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January 3011997

 焼鳥や恋や記憶と古りにけり

                           石塚友二

鳥屋は男の世界だ。あんな煙のもうもうたる場所に、恋人を連れていく奴の気がしれない。そんな下品なことを、私は一度もしたことはない。もっとも、後で文句を言われるのが恐かったせいもあるけれど……。つまり、焼鳥屋は男がひとりで人生をちょっぴり考えさせられる空間だ。そのようにできている。すなわち、若き日には不安な「恋の行末」を、中年以降は作者のようにかつての「恋の顛末」などを。だが、どのような甘美な昔の恋も、記憶とともに十分に古びてしまったことを納得させられる。そのことに、急に何かで心を突かれたように、胸の芯が痛くなる。ヤケに煙が目にしみるのである。(清水哲男)


January 2911997

 おでんやは夜霧のなかにあるならひ

                           久永雁水荘

かったころ、銀座で友人と制作プロダクションをやっていたことがある。事務所の真ん前には「お多幸」という有名なおでん屋。しかし、我々は、夜がはじまる時間に近所に出てくる屋台のおでん屋のほうを贔屓にしていた。隣のビルには、これまた有名な二流のキャバレーがあって、そこに勤務しているお姉さんたちと、無言でおでんを食べるのが、我々の恰好のよいところだった。そう思っていた。いつも、おでんに茶めしを組み合わせたセット。それに、コップ一杯の酒。昨日記念切手が売りだされた石原裕次郎の歌みたいだが、「夜霧よ今夜もありがとう」という雰囲気がぴったりの銀座の裏通りであった。我が二十代の終りのおでんの味は、いまでもほのかに覚えている。(清水哲男)


January 2811997

 枯芝に置きて再びピアノ運ぶ

                           今井 聖

の情景は、家にピアノを運び入れているのか、あるいは運び出しているのか。しばし、考えた。考えているうちに、この質問は心理テストに使えるな、と思ったりした。私は「運び出している」と結論づけた。その根拠が、句の中に示されているわけじゃない。芝生のあるような大きな邸宅から、何らかの事情でピアノがなくなっていく……。枯れ芝の上に置くのは、単にピアノが重いからだけではなくて、しばし別れを惜しむという意味が含まれている。そんな没落感覚(?)が、私は好きなようである。(清水哲男)




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