December 201996
横顔の記憶ぞ慥か賀状書く
谷口小糸
賀状の友が、年々増えてくる。「今年こそは会いたいもの」と書きながら、十年くらいはすぐに経ってしまう。ましてや遠い地にある幼いときの友人ともなると「うつし身の逢ふ日なからむ賀状書く」(渡辺千枝子)という心持ち。面ざしの記憶も薄れがちだが、作者にははっきりと横顔だけはよみがえってくる。その昔、正対して顔を見られなかった初恋のひとでもあろうか。年賀状を書いていると、実にいろいろな過去が顔をあらわす。「慥か」は「たしか」。(清水哲男)
December 191996
隅田川見て刻待てり年わすれ
水原秋桜子
忘年会がはじまる時刻までには、まだ間がある。ひさしぶりに会場近くの隅田川を眺めながら、時間をつぶしている図。ゆったりとした川の流れが今年一年の時の流れへの思いと重なって、歳末の情感がしみじみと胸にわいてくる……。今宵は、静かな席での良い酒になりそうだ。秋桜子の代表句といってよいだろう。(清水哲男)
December 181996
烏めが何ニ寄りあふとしの暮
經善寺呂芳
昔から烏は嫌われもの。早朝から大声で鳴きたてるし、悪さはするし、色も不吉だ。この忙しい年の暮れに、毎日毎日何のために寄り合って、うるさくわめいているのか……。と、作者は烏に八つ当たりをしている。呂芳は北信濃の長沼村經善寺の住職で、彼の父も子も一茶に師事したという熱烈な一茶党。天保元年没。『七番日記』にも「寝馴れし寺」として寺の名前が出てくる。明治の初年には廃寺となり、一家は橘姓を名乗って長野市に移住したが、その後は杳として消息が途絶えてしまったという。『一茶十哲句集』所収。(清水哲男)
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