January 311997
軒氷柱百姓の掌が一と薙す
細川加賀
どこかの私立中学の入試で「『氷柱』を何と読むか」という問題が出た。「こんな難問を出すから、受験地獄がなくならないのだ」と、ある新聞が書いていた。そうかなア。それはともかく、この句のように、農村の人たちにとって軒の「つらら」なんぞは出入りの邪魔物でしかない。子供の頃、こんな朝の光景はいつものことだった。それが、かくのごとくに句になってしまう驚き。土地の生活者と観照者との違いである。(清水哲男)
January 301997
焼鳥や恋や記憶と古りにけり
石塚友二
焼鳥屋は男の世界だ。あんな煙のもうもうたる場所に、恋人を連れていく奴の気がしれない。そんな下品なことを、私は一度もしたことはない。もっとも、後で文句を言われるのが恐かったせいもあるけれど……。つまり、焼鳥屋は男がひとりで人生をちょっぴり考えさせられる空間だ。そのようにできている。すなわち、若き日には不安な「恋の行末」を、中年以降は作者のようにかつての「恋の顛末」などを。だが、どのような甘美な昔の恋も、記憶とともに十分に古びてしまったことを納得させられる。そのことに、急に何かで心を突かれたように、胸の芯が痛くなる。ヤケに煙が目にしみるのである。(清水哲男)
January 291997
おでんやは夜霧のなかにあるならひ
久永雁水荘
若かったころ、銀座で友人と制作プロダクションをやっていたことがある。事務所の真ん前には「お多幸」という有名なおでん屋。しかし、我々は、夜がはじまる時間に近所に出てくる屋台のおでん屋のほうを贔屓にしていた。隣のビルには、これまた有名な二流のキャバレーがあって、そこに勤務しているお姉さんたちと、無言でおでんを食べるのが、我々の恰好のよいところだった。そう思っていた。いつも、おでんに茶めしを組み合わせたセット。それに、コップ一杯の酒。昨日記念切手が売りだされた石原裕次郎の歌みたいだが、「夜霧よ今夜もありがとう」という雰囲気がぴったりの銀座の裏通りであった。我が二十代の終りのおでんの味は、いまでもほのかに覚えている。(清水哲男)
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