December 101996
遠い木が見えてくる夕十二月
能村登四郎
散るべき葉がことごとく散ってしまうと、今までは見えなかった遠くの木も見えてきて、風景が一変する。この季節の夕刻は大気も澄んでくるので、なおさらである。そろそろ歳末のあわただしい気分になろうかというころ、作者は束の間の静かな夕景に心を休めている。さりげない表現だが、十二月を静的にとらえた名句のひとつだろう。『有為の山』所収。(清水哲男)
December 091996
灰皿に小さな焚火して人恋う
原子公平
昔は、煙草の火をつけるのに多くマッチを使った。したがって、灰皿には吸殻とは別にマッチの軸が溜まっていく。人を恋うセンチメンタルな気分になって、作者はなんとなく溜まったマッチの軸に火を放ったのである。これが、実によく燃える。まさに小さな焚火だ。その炎のゆらめきを見ていると、懐しい人との思い出がきらめくように浮かんでくる。ポーランド映画『灰とダイヤモンド』で、主人公が酒場のグラスのウィスキーに次々と火をつけ、死んだ同志をしのぶ場面があった。炎は、どこの世界でも、人の心を過去に向かわせるのか。『海は恋人』所収。(清水哲男)
December 081996
盲ひゆく患者の歳暮受くべきや
向野楠葉
歳暮商戦も、今週あたりがピークだろう。十日には国家公務員のボーナスも出る。師走の贈り物は江戸時代からの慣わしのようだが、この句のように受け取る側が困惑させられるケースも、多々あるにちがいない。いくら手をつくしても、患者の目が光りを失うのは時間の問題とわかっている。その患者から、はやばやと歳暮の品が届いた。とっさに「受くべきや」と自問するのだが、結局は「受ける」しかない辛さ、やりきれなさ……。職業人ならではの悲しみ。(清水哲男)
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