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December 23121996

 門松立て玻璃戸中なる鋸目立て

                           北野民夫

りがかりの小さな工務店でもあろうか。はやくも凛とした感じで門松が立てられている。ガラス戸の中を見るともなく見ると、主人らしい男が鋸の目立てに余念がない様子。作者は、この光景から主人の律儀な性格を読み取って、微笑している。東京あたりでは、こういう光景もなかなか見ることができなくなってきた。(清水哲男)


August 1982005

 晩夏の旅家鴨のごとく妻子率て

                           北野民夫

語は「晩夏(ばんか)」で夏。夏の末。暑さはまだ盛りだが,どことなく秋の気配がしのび寄りはじめる。見上げると,空には入道雲にかわってうろこ雲がたなびいている。作者の名前をはじめて知ったのは,大学生のときだった。細々と投稿をつづけていた「萬緑」(中村草田男主宰)には、現在の主宰である成田千空をはじめ、香西照雄、平井さち子、花田春兆、磯貝碧蹄館などの錚々たる同人が並んでおり,北野民夫もその一人であった。しかも、この人の名は雑誌の奥付にもあった。つまり作者は,「萬緑」の発行元「みすず書房」社主でもあったわけだ。したがって業務多忙ということもあったろうが、社員をさしおいて社長が先に夏休みをとるわけにもいかず、やっと休暇がとれたころは既に晩夏だったというわけだ。子供らにせがまれたのだろう。人並みに行楽地に家族旅行と洒落込んではみたものの、もう人出のピークはとっくに過ぎていて,かなり閑散としている。人出が盛んなら当たり前に見える家族連れが、やけに目立つように感じられてならない。「妻子率て」歩いているうちに,なんだか自分たち一家がひょこひょこと連れ立つ「家鴨」の集団のように思えてきて,苦笑いしている。「率て」は「ひきいて」だろうが、字余りを嫌うのなら「いて」の読みも可能だ。が、音読の際に意味不明になるのが悩ましいところ。『新歳時記・夏』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)




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