜のころであったが「花冷えなどというにはあまりに底冷えのする寒さであった」と中村苑子が書いている。鷹女最期の句は「寒満月こぶしをひらく赤ん坊」だった。消えてゆく命が、月の光に誘われて握りしめたこぶしを徐々にひらく赤ん坊の生命力に呼応したのだろうか。摘み取った掌の菫から、ひらかれゆく赤子のこぶしまで、四十五年の歳月を俳句に打ち込んだ鷹女だった。(三宅やよい)


May 2352012

 袷着て素足つめたき廊下かな

                           森田たま

(あはせ)は冬の綿入れと単衣のあいだの時季に着るもので、もともとは綿入れの綿を抜いたものだったという。夏がめぐってきたから袷を着る。気分は一新するにちがいない。もちろんもう足袋も鬱陶しい時季だから、廊下の板の上を素足でじかにひたひた歩く、そのさわやかな清涼感が伝わってくる。人の身も心もより活動的になる初夏である。足袋や靴下を脱いで素足で廊下を歩き、あるいは下駄をはく気持ち良さは、今さら言うまでもない。人間の素肌がもつ感覚にはすばらしいものがある。ところで、森田たまを知る人は今や少なくなっているだろうが、『もめん随筆』『きもの随筆』『きもの歳時記』などで知られた人の句として、掲句はなるほどいかにもと納得できる。ひところ参議院議員もつとめ、1970年に75歳で亡くなった。「いささかのかびの匂ひや秋袷」という細やかな句もある。また三橋鷹女には「袷着て照る日はかなし曇る日も」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


October 03102012

 高曇り蒸してつくつく法師かな

                           瀧井孝作

い暑いと私たちを悩ませた夏も、秋の気配がしのび寄れば法師蝉と虫の音の世界に変わり、ホッと一息。とにかく日本の夏は、蒸し暑いのだからたまらない。今年は九月半ばを過ぎても、連日気温30度以上の夏日を記録した。以前、沖縄の気温は年間を通じて関東より10度前後高かったのに、今年は沖縄より東京など東日本が1〜3度高い日が少なくなかった。私は「群馬や埼玉の人は沖縄へ避暑に行ったら?」などと呟いていた。日本列島はやはり熱帯化しつつあるのでしょうか。「高曇り」は空に高くかかった雲で曇っている様子の意味。法師蝉が鳴く秋になっても、曇って湿気が高い陽気は誰もが経験している。せめてもの救いは法師蝉が、きちんと声の「務め」を果たしてくれていることだろう。気をつけて聞けば、「ジュジュジュ……オーシンツクツク……ツクツクオーシ……ジー」と四段階で鳴いている。私の故郷では「ツクツクオーシ」を「カキ(柿)クッテヨーシ」と聞いて、柿を食べはじめていい時季とされている(その時季は必ずしも正確ではないようだが)。『和漢三方図絵』には「鳴く声、久豆久豆法師といふがごとし」とある。三橋鷹女には「繰言のつくつく法師殺しに出る」という物騒な句がある。虫の居所が悪かったのか、よほどうるさかったのだろう。平井照敏『新歳時記・秋』(1996)所収。(八木忠栄)


August 0482016

 ひるがほに電流かよひゐはせぬか

                           三橋鷹女

道の植え込みなどに細い蔓をからませてピンクの花を咲かせている「ひるがほ」を見るたび思い起こす句。朝顔に似ているのにそのはかなさはなく、炎天下にきりりと花を開き続ける様子は電流が通っているようでもある。鷹女の句は機転や見立てが効いている表現が多いように思うが、それだけで終わってはいない。ひるがほを見ている自分もひるがほであり、ひるがほを通う電流は鷹女の身の内をも貫いている。しばらくは「電流かよひはせぬか」と「ゐ」をすっとばして覚えていたが、「かよひ」でしばし立ち止まって「ゐはせぬか」と自問自答することで、「ひるがほ」の存在感をたかめ、読み手にも「そうかもしれない」と思わせる呼び水になっている。鷹女の「雨風の濡れては乾きねこぢやらし」からスタートして十年、増俳木曜日を担当させていただいた。このサイトの一ファンであった私に書く機会を与えてくださった清水哲男さんと、拙い私の鑑賞を読んでいただいた方々に感謝します。ありがとうございました。『三橋鷹女全集』(1989)所収。(三宅やよい)




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