December 181996
烏めが何ニ寄りあふとしの暮
經善寺呂芳
昔から烏は嫌われもの。早朝から大声で鳴きたてるし、悪さはするし、色も不吉だ。この忙しい年の暮れに、毎日毎日何のために寄り合って、うるさくわめいているのか……。と、作者は烏に八つ当たりをしている。呂芳は北信濃の長沼村經善寺の住職で、彼の父も子も一茶に師事したという熱烈な一茶党。天保元年没。『七番日記』にも「寝馴れし寺」として寺の名前が出てくる。明治の初年には廃寺となり、一家は橘姓を名乗って長野市に移住したが、その後は杳として消息が途絶えてしまったという。『一茶十哲句集』所収。(清水哲男)
December 171996
羽子板市月日渦巻きはじめたり
百合山羽公
羽子板市は、浅草観音の十七日・十八日と、旧薬研堀不動(両国)の二十七日・二十八日が有名。華やかな市ではあるが、作者のいうように、背中を追い立てられる雰囲気でもある。そこが、またいい。男の子のくせに、押絵の羽子板に憧れていた。世の中には豪華なものがあることを、具体的に知ったはじめての物かもしれない。でも一方で、あんなに重い羽子板でどうやって羽根をつくのだろうと不思議に思っていたのだから、まだちっぽけな子供でしかなかったということ。結局、一度も買ったことはない。(清水哲男)
December 161996
社会鍋ふと軍帽を怖るる日
田中鬼骨
社会鍋は、救世軍の歳末慈善事業。軍服姿でトランペットを吹いたり、讃美歌を歌って募金活動を行なっている。東京では神田あたりに本部があると記憶しているが、定かではない。よく見かけるが、私は一度も募金したことはない。「軍」装にひっかかるのである。作者もここで、過去の軍帽の印象へと思わずも心が飛んでしまっている。もうひとつ、私はサイレンの音が嫌いだ。聞こえると、ビクリとする。瞬間、身構えてしまう。空襲警報に逃げまどった幼児期の記憶と重なるからである。大好きな春夏の高校野球大会のサイレンも含めて、聞きたくない。(清水哲男)
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