1996N1230句(前日までの二句を含む)

December 30121996

 しんかんたる英国大使館歳暮れぬ

                           加藤楸邨

ギリス大使館は、皇居半蔵門の斜め前にある。かつての仕事場(FM東京)に近かったので、そのたたずまいはよく知っている。いつもひっそりとしていて、なにやらミステリアスなゾーンに思えたが、とくに年末は楸邨の句がどんぴしゃり。まさに「しんかんたる」としか言いようがないのである。都会の寂寥。大使館の傍に福岡県の宿泊施設(福岡会館)があって、年末年始、他の店が閉まっている間は、よく食事をしにいったものだ。この時期、この会館もまた「しんかんたる」雰囲気につつまれる。今日もそこで、何人かの人が飯を食っている。(清水哲男)


December 29121996

 暁闇に飛び出す火の粉餅を搗く

                           百合山羽公

も二十五日過ぎあたりから、朝は近所の餅搗きの音で目覚めるというのが、少年時代の常であった。山口県も山陰側の小さな村。早めに搗くのは裕福な家で、貧乏人はいよいよ押し詰まってから搗く。やりくり算段の都合からそうなるのだ。五反百姓の子供としては、他家の餅搗きが羨ましく、「明日は搗くぞ」という父の声をどんなに待ちかねたことか。当日は暗いうちから起きだして、この句のような光景となる。興奮した。お祭りなのだ。で、搗いた餅をその後二カ月くらいは、どの家でも主食とした。学校の弁当も、連日餅だけだった。冷えた焼き餅の固かったこと。もちろん、大いに飽きた。うんざりであった。(清水哲男)


December 28121996

 鯛焼のあつきを食むもわびしからずや

                           安住 敦

末の句というわけではないが、年の暮れに置いてみると、よく似合う。あちこちと街のなかを歩き回り、空腹を覚えるのだが、食堂に入るヒマがない。ふと鯛焼き屋が目についたので、これで当座をしのいでしまおうと、あつあつの鯛焼きをほおばるのである。食べなれない鯛焼きを、男一匹、道端で食べるのであるから、わびしいことこの上ないだろう。それが年末独特のわびしさと重なって「わびしからずや」と短歌的破調に流れていく。「食む」は「はむ」と読む。(清水哲男)




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