1996N125句(前日までの二句を含む)

December 05121996

 たしかに四個霧夜武器売る会議の灯

                           五十嵐研三

の句は、金子兜太『現代俳句鑑賞』(飯塚書店)で知った。なにやらスパイ小説めいた雰囲気のある作品で、俳句にしては珍しい題材をよんでいる。同書での兜太の弁。「詩の場合、とくに韻文で書く場合はなにかの感じを伝えればいいわけだね。それにリアリティがあればいいんだ。この句にはリアリティがあると思う。現実感がね、不気味さに、嫌らしさに。その中心は『たしかに四個』だ。……」。ちょっとした現実の光景を想像力で変形した作品といえるが、たしかに私にも奇妙なリアリティが感じられる。「これが俳句か」ということになると、たぶん議論は大きく別れるだろうけれど。(清水哲男)


December 04121996

 偽りの世に気をとり直し日記買ふ

                           今泉貞鳳

現としては、なんのてらいもないそのまんま俳句。だが、偽りの世に気をとり直して日記を買うという意志には、強い反骨精神がこめられている。昭和30年代人気を博したNHKテレビ「お笑い三人組」に出演していた一龍斉貞鳳氏にとって、偽りの世とはどんなものであったのか、と思うと更なる味わいがある。(國井克彦)


December 03121996

 冬晴れのとある駅より印度人

                           飯田龍太

者はこの句を筑紫磐井著『飯田龍太の彼方へ』で発見(!)した。筑紫氏によれば「変な俳句」となるが、評者はこれを新種の傑作と見る。この意外性、この変なおかしみ、冬でなくてもよくて、しかし冬晴れじゃないと(なにしろ印度人だから夏じゃつまらない)おもしろくないというとり合わせの妙。龍太句のマジメな句を突き抜けている。昭和52年作。『涼夜』所収。(井川博年)




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