February 061997
楽屋口水の江滝子ジャケツきて
星野立子
昭和九年の作品。このとき、水の江滝子十九歳。断髪、男装の麗人として、松竹レビューのトップスターだった。愛称ターキー。そんな大スターの素顔を、素早くスケッチした立子は三十一歳。ターキーの日常的スタイルを目撃できた作者は、おそらく天下を取ったような気分だったはずだが、その気分の高まりをぐっと抑制している句風が、実にいい。これ以上、余計な解説は不要だろう。昔はよかった(この言葉は、こういう句を読んだときに使うのである)。いまはスターならぬ人気タレントの素顔どころか裏の顔まで、テレビが写し出してしまう時代だ。「スター」なんて存在が成立するはずもないのである。『立子句集』所収。(清水哲男)
January 282006
アノラックあばよみんないってしまったさ
八木三日女
季語は「アノラック」で冬、「ジャケツ」に分類。と言っても、「アノラック」を季語として扱っている歳時記はないだろう。が、フードのついた防寒用ウェアのことだから、無季とするのも変なので、当歳時記としてはこのようにしておく。掲句のアノラックは、青春の象徴として詠まれている。みんなでスキーやスケートに行ったり、あるいは他の楽しみのためにも、いつも着ていったアノラック。大事にとっておいたのだけれど、もう二度と着ることもなさそうだ。なぜなら、もはやいっしょに着ていく「みんな」は「いってしまった」からである。「いって」は「行って」でもあり「逝って」でもあるだろう。そこで作者はわざと「あばよ」などと明るく乱暴に、そのアノラックを処分してしまおうと思い決めたにちがいない。過ぎ去った青春への挽歌として、出色の一句だ。「みんないってしまったさ」の「さ」に、万感の思いが込められている。ところで、かつての世界的なアノラック流行の起源には諸説ある。嘘か本当かは別にして、私が気に入っているのは、その昔のイギリスでトレインスポッティング(汽車オタク)が、寒いなかで着用したところから広まったという説だ。となると、アノラックには人間の一途の思いが込められているわけで、このときに掲句の寂しさはいっそう身にしみてくる。『女流俳句集成』(1999)所載。(清水哲男)
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