1997ソスN1ソスソス28ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 2811997

 枯芝に置きて再びピアノ運ぶ

                           今井 聖

の情景は、家にピアノを運び入れているのか、あるいは運び出しているのか。しばし、考えた。考えているうちに、この質問は心理テストに使えるな、と思ったりした。私は「運び出している」と結論づけた。その根拠が、句の中に示されているわけじゃない。芝生のあるような大きな邸宅から、何らかの事情でピアノがなくなっていく……。枯れ芝の上に置くのは、単にピアノが重いからだけではなくて、しばし別れを惜しむという意味が含まれている。そんな没落感覚(?)が、私は好きなようである。(清水哲男)


January 2711997

 スケートの終り降る雪真直ぐなり

                           山崎秋穂

外のスケート場。レース途中から白いものがちらつきはじめ、終わって気がつくと、本格的な雪になっていた。熱戦の興奮が残る心には、激しい雪も心地よい。そんな場面だろう。句とは直接関係はないが、私は氷の張った田圃(たんぼ)の上でスケートを覚えたから、室内のリンクにはどうも抵抗を覚えてしまう。草野球とドーム野球の対比においても、また然り。いつだったか、スピード女子の花形だった高見沢初枝さんと話していたら、彼女は長野の田圃派だった。「いまの選手は恵まれ過ぎている」とも言った。(清水哲男)


January 2611997

 人も子をなせり天地も雪ふれり

                           野見山朱鳥

いものの舞いはじめた夕暮れのレストランで、知り合いの若い女性に妊っていることを暗示された。急遽、結婚することにしたという。相手は私の知らない男性である。とたんにこの句を思いだし、彼女には言わなかったが、ひそやかに「おお、舞台装置も今宵は満点」と祝杯のつもりでジョッキをかかげた。もとより、この句はそのような「はしゃぎ」とは無縁のところで作られたものだ。死に近い床での自然との交感の産物である。だからこそ、逆に私は、若い彼女の出発にふさわしいと感じたのだった。妊った女性は、必然的に現実を見る目が変わる。そのときにはじめて「自然」と向き合うからだ。すなわち、みずからの身体を賭けて「自然」の意味を具体的に知るからなのである。『愁絶』所収。(清水哲男)




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