December 251996
へろへろとワンタンすするクリスマス
秋元不死男
好きですねえ、こういう句は……。派手やかな「日本のクリスマス」の町の片隅のラーメン屋で、俺には七面鳥料理なんて関係ないさとばかりに、少々ぬるめのワンタンを自嘲気味にすすっている図。でも、気分が完全にすねているというのでもなく、どこかでクリスマスの豪華な料理のことが気になっている。形容矛盾かもしれないが、剽軽な哀感とでもいうしかない心境を感じる。翻訳不可能な名句である。(清水哲男)
December 241996
聖菓切るキリストのこと何も知らず
山口波津女
ほとんどの日本人は、この句のようにふるまっている。宗教をムード的にとらえ、聖なる日を娯楽化してしまう国民的規模のセンスとはいかなるものなのであろうか。したたかなのか、単にお調子者なのか。かくいう私ももとより例外ではないけれど、とにかく不思議という以外にはない。小学校の低学年だった昭和二十年代前半には、私も友達もキリストやサンタクロースという名前すら知らなかった。まだあちこちの家には、煙突があった時代である。(清水哲男)
December 231996
門松立て玻璃戸中なる鋸目立て
北野民夫
通りがかりの小さな工務店でもあろうか。はやくも凛とした感じで門松が立てられている。ガラス戸の中を見るともなく見ると、主人らしい男が鋸の目立てに余念がない様子。作者は、この光景から主人の律儀な性格を読み取って、微笑している。東京あたりでは、こういう光景もなかなか見ることができなくなってきた。(清水哲男)
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