1997ソスN2ソスソス1ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 0121997

 暮色もて人とつながる坂二月

                           野沢節子

月。春も間近だ。気分はそうであっても、まだまだ寒い日がつづく。この句は、そのあたりの人の心の機微を、実に巧みにとらえている。すなわち、夕暮れの坂を歩いている作者は、そこここの光景から春の間近を感じてはいるのだが、風の坂道はかなり寒い。ふと前を行く人や擦れ違う見知らぬ人に、故なく親和の情を覚えてしまうというのである。これが花咲く春の夕刻であれば、どうだろうか。決して、心はこのようには動かない。浮き浮きした心は、むしろ手前勝手に孤立する。自己愛に傾きがちだ。(清水哲男)


January 3111997

 軒氷柱百姓の掌が一と薙す

                           細川加賀

こかの私立中学の入試で「『氷柱』を何と読むか」という問題が出た。「こんな難問を出すから、受験地獄がなくならないのだ」と、ある新聞が書いていた。そうかなア。それはともかく、この句のように、農村の人たちにとって軒の「つらら」なんぞは出入りの邪魔物でしかない。子供の頃、こんな朝の光景はいつものことだった。それが、かくのごとくに句になってしまう驚き。土地の生活者と観照者との違いである。(清水哲男)


January 3011997

 焼鳥や恋や記憶と古りにけり

                           石塚友二

鳥屋は男の世界だ。あんな煙のもうもうたる場所に、恋人を連れていく奴の気がしれない。そんな下品なことを、私は一度もしたことはない。もっとも、後で文句を言われるのが恐かったせいもあるけれど……。つまり、焼鳥屋は男がひとりで人生をちょっぴり考えさせられる空間だ。そのようにできている。すなわち、若き日には不安な「恋の行末」を、中年以降は作者のようにかつての「恋の顛末」などを。だが、どのような甘美な昔の恋も、記憶とともに十分に古びてしまったことを納得させられる。そのことに、急に何かで心を突かれたように、胸の芯が痛くなる。ヤケに煙が目にしみるのである。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます