1997ソスN1ソスソス14ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 1411997

 うしろより外套被せるわかれなり

                           川口美江子

(き)せかけている相手は、もちろん異性だろう。もう二度と会うこともないであろうその人に未練などはないはずなのに、二人の間の習慣的な仕草のうちに、ふと胸を突いてくる心残り……。たった十七音のなかに込められた万感の思いが、読者にも確実にドラマチックに手渡されてくる。ここが、俳句の凄いところだ。詩では、こういうことは書かない。書けないから、書かないのである。(清水哲男)


January 1311997

 北風やあをぞらながら暮れはてゝ

                           芝不器男

風が吹き抜けるたそがれ時。夕陽はすでに山の端に沈んでしまったが、強風のせいで一片の雲もない青空が、なお天空には輝いて残っている。あまりの寒さに、火が恋しく、人も恋しい。青空は見えているけれど、もはや風景は「暮れはてゝ」いるのと同じことだ。ここにあるのは、論理的には形容矛盾の世界であるが、心象的には身にしみるような真実のそれである。北風の強い日には、よくこの句を思いだす。(清水哲男)


January 1211997

 コック出て投手の仕草松の内

                           北野平八

西では、十四日までが松の内。界隈では名の通ったレストランの裏口のほうの道だろう。年末年始にほとんど休みのなかった男が、束の間の休憩時間、コックの姿そのままに投手の仕草で身体をほぐしている。よく見かける光景ではある。そこを見逃さずにタイミングよくシャッターをきった作品だ。が、加えてこの句の場合、それだけではなくて、仕草の「草」と松の内の「松」という漢字の響きあいが実によく利いている。松の内も、そろそろ終りという雰囲気。これは作者のあずかり知らぬ効果かもしれないが、いずれにしても翻訳はできない句のひとつだろう。もちろん、それでイイのである。『北野平八句集』所収。(清水哲男)




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