February 071997
赤椿咲きし真下へ落ちにけり
加藤暁台
暁台は十八世紀の俳人。もと尾張藩士。椿の花は、桜のようには散らずに、ぽとりと落ちる。桜の散る様子は武士のようにいさぎよいとされてきたが、椿の落ちる様は武士道とは無縁だ。花を失うという意味では、むしろ椿のほうが鮮烈だというのに、なぜだろうか。おそらくは、花そのものの風情に関わる問題だろう。椿の花はぽってりとした女性的な風情だから、武士の手本に見立てるのには抵抗があったのだと思う。それにしても、こんなに花の死に様ばかりが詠まれてきた植物も珍しい。「赤い椿白い椿と落ちにけり」(河東碧梧桐)、「狐来てあそべるあとか落椿」(水原秋桜子)など。(清水哲男)
September 091997
脇ざしの柄うたれ行く粟穂かな
加藤暁台
暁台は十八世紀江戸期の俳人で元尾張藩士。粟は人の腰の丈より少し高いところくらいにまで生長するから、刀をさした者が粟の畑近くを歩けば、このような情景になる。なんだか時代劇の一場面を見ている気持ちにさせられるけれど、二百年前のこの国のまぎれもない現実なのだ。と、頭ではわかっても、やっぱり不思議な気持ちになる。ところで、粟は米よりも味があわいので「あわ」と言ったという説がある。薄黄色の粟餅は私の好物だったが、このところとんとお目にかかれない。五穀のひとつである粟も、作る人がいなくなってしまったのだろう。脇差はとっくに消え、粟もまた消えていく。時世というものである。(清水哲男)
December 182013
月一つ落葉の村に残りけり
若山牧水
今の時季、落葉樹の葉はすっかり散り落ちてしまった。それでも二、三枚の枯葉が風に吹かれながらも、枝先にしがみついている光景がよくある。あわれというよりもどこかしら滑稽にさえ映る。何事もなく静かに眠っているような小さな村には、落葉がいっぱい。寒々と冴えた月が、落葉もろとも村を照らすともなく照らし出しているのであろう。季重なりの句だが、いかにも日本のどこにもありそうで、誰もが文句なく受け入れそうな光景である。牧水が旅先で詠んだ句かもしれない。この句から「幾山河越えさり行かば寂しさのはてなむ国ぞ今日も旅ゆく」の名歌が想起される。作者は冬の月を眺めながら、どこぞでひとり酒盃をかたむけているのかもしれない。暁台に「木の葉たくけぶりの上の落葉かな」がある。牧水には他に「牛かひの背(せな)に夕日の紅葉かな」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)
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