1997ソスN3ソスソス14ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 1431997

 春光へすべり落ちたる領収書

                           岡田史乃

スにでも乗ろうとしたときだろうか。財布から小銭を取り出そうとして、中の領収書がひらひらと滑り落ちてしまった。他人から見ればほほえましい光景だが、領収書というものは、当人にとってはけっこう生々しかったりする。それが明るい春の日差しのなかに舞うということになると、生々しさが一瞬気恥ずかしさに転化する。束の間の微妙な心の揺れを描いていて、味わい深い句だ。作者には、この種の繊細な神経に触発された作品が多い。「繃帯の指を離れよしゃぼん玉」「ぼたん雪机の上のオブラート」など。『浮いてこい』所収。(清水哲男)


March 1331997

 芹レタスセロリパセリよ血を淨めよ

                           山本左門

然から遠ざかるほど、人は病気に近づく。京都浄瑠璃寺の住職がラジオで話していた。作者の焦燥感も、そこに根拠を持っている。歴史上、自然が昨今ほどに人間の問題となったことはないのである。その意味で、まことに現代的な俳句だ。この句は、小川双々子が主宰する「地表」(一宮市)で、今年度の地表賞を受賞した作品のひとつ。双々子は、左門句が現在の俳壇に蔓延する季語季題趣味と無縁であることを評価し、さらに言う。「季語は業のようなものだから、その純正なはたらき(詩としてのはたらき)を駆使するなど容易ではない。大方は<俳>などというはたらきを計るから、自らの居場所さえ解らなくなる為態となる」。(清水哲男)


March 1231997

 食堂車花菜明りにメニュー読む

                           杉原竹女

菜は「菜の花」の別称。食堂車のテーブルに菜の花が活けてあり、あたかも花の明かりでメニューを読むような、楽しい気分。窓外の風景にも、時々菜の花畑が現れては消えていく。新幹線のビュッフェなどでは味わえない心持ちである。昨今の鉄道は能率一本やりで、情緒がなくてつまらない。昔の食堂車の料理は、美味とは言えず高価でもあったが、旅の楽しさを演出してくれていた。汽車の旅の楽しさをいま求めるとなると、さしずめヨーロッパの鉄道あたりだろうが、テレビで見るかぎりは演出過剰気味のように思える。手元不如意のときに、あちらでは駅弁を売ってないのも困る。(清水哲男)




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