1996N126句(前日までの二句を含む)

December 06121996

 雉子鳴いて冬はしづかに軽井沢

                           野見山朱鳥

でもないような句ですが、そこがいいですね。避暑地の冬です。夏場の混雑と対比させるために、あえて「しづか」と言ったところが利いています。冬の軽井沢を、私はもちろん知りませんが、この句のとおりなのでしょう。風景は寒々としていても、読者をホッとさせてくれます。さすがはプロの腕前だと思いました。アマチュアには、できそうでできない作品のサンプルといってもよいのではないでしょうか。『荊冠』所収。(清水哲男)


December 05121996

 たしかに四個霧夜武器売る会議の灯

                           五十嵐研三

の句は、金子兜太『現代俳句鑑賞』(飯塚書店)で知った。なにやらスパイ小説めいた雰囲気のある作品で、俳句にしては珍しい題材をよんでいる。同書での兜太の弁。「詩の場合、とくに韻文で書く場合はなにかの感じを伝えればいいわけだね。それにリアリティがあればいいんだ。この句にはリアリティがあると思う。現実感がね、不気味さに、嫌らしさに。その中心は『たしかに四個』だ。……」。ちょっとした現実の光景を想像力で変形した作品といえるが、たしかに私にも奇妙なリアリティが感じられる。「これが俳句か」ということになると、たぶん議論は大きく別れるだろうけれど。(清水哲男)


December 04121996

 偽りの世に気をとり直し日記買ふ

                           今泉貞鳳

現としては、なんのてらいもないそのまんま俳句。だが、偽りの世に気をとり直して日記を買うという意志には、強い反骨精神がこめられている。昭和30年代人気を博したNHKテレビ「お笑い三人組」に出演していた一龍斉貞鳳氏にとって、偽りの世とはどんなものであったのか、と思うと更なる味わいがある。(國井克彦)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます