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March 2131997

 春愁や一升びんの肩やさし

                           原子公平

とえば、今日が、かつて好きだった人の誕生日だったとする。なぜか、別れた人の記念日は忘れないものだ。遠くにある人だからこその、近さだろう。関連して、昔のあれやこれやを思い出す。そのことに、しばし没頭してしまうことがある。酒が入れば、なおさらだ。普段は格別気にも留めない一升びんを、それこそなぜかしみじみと眺め入る気分にもなる。やさしい肩だなァ……。そんなふうに感じることのできる自分自身を、実は作者は哀しくも愛している。すなわち、これが春愁の正体である。『海は恋人』所収。(清水哲男)


March 2031997

 嫁して食ふ目刺の骨を残しつつ

                           皆吉爽雨

の字は「か」と発音する。二世代(ないしは三世代)同居の家に嫁いできて、まだお客様待遇の間の新妻の膳に目刺しが出された。さあ、困った。いきなり頭からバリバリやるのははしたないし、かといって残すのも気がひける。結局は、少しずつ端から小さく噛んで、骨を残しながら食べることにした。まさに、新妻悪戦苦闘の図。「味なんてしやしない」。そして、その姿を見るともなく見ている家人(作者もそのひとりだ)の鋭い目。いまどきの若い女性なら、頓着せずに食べてしまうのかもしれないが、昔の嫁たるものはかくのごとくに大変であった。蛇足ながら、作者の皆吉爽雨は、私が中学生のときに下手な句を投稿していた「毎日中学生新聞」の選者だった。よく採っていただき、いい人だなと思っていたけれど、この句のように、けっこう意地悪な目も持ったオジサンでもあったわけだ……。現代俳人・皆吉司の祖父。(清水哲男)


March 1931997

 ひらきたる春雨傘を右肩に

                           星野立子

わらかく暖かい雨。降ってきたので傘をひらくと、淡い雨なので、身構える気持ちがほどけて、自然と傘を右肩にあてる。少しくらい濡れたっていい、という気分。だから、句では「ひらきたる春雨傘を」という順序なのである。最初から春雨を意識していたのなら「春雨やひらきたる傘」となる。ま、そんな理屈は別にして、最近では、女性が傘を斜めにさして歩く姿を、とんと見かけなくなった。混み合う道を早足で歩いている習慣から、強情なほど垂直に持つ癖がついてしまったのだろうか。女性ならではの優美な仕種が、いつの間にかまたひとつ消えていた……。傘そのものの形態は、昔からちっとも変わっていないというのに。(清水哲男)




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