January 171997
鍋焼の火をとろくして語るかな
尾崎紅葉
鍋焼といっても「鍋焼きうどん」のことではない。第一、こんなことをしていたら、うどんが溶けてしまう。本来は、土手焼きともいって、土鍋の周囲に味噌を堤形に分厚く塗り、中央の空所で牡蛎や魚や野菜を煮た田舎料理を指す。昭和三十年代の京都の三条河原町近くに、この土手焼きをメインに出す珍しい店があった。学生の身分では少々高くつく飲み屋だったが、焦げた味噌の香ばしさに包まれた魚のうまかったこと。主人は慶応大学卒と称していて、店には福沢諭吉の言葉だという軸が吊るされており、音楽はなんとクラシックだけという変わりようであった。その味が忘れられず、京都を去って十年ほど後に行ってみたら、店の代がかわっていて、もう土手焼きもクラシックもなかった。元気だったかつてのオーナーは、ある日突然、ポックリと逝ってしまったのだと聞かされた。(清水哲男)
January 161997
仁王立ちの雀と見つめ合うしばし
田中久美子
出合いがしらの猫とは、たまにこういう状態になってしまうことがある。雀とでも、見合ってしまうことがあるのだろうか。この句を読むと、ありそうな気がしてくる。しかも、その雀が仁王立ちというのだ。猫とちがって雀の脚は二本だから、なるほど、仁王立ちになれるのである。その姿がなんとなくおかしく、なんとなく可愛らしい。田中久美子は詩人だが、俳句をつくらせても巧いものである。詩誌「Pfui!」2号(1997・京都)所載。(清水哲男)
January 151997
徴兵も成人の日もないまんま
小沢信男
ドイツから帰国中の娘が、今年は配偶者の弟が徴兵にかかるのだと言う。一年の兵役義務だ。ドイツにかぎらず、世界の多くの国の若い男たちは、その青春の日々の一定期間を軍隊で過ごさねばならない。敗戦前の日本でもそうだった。句の前書に「昭和二年生まれ」とある。作者は敗戦で徴兵は逃れたのだが、「成人の日」が制定される前に二十歳は過ぎてしまった。生まれあわせがよかったような、そうでもないような……。この世代独特の苦笑である。『昨日少年』所収。(清水哲男)
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