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February 1121997

 まひる梅の咲くさえ朧愛人あり

                           末永有紀

ならば「朧(おぼろ)」が似合うが、作者は梅の咲いている様子が「朧」だと言うのである。しかも、輪郭のくっきりした真昼の梅をさえ、ぼおっと感じているのだ。すなわち、作者には「恋人」ではなくて、世間に秘めた「愛人」がいるからである。危険な関係のこの上ない甘美さが、きりりとした梅の花をすら朦朧とした存在に変えてしまう。そういう句なのデス。羨ましくもあり、おっかなそうでもあり……。(清水哲男)


February 1021997

 目覚めけり青き何かを握りしめ

                           沼尻巳津子

動。「青き何か」の意味はわからないけれど、作った人の心のありようは、すっきりとよくわかる。決して曖昧な世界ではない。一所懸命に生きている人でないと、絶対にこうした句はできないだろう。繰り返し読むほどに、読者の心も引き締まる。作者は俳句的には晩学の人で、四十代になってから作句をはじめたようだ。それにしても、最近の私は、夢の中でさえ何かを強く握り締めたことはない。そうしようと思ったこともない。猛省。『華彌撒』所収。(清水哲男)


February 0921997

 そばへ寄れば急に大きく猫柳

                           加倉井秋を

ま振り返ると、私の少年時代は本当に自然に恵まれていた。恵まれ過ぎていて、そのことには気がつかなかったくらいだ。猫柳が花穂をつけはじめると、学校の帰り道、僕ら小学生は小川の岸辺で時間をつぶすのが習慣だった。文字通りの道草である。この句のように、猫柳は、近寄れば結構背の高い植物だ。つめたく澄んだ水の中にはメダカが群れており、石を起こすとちいちゃな蟹が出てきたりした。いつまでも見飽きることはなかったし、なかには男の勇気の印として、メダカをすくってはそのまま飲み込んでしまう奴もいたっけ……。私の故郷はいわゆる過疎の村(山口県阿武郡むつみ村)だから、いまでもあの猫柳たちは健在だろう。見てみたい。(清水哲男)




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