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February 0921997

 そばへ寄れば急に大きく猫柳

                           加倉井秋を

ま振り返ると、私の少年時代は本当に自然に恵まれていた。恵まれ過ぎていて、そのことには気がつかなかったくらいだ。猫柳が花穂をつけはじめると、学校の帰り道、僕ら小学生は小川の岸辺で時間をつぶすのが習慣だった。文字通りの道草である。この句のように、猫柳は、近寄れば結構背の高い植物だ。つめたく澄んだ水の中にはメダカが群れており、石を起こすとちいちゃな蟹が出てきたりした。いつまでも見飽きることはなかったし、なかには男の勇気の印として、メダカをすくってはそのまま飲み込んでしまう奴もいたっけ……。私の故郷はいわゆる過疎の村(山口県阿武郡むつみ村)だから、いまでもあの猫柳たちは健在だろう。見てみたい。(清水哲男)


March 3031999

 ロゼワイン栄螺の腸のほろにがさ

                           佐々木幸子

手な句ではない。が、ワインと栄螺(さざえ)との取り合わせに興味を魅かれた。私はワインが苦手なので、早速、ワイン好きの友人に取材した。「ロゼワインと栄螺は、味覚的に合うのかなア」。「試したことはないけれど、別に突飛な取り合わせとは思わないね」。「でも、テーブルの上での見た目がよくないな」。「そんなこと、本人が機嫌良く飲んだり食ったりしてるんだから、どうでもよろしい」。…てなわけで、この取り合わせは「まあまあ」だろうということに落ち着いた。はじめてパリに行ったときに、みんな山盛りのカラスガイを肴にワインをやっていたのに感心した覚えがあるので、基本的にはワインと貝類とは合うのだろう。ワイン好きの読者は、お試しあれ。口直しに(作者にはまことに失礼ながら)、とにかく「栄螺」といえばこの句だよというところを、見つくろって紹介しておこう。百合山羽公の「己煮る壷を立てたる栄螺かな」と加倉井秋をの「どう置いても栄螺の殻は安定す」だ。味覚よりも、作者は栄螺の存在そのものに哀しみを感じている。こういう句のほうに魅力を覚えるのは、私がもはや古い人間のせいなのだろうか。「味の味」(4月号・1999)所載。(清水哲男)


April 1042001

 山桜輪吊りにまはし売り軍手

                           加倉井秋を

かと見紛う真っ白い山桜が咲きはじめた。取り合わせて、真新しい白い軍手(ぐんて)。「輪吊りにまはし」とは面白い言い回しだが、小さな洗濯物を干すときに使う輪状の物干しにぐるりと軍手が吊り下げられている。この白色と白色との取り合わせに、何を思うか。それは、読者が「軍手」に何を思うかによって決定されるだろう。大きく分ければ、二通りに読める。農事に関わる人ならば、軍手は労働に欠かせない手袋だ。ちょうど山桜が咲く頃に農繁期に入るので、万屋(よろずや)の店先で新しい軍手を求めているのである。店の裏山あたりでは、山桜がぽつぽつと咲きはじめているのが見える。毎春のことながら「さあ、忙しくなるぞ」と、自分に言い聞かせている。また一方で、ちょっとした登山の好きな人ならば、登山道の入り口ちかくに軒を連ねている店を連想するだろう。軍手は、山菜採りなどで怪我をしないために使う。これから登っていく山を見上げると、そこここに山桜がまぶしい。軍手を一つ買い杖も一本買って、準備完了である。さあ、わくわくしながらの出発だ。いずれの読みも可能だが、私の「軍手」のイメージは、どうしても農作業に結びついてしまう。ごわごわとした真新しい軍手をはめるときの感触は、いまだに記憶に残っている。ちなみに、なぜこの手袋を「軍手」と呼ぶのだろうか。旧陸海軍の兵士たちが使っていたからというのが、定説である。『俳諧歳時記・春』(1968・新潮文庫)所載。(清水哲男)


May 0252001

 桐咲くやカステラけむる口中に

                           原子公平

の花は初夏に咲く。周辺はまだ浅緑だ。そこに紫色の花が高く咲くので、遠望すると「けむっている」ように見える。その視覚と、口の中で「けむる」ように溶けていくカステラの味覚とが通いあい、しばし至福の時を覚えている。美花を愛で美味を得て、好日である。このようにゆったりとした心で桐の花を見たいものだが、都会ではもう無理だ。たまさか見かけるのは旅先であり、たいていは心急いでいるので、なかなか落ち着いては見られない。昨年見たのは、所用で訪れた北上市(岩手県)でだった。それも新幹線の駅前にあった木の花だから、とても「けむる」とは言い難く、なんだか標本か資料でも見ているような気がしたものだ。五月のはじめでは、あの駅前の桐もまだ咲いてはいないだろう。桐の花といえば、加倉井秋をに「桐咲けば洋傘直し峡に来る」がある。「峡」は「かい」、山峡だ。昔は都会でも見かけたが、一種の行商に「洋傘直し」という商売があった。町や村を流して歩き、折れた傘の骨の修繕などをする。桐が咲くのは梅雨の前。そこをねらって毎年「傘直し」が現われるというわけだが、風物詩としても面白いし、山峡の村に住む人々のつつましい暮らしぶりもうかがえるようで、よい句だ。この桐の花も、大いに「けむって」いなければならない。『酔歌』(1993)所収。(清水哲男)


June 1462001

 いかにも髪切虫を見る眼つき

                           加倉井秋を

字通りに、髪の毛くらいは平気で噛み切ってしまう。樹木を害するが、人畜には無害だ。「天牛(かみきり)」とも書き、種類は多いようだが、最もポピュラーなのは黒地に白い斑点のある「胡麻斑天牛(ごまだらかみきり)」だろう。体長4センチ前後。最近、とんと見かけなくなった虫だ。昔はこいつが鞭のように長い触角を振り上げてガサゴソと出現すると、昆虫好きの人は別にして、たいていの人はキッと身構えた。その「眼つき」はといえば、句のように「いかにも」としか言いようがないのである。直接「髪切虫」を描くのではなく、それを見る人の眼つきを通して虫のありようを言い当てているところが面白い。「いかにも」と字足らずの表現も、素早い身構えに対応している。この虫を知らなくても、ゴキブリやヘビに置き換えてみれば、おおよその句意の見当はつくはずだ。ただ髪切虫の場合はゴキブリなどと違って、あまり陰湿な感じは受けない。獰猛な感じもするが、どこか憎めないところがある。だから、いきなり殺そうとする人は稀ではなかろうか。せいぜいが捕まえて、ぽいと表に放り出すくらいだ。捕まえるとキイキイと鳴くので、哀れでもある。同じ作者に「妻病みて髪切虫が鳴くと言ふ」がある。こちらは、愛しくも哀れ。『新歳時記・夏』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


June 0462004

 線路越えつつ飯饐る匂ひせり

                           加倉井秋を

語は「飯饐る(めしすえる)」で夏。いまは冷蔵庫の普及でこういうこともほとんどなくなったが、昔の夏場の「飯」の保存は大変だった。一晩置いておくと汗をかいてしまい、匂いを放つようになる。この状態を越えると腐敗がはじまってしまうので、飯びつにフキンをかけたり飯笊を使ったり、はたまた井戸に吊るしたりして対策を講じたものだ。句は、郊外の小さな踏切での情景だろう。無人踏切かもしれない。周辺には、夏草が茂り放題だ。そんな「線路」を越えていると、どこからか飯の据えた匂いが漂ってきた。およそ生活臭とは無縁の場所だから、おやっと思うと同時に、何かほっとするものを感じたと言うのである。郷愁というほど大袈裟な気持ちではないが、それに通じる淡い感情が作者の胸をすっと横切った。夏の日の微妙にして微細な心の綾を描いていて、それこそ郷愁を誘われる読者も多いだろう。余談になるが、先日CDで柳家小三治のトークライブなるものを聴いていたら、なかで飯をていねいに洗って食べる人の話が出てきた。むろん、饐えているからである。昔の話ではない、れっきとした現代の話だ。話のタネは、彼が借りている駐車場に住みついたホームレスの男のあれこれだった。アッと思った。もともとフリートークの上手い噺家だが、この話は抜群の出来である。『新歳時記・夏』(1989・河出文庫)他に所載。(清水哲男)


October 13102004

 赤い羽根つけてどこへも行かぬ母

                           加倉井秋を

語は「赤い羽根」で秋。厳密に言うと、募金期間は大晦日までなので冬の季語として使ってもよいわけだが、普通は賑々しい街頭募金の行われる秋に限定して使っている。句の「母」は明治生まれ。いわゆる職業婦人は別として、昔の専業主婦はめったに外出はしなかった。いや、できなかったと言うべきか。大正初期生まれの私の母も、よほどのことがない限り、いつも家にいた。そんな母が、赤い羽根をつけている。羽根は募金をした印なのだから、外出しなければ必要がない。意味がない。でも彼女は、「どこへも行かぬ」のに律儀に胸につけて家の中で立ち働いているのだ。愚直なほどに古風な女性像が浮かび上がってくる。たまにはお母さんも、家のことなど放っておいて外出すればいいのにと、優しく母を思いやる気持ちの滲んだ句だ。ここで理屈っぽい人なら、何故どこへも外出しない人が赤い羽根を所持しているのかと訝るかもしれない。回答は簡単で、彼女は各家庭をまわってくる募金ボランティアに応じただけの話である。派手な駅頭などでの募金は募金額の総体に比べればわずかなもので、主たる収入源は家庭や企業に訪問しての寄付募金だと関係者に聞いたことがある。単純に考えても、駅頭での募金額と玄関先でのそれとでは一桁は違ってきそうだ。ましてや相手が企業ともなれば、数桁の差は見込めるだろう。脱線しそうになってきたのでこのあたりで止めておくが、それにしても赤い羽根をつけて歩いている人をあまり見かけなくなってきた。今日もつけているのは、一部の国会議員くらいなものではなかろうか。『炎還・新季語選』(2003)所載。(清水哲男)


July 2072005

 すれ違つてから金魚賣は呼ぶ

                           加倉井秋を

語は「金魚賣(金魚売)」で夏。かつては夏の風物詩だったが、最近ではとんと見かけなくなった。町を流して歩く金魚売りは、もう絶滅してしまったのかもしれない。句の作者は、おそらく自宅の近所を歩いているのだ。歩いていると、向うから車を引いてやってくる金魚売りが見えた。一瞬作者は「買って帰ろうかな」と思ったにちがいない。ところが近づいてきた金魚売りは、声をかけるでもなく「すれ違」い、通り過ぎたかと思ったら急に呼び声を出しはじめた。ただこれだけのことを作者が句にしたのは、最初は腑に落ちなかった金魚売りの態度が、後で十分に納得できたからだろう。つまり、金魚売りとはそういうもの、そういう商売なのであると……。要するに、彼の目指す客は道を歩いている人ではなく、常に彼の呼び声が届く範囲の家の中にいる人たちなのである。道行く人の袖を引いてみたところで、よほどの偶然に恵まれなければ、売れるはずもない。道行く人は仕事の最中だったり、遠くから来ている人だったりするからだ。したがって、すれ違う人はまず商売にはならない。ならない人に声をかけても仕方がないし、にもかかわらず面と向かって呼びかける格好になるのも失礼だしと、そんな配慮から作者とも黙ってすれ違ったというわけだ。最近車でやってくる物売りは、みなテープに売り声を仕込んでいるので、すれ違おうがおかまい無しにがなり立てつづけている。あれでは、とうてい風物詩にはなり得ない。『俳句歳時記・夏の部』(1955・角川文庫)所載。(清水哲男)


June 2262007

 思ひ出すには泉が大き過ぎる

                           加倉井秋を

入観というもの。俳句をつくる上でこんなに邪魔になるものはない。泉といえば即座に水底の砂を吹き出して湧き出てくる小さな泉を思ってしまう。先入観、即ち、先人の見出したロマンを自分の作品に用いるのは共通認識を見出すのがた易いからだ。共通認識を書くのは安堵感が得たいため。そうよね、と顔見合わせてうなずくためだ。そこに自己表現はあるのか。共通認識の何処が悪い、むしろそこにこそ俳句の庶民性、俳諧性が存するのだと、居直りとも逆切れとも取れる設定が、季題の本意という言い方。われら人間探求派は季題をテーマからは外したが、人間詠というテーマの背景としてはそれを援用している。寺山修司の「便所から青空見えて啄木忌」のように季題の本意を逆手に取って、古いロマンを嗤う方向もあるが、これも逆手に取ったというあざとさが臭う。中心に据えようと援用しようと逆手に取ろうと、「真実の泉」には届かない。目の前の泉そのものを書き取る。答はすぐそこにありそうなのだが、実は何万光年もの距離かもしれない。講談社『新日本大歳時記』(2000)所載。(今井 聖)


May 2952009

 爆笑せしキャンプファイアーの跡と思ふ

                           加倉井秋を

ャンプ地で焚火の痕跡があればキャンプファイアーの跡だと思うのは当然。そんなのは発見でも何でもない。この句は「爆笑せし」という捉え方に詩の核心がある。爆笑せしはキャンプファイアーにかかるけれど、キャンプファイアーは跡にかかっているから爆笑せしは詰まるところ跡にかかる。爆笑せし跡。つまり作者は焚火の痕跡をみて爆笑の声を思っているのである。焚火跡は視覚。臭いもするから嗅覚も混じる。爆笑は聴覚。つまりこの句は視覚と嗅覚を入口にして聴覚に到る。人間の五感の即時的な反応がそのまま言葉に載せられている。これを機智と見るのは少し違う。「知」よりも「感覚」が優先される。しかも三つの別次元の感覚を力技でひとつにまとめ「思ふ」に引き込むのは「知」を超えた才能そのもの。角川書店編『第三版俳句歳時記』(2004)所収。(今井 聖)


September 1392009

 二科を見る石段は斜めにのぼる

                           加倉井秋を

語は「二科」、というか美術展覧会一般として秋の季語になっています。たしかに、涼やかな風に吹かれながら絵画を観賞しに行くには、秋が似合っています。かならずしも上野で開催されているわけでもないのでしょうが、斜めにのぼるという言葉から思いつくのは、西郷さんの銅像に行く途中の、京成線ちかくの広い階段です。あのあたりでは実際に絵を描いている人もおり、通りすがりに描きかけの絵を、覗いて見たくもなります。斜めにのぼったのはおそらく、その日、それほどに急いではいなかったからなのでしょう。二科展で絵を楽しむ時間だけでなく、行き帰りの歩行も、それなりに楽しみたかったからなのです。ちょっと子供っぽくもあるこんな動作を、休日にしてみたいと思ったのは、毎日急き立てられるように生きている反動でもあります。帰りにはおいしいコーヒーを飲んで、それからどうしようかと、次の石段に足を持ち上げながら、考えているのでしょうか。『日本名句集成』(1992・學燈社)所載。(松下育男)




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