January 031997
初刷の選外佳作のうまさかな
木山捷平
昭和36年12月作。この句の選外佳作は小説であろうか、俳句であろうか。恐らくは俳句であろう。入選句ではなく選外佳作の方に面白味を見付けたところが、いかにもこの作者らしい。木山捷平の俳句はヘタな中にヘタの味というべきものがあって、余人には真似のできない句となっている。この句の季語は初刷。正確には新年に印刷されたものをいうが、この場合のように新年号を含むとしても良いだろう。『木山捷平全詩集』(講談社文芸文庫)所収。(井川博年)
January 012004
初刷のうすき一片事繁し
永野孫柳
季語は「初刷(はつずり)」で新年。新年になってはじめて手にする印刷物を言うのだが、元旦に配達される新聞をさす場合が多い。戦争中の句か、それとも敗戦直後のものだろうか。いまでこそ元日付の新聞は手に重いほど分厚いが、当時は物資不足でうすかった。判型も、しばらくはタブロイド判と小さく、敗戦時の新聞は裏表たった2ページだったと記憶する。まさに「一片」でしかなかった。しかし時代は激動していたから、ニュースには事欠かない。読めばまことに「事繁し」であって、元旦から今年のこの国は、そして自分たちの生活はどうなってしまうのかと、慶祝気分どころではなかっただろう。私はまだちっぽけな子供だったので、新聞が読めなくて助かったようなものである。その後は年ごとに厚くなってきて、附録の別刷りがカラーになったのが、たしか中学生のときだった。トップには富士山の写真が載り、その下には草野心平などの新年を寿ぐ詩が載ったものだ。詩の意味などわからなくても、眺めているだけで気分がよかった。色刷りの漫画を見るのも元日の楽しみで、盛んに漫画を描いていたころだから、水彩絵の具を持ちだしては真似をした。テレビもなく娯楽が少なかったから、あのころの少年少女たちは、けっこう元日の新聞を待ちかねて楽しんでいたのではなかろうか。今日付の新聞を、当時の目で楽しんでみようと思う。もう一句。「初刷を手にしたるとき記者冥利」(吉井莫生)。分厚い新聞は、こうした記者たちの奮闘のおかげもあるのだ。昔のことを思えば、読まずに捨てるのは実にもったいない。『合本俳句歳時記』(1974・角川書店)所載。(清水哲男)
February 032012
乱反射するや初刷りに核の海
古沢太穂
1982年の作。元旦の新聞にきらきら光る海の写真が掲載されており、それが「核の海」であると感じている。核の海は核実験の海あるいは崩壊ソ連によって投棄されたとする核弾頭の眠る海さらに広義に原子核つながりでいえば海辺に立つ原発もイメージされる。文学はときに未来を予言する。「今」を読み取り、つづいて来る「未来」を予言するのは作者の思い。読み取るのは読者の感性。そこを避けたところに「普遍性」を見出そうとするのは両者の共同逃避ではないか『捲かるる鴎』(1983)所収。(今井 聖)
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