February 091997
そばへ寄れば急に大きく猫柳
加倉井秋を
いま振り返ると、私の少年時代は本当に自然に恵まれていた。恵まれ過ぎていて、そのことには気がつかなかったくらいだ。猫柳が花穂をつけはじめると、学校の帰り道、僕ら小学生は小川の岸辺で時間をつぶすのが習慣だった。文字通りの道草である。この句のように、猫柳は、近寄れば結構背の高い植物だ。つめたく澄んだ水の中にはメダカが群れており、石を起こすとちいちゃな蟹が出てきたりした。いつまでも見飽きることはなかったし、なかには男の勇気の印として、メダカをすくってはそのまま飲み込んでしまう奴もいたっけ……。私の故郷はいわゆる過疎の村(山口県阿武郡むつみ村)だから、いまでもあの猫柳たちは健在だろう。見てみたい。(清水哲男)
February 172001
ときをりの水のささやき猫柳
中村汀女
暖かい地方では、もう咲いているだろう。山陰で暮らしていた子供のころには、終業式間近に開花した。まだ、ひと月ほど先のことだ。「猫柳」は一名「かわやなぎ」とも言うように、川辺に自生する。咲きはじめると、川辺がずうっとどこまでもけむるように見え、子供心にも一種の陶酔感が芽生えた。川(というよりも、小川)は重要な遊び場だったので、猫柳はその遊び場が戻ってくる先触れの花であり、そんな嬉しさも手伝ってきれいに見えたのかもしれない。どなたもご存知の文部省唱歌「春の小川」(高野辰之作詞)は、フィクションなんかじゃなかった。とくに二番の「……えびやめだかや 小ぶなの群れに きょうも一日 ひなたでおよぎ」あたりは、現場レポートそのものである。咲き初めた「猫柳」をかきわけて、小川をのぞきこむ。と、いるいる。「えびやめだか」たちが。まだ水は冷たいので入りはしないけれど、のぞきこみながら、何だかとても嬉しい気分になったものだ。揚句の作者は大人だから、私のようにのぞきこんだりはしていない。川沿いの道を、猫柳を楽しみながら歩いている。歩いていると、ときおり「水のささやき」が聞こえてくる。ただそれだけの句であるが、情景を知る者には、なんと美しく的確に響いてくることだろう。作家の永井龍男が戦争中に、いかに「汀女の句になぐさめられたことか」と書いている。わかるような気がする。『女流俳句集成』(1999)所載。(清水哲男)
February 012002
二月はや天に影してねこやなぎ
百合山羽公
季語は「二月」と「ねこやなぎ(猫柳)」で、いずれも春。いわゆる季重なりの句ではあるけれど、まったく気にならない。はやくも二月か……。そういう意識であらためて風景を見つめてみると、いつしか猫柳のつぼみもふくらんできていて、まぶしく銀色に輝いている。それを「天に影して」とは、美しくも絶妙な措辞だ。このときに猫柳はこの世(地上)のものというよりも、作者には半ば天上のもののようにも見え、はるかなる天空に銀色の光りを反射させているのだった。この句を見つけた山本健吉の『俳句鑑賞歳時記』(角川ソフィア文庫)には「天外の奇想」とあるが、私には少しも「奇想」とは思えない。むしろ、ごく自然に溢れ出てきた感慨であり、見立てだと写る。自然な心を細工をせずに素直に流露しているので、一見抽象的には見えるが、句景としては極めて具象的ではないのか。私などは故郷の川畔に群生していた猫柳を思い出し、なるほど、春待つ心にいちばん先に応えてくれたのは猫柳の光りだったなとうなずかされた。春とはいえ、二月はまだ農家の仕事も忙しくなく、学校帰りに道草をしては、川のなかの生き物どもの動きを、飽かずのぞきこんだりしていたっけ。(清水哲男)
March 172014
曇り日のはてのぬか雨猫柳
矢島渚男
いまにも降り出しそうな空の下、気にしながら作者は外出したのだろう。そしてとうとう夕刻に近くなってから、細かい雨が降り出した。気象用語的にいえば「小雨」が降ってきたわけだが、このような細かくて、しかもやわらかく降る雨のことを、昔から誰言うとなく「ぬか雨」あるいは「小ぬか雨」と言いならわしてきた。むろん、米ぬかからの連想である。細かくて、しかもやわらかい雨。戦後すぐに流行した歌謡曲に、渡辺はま子の歌った「雨のオランダ坂」がある。「小ぬか雨降る 港の町の 青いガス灯の オランダ坂で 泣いて別れた マドロスさんは……」。作詞は菊田一夫だ。小学生だった私は、この歌で「小ぬか雨」を覚えた。歌の意味はわからなかったけれど、子供心にも「小ぬか雨って、なんて巧い言い方なんだろう」と感心した覚えがある。農家の子だったので、米ぬかをよく知っていたせいもあるだろう。オランダ坂ならぬ河畔に立っていた作者は、猫柳に降る雨を迷いなく「ぬか雨」と表現している。それほどに、この雨がやわらかく作者の心をも濡らしたということである。『采薇』(1973)所収。(清水哲男)
March 302015
曇り日のはてのぬか雨猫柳
矢島渚男
細かくて、しかもやわらかく降る雨のことを、昔から誰言うとなく「ぬか雨」あるいは「小ぬか雨」と言いならわしてきた。「米ぬか」から来ている。細かくて、やわらかい雨粒。戦後すぐに流行した歌謡曲に、渡辺はま子の歌った「雨のオランダ坂」がある。♪「小ぬか雨降る 港の町の 青いガス灯の オランダ坂で 泣いて別れた マドロスさんは……」作詞は菊田一夫だ。小学生だった私は、この歌で「小ぬか雨」を覚えた。歌の意味はわからなかったけれど、子供心にも「小ぬか雨って、なんて巧い言い方なんだろう」と感心した覚えがある。農家の子だったので、米ぬかをよく知っていたせいもあるだろう。オランダ坂ならぬ河畔に立っていた作者は、猫柳に降る雨を迷いなく「ぬか雨」と表現している。それほどに、この雨がやわらかく作者の心をも濡らしたということである。『采薇』所収。(清水哲男)
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