1997ソスN3ソスソス18ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 1831997

 春の夜や後添が来し灯を洩らし

                           山口誓子

い間やもめ暮らしだった近所の家に、珍しく遅くまで灯がともっている。再婚するという噂は耳にしていたが、どうやら噂は本当だったようだ。と、作者は納得し、微笑している。それでなくとも、春の夜には艶っぽい雰囲気がある。したがって、シチュエーション的にはいささか付き過ぎ、出来過ぎか……。永田耕衣に「春の夜や土につこりと寂しけれ」がある。むしろ、こちらの句にリアリティを感じるという読者も多いだろう。(清水哲男)


March 1731997

 韮青々と性欲純粋と思う

                           夏木陽子

は「にら」。ユリ科の多年草。というよりも、<レバニラ炒め>でおなじみの植物。句には、みずからの欲望と正対する姿勢が、韮の青さに託されてきっぱりと表現されている。若くあることの素晴らしさ。直球的感覚表現。性を曲球的に感じはじめるのは、個人差もあるだろうが、不惑の前後くらいからだろうか。このところ、渡辺淳一の『失楽園』が話題になっている。文体の甘さは気になるけれど、中年の性を直球的にとらえかえした労作だと思う。「こんなことをしていると、わたし達、地獄に堕ちるわよ」。ヒロイン凛子の直覚が、全巻を引っ張る。(清水哲男)


March 1631997

 運命は笑ひ待ちをり卒業す

                           高浜虚子

の時代、留年せずに無事卒業してもその後の困難さを思えば、少数の例外を除けば「笑う」がごとき前途洋々としたものであるとは思えない。そして、運命はあざ「笑う」かのように複雑な管理機構の中で人を翻弄し続ける。この句は昭和十四年の作である。当時の大学・高等専門学校の卒業生(そして中学を含めても)は今の時代には考えられないほどのエリートであった。しかし戦火は大陸におよび「大学は出たけれど」の暗い時代であった。運命の笑いをシニカルなものとしてとらえたい。だが、大正時代、高商生へむけ「これよりは恋や事業や水温む」という句をつくっている虚子である。卒業切符を手にいれたものへの明るい運命(未来)を祝福する句とも言える。いずれにしろ読者のメンタリティをためすリトマス試験紙のような句である。『五百五十句』所収。(佐々木敏光)




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