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February 2821997

 上京や春は傷みしミルク膜

                           あざ蓉子

である。「上京」という言葉を聞くだけで胸が疼く。多くの地方の少年少女が、今年もまた故郷を離れて行くことであろう。東京へ東京へ……。かつて谷川雁に「東京へ行くな」という名詩あり、寺山修司には『家出のすすめ』があった。古くは尾崎士郎の『人生劇場』、近くは五木寛之の『青春の門』。評者また急に読みたくなり『青春の門・自立編』を買ってしまった。この本の主人公は筑豊出身。この句の作者また同じ九州の熊本・玉名である。本来結びつかない上京とミルクの膜が、かくも見事に結びついている青春の不思議さよ。『ミロの鳥』所収。(井川博年)


February 2721997

 愚図愚図と熟柿の息の春の霧

                           金子兜太

まには、こういう句と格闘する必要がある。読解力の切っ先が鈍らないように……。三十分ほどにらんでいるうちに、句意が二転三転してしまう。苦痛でもあるが、人間ならではの遊びの境地でもあるだろう。「春の霧」というからには「霞」にまでは至らない早春の大気のありようである。その清冽な大気のなかで、自分自身の息を「熟柿」のように感じるというのだから、体調がよろしくない、あるいは憂鬱な心のありさまを嘆いている。元気な人は、まず自分の息遣いなど意識することはない。以上、私なりの鑑賞ですが、いかがでしょうか。入学試験の答案だと、0点かもしれませんが。『皆之』所収。(清水哲男)


February 2621997

 春日三球ひとりとなりし朧かな

                           能村登四郎

下鉄の電車。「あれはどっから入れるんでしょうねエ」で笑いを取った漫才師の三球が、相方に死別した後の句。ひとりでテレビに出ている姿は、痛々しかった。が、作者は「それでいいのだ」と言っているように思える。運命は運命として甘受するしかないし、甘受できたときに醸成されてくる心地よさ。それを「朧」に託したということ。「人間というものはいい奴も仕方がない奴もさまざまいるが、それが又面白く魅力でもある。私は自分をふくめて人間が大好きである」という作者ならではの人間句だろう。『菊塵』所収。(清水哲男)




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