January 021997
年賀やめて小さくなりて籠りをり
加藤楸邨
名句とは必ずしも言えないであろう。一行が屹立する句でもない。私は夏場にこの句を読んだのだが、やけに後をひく句である。楸邨の晩年は知らない。そして、楸邨を貶めるためにこの句を引いているのではない。楸邨は現代俳句の巨人でもあり、実際の体格は知らないが、少なくとも精神的には大男であったように思える。最後まで弟子にかこまれての晩年であったような気もする。すくなくとも弟子はそうしたいと思ったであろう。いずれにしてもこの句はだれにも確実に来る老年のある風景をたんたんと影絵のように表現している。同じ句集に「二人して(たら)の芽摘みし覚えあり」(春日部・ここに赴任、ここに結婚)と亡き知世子夫人への静かな恋の句もあり、私小説的な読み方だが、泣けてくるのである。『望岳』所収。(佐々木敏光)
March 161997
運命は笑ひ待ちをり卒業す
高浜虚子
今の時代、留年せずに無事卒業してもその後の困難さを思えば、少数の例外を除けば「笑う」がごとき前途洋々としたものであるとは思えない。そして、運命はあざ「笑う」かのように複雑な管理機構の中で人を翻弄し続ける。この句は昭和十四年の作である。当時の大学・高等専門学校の卒業生(そして中学を含めても)は今の時代には考えられないほどのエリートであった。しかし戦火は大陸におよび「大学は出たけれど」の暗い時代であった。運命の笑いをシニカルなものとしてとらえたい。だが、大正時代、高商生へむけ「これよりは恋や事業や水温む」という句をつくっている虚子である。卒業切符を手にいれたものへの明るい運命(未来)を祝福する句とも言える。いずれにしろ読者のメンタリティをためすリトマス試験紙のような句である。『五百五十句』所収。(佐々木敏光)
May 141997
女教師の眉間の傷も夏めけり
清水哲男
「夏めく」は微妙な季語である。まだ春の雰囲気が残っているころ、なにげないものに夏の匂いを感じるというわけである。歳時記では「夏」。生と死のぎらぎらする夏。「女教師の眉間の傷」は短編小説に発展する素材でもある。作者は多分、その時中学生(高校生かな)。いずれにしろ微妙な年齢である。見てはならないものを見てしまったというより、それに魅せられ想像力をふくらませているとも言えるが、むしろ冷静に大人びた観察をしているように思える。その傷ははつかな汗に淡い光を帯びている。『匙洗う人』所収。(佐々木敏光)
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